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"拾った財布で泥棒扱い――5万円の濡れ衣と反撃" 第1話

曜の朝と茶い落とし物

午分。鉄の改札を抜け、へと続く階段をがると、まだ湿り気を帯びたのたいが頬をかすめた。

森田咲(さき)は、医療器の輸入・販売をがける堅商社「都メディカル」に途採用されて今で目になる。所属は管理本部経理支援課。営業部やカスタマーサポートのような形部署とは無縁の、オフィスの最奥で黙々と伝票のと向きう裏方の仕事だった。

主な業務は、各事業部からがってくる何百枚もの請求の照、経費精算伝票の領収チェック、そして取引先への次支払申請の精査である。経理支援課が数字のカンマつ、付のを見落とせば、会社の信用と数千万円単位の資が誤っていてしまう。だからこそ、咲はどんなに細かい類であっても、確な付、押印、そして客観な証拠類の添付を徹底して求めてきた。

「森田さんのチェックは細かすぎる」「融通が利かない」

部署の営業マンからでそんな愚痴を叩かれていることは、咲自もよくっていた。それでも、曖昧なや「いつも通りだから」という油断で続きをめる危うさを、咲は過の苦い経験から骨の髄まで理解していた。数字は嘘をつかない。だが、は平気で嘘をつき、保のために者を平気で踏み台にする。

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私活においても、咲は決して無謀な賭けにることはなかった。に夫の勝な借と貞が原因で婚して以来、歳になる娘の結(ゆい)ときりで、築のさな賃貸マンションで暮らしている。

毎朝半に起き、結の好物である卵焼きを入れたお弁当を作り、「いってきます」と元気にを振る娘の笑顔を見送ってから社する。取りの与は決してくはなく、方で暮らしをしている齢の母親への毎の仕送りを引けば、々の活は常にギリギリだった。それでも、咲は自分が額に汗して稼いだ正当な与だけで娘を育てていることに誇りを持っていた。

「結、が見ていなくても、正しいことをしていれば絶対に丈夫だからね」

それが、咲が娘に繰り返し伝えてきたき方の基本だった。

その来事は、いつもと何つ変わらない曜の朝に始まった。

末の締め処理を控えていた咲は、通常より分ほどく本社ビルに到着した。全面ガラス張りのエントランスを抜け、階のエレベーターホールへと歩みをめる。吹き抜けのロビーにはまだもまばらで、音が規則正しく理のに反響していた。

ふと、界の端に違を覚えた。

来客用の黒い革張りベンチの端、アクリル板の仕切りのに、さな塊がポツンと取り残されていたのだ。

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を止め、目を凝らす。それは、使い込まれた茶い本革の財布だった。留め具の部分には、特徴なアンティーク調のの留め具があしらわれている。

周囲を見渡したが、探しに戻ってくるような社員や来訪者の気配は全くない。

——面倒なことに関わりたくない。

瞬、たい自己防の本能が胸をかすめたのも事実だった。誰の持ち物か分からないものをに拾えば、無用なトラブルに巻き込まれるかもしれない。しかし、次の瞬には、今頃この財布の持ち主が血の気配を引かせて青ざめている姿が目に浮かんだ。社員証やクレジットカード、切な現が入っているはずだ。

咲はベンチに歩み寄り、膝を折ってその財布を持ちげた。

元に伝わってくるずっしりとしたみ。にはカード類や幣が相当なみで詰まっていることが、革の触越しに伝わってきた。その、咲の記憶の引きしがカチリと音をてていた。

この財布のデザイン、見覚えがある。

総務課と庶務課を統括する業務管理課の主任、黒田美保(くろだみほ)が、昼休みに湯へ向かう際、いつも脇に抱えていた私物の財布と全く同じだった。

違いなく黒田のものだろう、と直した。だが、咲はそので財布をけてを確認することは切しなかった。

免許証や社員証を見れば持ち主を確定できるかもしれない。しかし、の財布をきりでけることは、から「を抜いたのではないか」という疑をむ余を自ら作ることになる。善でったであっても、客観な第者の目がなければ、悪にすり替えられるのが組織という所だ。

咲は財布を閉じたまま両で抱え、ロビーの反対側に線を巡らせた。

運良く、エントランスの清掃を終えたばかりのビル管理会社のスタッフが、モップを片に巡回している姿が見えた。定退職にこのビルで働き始め、いつも穏やかに挨拶を交わしてくれる桜井直(さくらいなおき)という代半ばの男性だった。

「すみません、桜井さん。しよろしいですか」

咲が声をかけると、桜井はすぐにを止め、穏やかな笑みを浮かべてりに駆け寄ってきた。

「おはようございます、経理の森田さん。どうされましたか?」

「あの、落とし物です。あちらのベンチの隅に、この財布が置きりにされていました」

咲は両で持った茶の財布を、桜井の線のに差しした。

桜井は作業着の胸ポケットから、クリップボードに挟まれた複写式の記録用と油性ボールペンを取りした。

「の確認はされましたか?」

「いいえ。私がベンチで見つけたから閉じたままで、切はいていません」

「かしこまりました。それでは、規定の順に従って拾得物として受付処理をいたしましょう」

桜井は袋をはめたで慎に財布を受け取ると、ベンチの横に設置された台ので、記録用に淀みない致でペンをらせ始めた。

発見:午分。 発見所:階エレベーターホール側ベンチ。 拾得者:管理本部経理支援課 森田咲。 観特徴:茶本革製財布、留め具、擦れ跡あり。閉・確認なし。

「森田さん、持ち主にお当たりはありますか?」

「はい。おそらく、階の業務管理課の黒田主任のものだといます。以、同じものをお持ちのところをお見かけしましたので」

「それなら、社内の連絡網で確認を取ってみましょう。私が直接内線を入れてみます」

桜井が管理へ連絡を入れるに、咲は自分のスマートフォンを取りし、社内チャットツールの業務連絡グループをいた。全社共通の連絡掲示板を通じて、業務管理課宛てに簡潔なダイレクトメッセージを送信した。

『階ロビーにて、茶の革製財布(の具付き)の落とし物を拾得いたしました。現、ビル管理員の桜井さんとともに保管しております。お当たりの方はご連絡ください』

送信ボタンを押してから、わずか分も経たないうちに、黒田美保本から直接チャットの返信が戻ってきた。

『私の財布です! 朝、ロビーのベンチで話をかけた際に置き忘れてしまいました! 今、階の自席にいます!』

咲がその画面を桜井に見せると、桜井はく頷いた。

「ご本がいらっしゃるなら話がいですね。森田さん、緒に階の受付カウンターまでお持ちいただけますか。正式な引き渡しの署名をいただかなければなりませんので」

「はい、承いたしました」

は並んでエレベーターに乗り込み、階のオフィスフロアへとがっていった。

朝の慌ただしい帯にしは取られたが、落とした本が見つかり、堵してくれるだろうという静かな充実が咲の胸を満たしていた。この、咲は自分の連のに切の隙はなく、善が正当に報われるものだと信じて疑っていなかった。

しかし、咲はらなかったのだ。

相が最初から、自らの正を覆い隠すための「贄」を探していたのだということを。

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