みかん小説
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"磨かなかった靴" 第20話

磨く、歩く

昭の、健太はしい宿の窓をけた。から豆腐売りの声が聞こえる。部は狭く、寝具を組敷くと畳がほとんど隠れる。それでもが吹き込まず、翌朝どこへ帰ればよいか分かるだった。俊は隅で靴の底を縫っていた。はまだ自由にかなかったが、で糸を引く速さは以よりずっと増していた。

「今、へくんだろ」。俊が言うと、健太はうなずいた。勉会の休みのには、今も皆の伝いにっている。信吉たちはの区画を借り続け、靴磨きのほかに修理や具の入れを受けるようになっていた。利夫が積を返し終えるにはまだしかかるが、毎の帳面には使ったと残ったがきちんと記されている。常夫は今もすぐにいし、客から笑われることがある。

事件のすべてが片づいたわけではない。寺岡が取り扱った賃の部は、記録が分で支払いを確かめられずにいる。別の町へったたちの全員と連絡が取れたわけでもなかった。宗男は腕に無理のない仕事へ替わり、休みのには静のへ針仕事を習いに来ている。篠田商会は紹介に使っていた類の扱いを改めたが、あの男が商売のやり方をすっかり変えたわけではない。

健太は昔なら、悪いことをしたが度をげれば、全部終わるとっていたかもしれない。

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今は違う。失った賃が戻らなければ困るがいるし、直せない怪もある。利夫がを閉じてしまったも、健太と俊がれていたも、誰かの言で消えてくれない。それでも、昨まで言えなかったことを今はにできるようになる。さくても、それはへむことだった。

へく途、健太は駅を通った。初めて靴磨きを始めた所には、荷がき交い、の板が増えていた。い線はくなり、何度も踏まれて消えかけている。健太はしばらくち止まり、篠田があの履いていた靴をいした。あの男のに兄の靴がなければ、いまも兄を探し続けていたかもしれない。だが靴が見つかっただけでは、兄に会うことも、仲の仕事を守ることもできなかった。

へ着くと、常夫が客の靴を磨いていた。「健太、見てくれよ」。磨き布の当て方が以よりうまくなり、革に余分な墨を残していない。信吉は修理の料を客へ説し、利夫は伝票をいていた。米川が「おお、先が来た」とからかうと、健太は「まだ教わる方ですよ」と笑った。の角には、も子どももそれぞれの仕事があった。

昼過ぎ、古い背広の男が磨き台のへ座った。健太は客の靴を見た。の踵に雑な補修があり、糸が本だけ斜めにっている。

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瞬だけ胸が鳴ったが、よく見ると兄の縫い方とはまるで違った。あの頃なら追いかけたかもしれない。今は、誰の靴なのかを見た目だけで決めないようにしている。「ここ、糸が緩んでいます。磨くだけでなく、縫い直した方が持ちしますよ」。男は「それなら頼む」と言った。

夕方、仕事を終えた健太は、兄のへ寄った。俊は修理を終えた片方の靴を磨いているところだった。あの、篠田から買い戻した古い靴は、まだ棚に置いてある。が揃わず、底も傷んでいるから、履くには向きだった。俊は捨てずに取っていたが、それを族の証として毎眺めているわけでもない。の具や修理待ちの靴のに、普通のとして置かれていた。

「兄ちゃん、その靴、俺に磨かせて」。健太が言うと、俊は顔をげた。「これか。もう履かないぞ」。健太はうなずいた。「分かってる。ただ、俺が度も磨けなかったから」。俊はし考え、古い靴を差しした。健太は布を取り、革の表面をゆっくり拭いた。汚れはいのにく染み、全部は落ちない。茶の本の縫い目も残る。健太はそれでいいとった。

俊は隣の台で、しい客の靴を直し始めた。健太も磨き布をかしながら、兄に今のの話をした。常夫が靴墨をこぼしたこと、信吉がしい板を作ろうとしていること、勉会の計算問題がようやく解けたこと。

言えなかったことを埋めるには、きっといがかかる。それでもになれば、また話せる。健太は布を折り、最に踵の縫い目を指で確かめた。

「兄ちゃん、は何に帰る?」

「ごろだ。おは?」

「の掃除が終わったら。には帰るよ」

それだけの約束が、健太には何より確かなものにえた。の戸からは、戦の町の雑な音が聞こえていた。々はそれぞれの靴で、急ぎだったり、を引きずったりしながら歩いている。健太は磨き終えた片の靴を棚へ戻し、兄と緒にじまいの支度を始めた。

(完)

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