"三千円の温泉旅行" 第5話
窓の向こうから
最初にちがったのは美代さんだった。
「お昼はもういただいてしまいました。でも、せめてお呂だけでも皆さんと入りたいんです」
そのを追うように、別の女性もバッグを持った。
「私もくわ。元々そっちへく予定だったんだもの」
「私も」
「私もきます」
矢野夫は慌てた。
「ちょっと待ちなさいよ。もう料理をべたでしょう? 今さら向こうへってどうするの」
「旅は事だけじゃないでしょう」
誰かがそう答えた。
結局、矢野夫を残し、が鶴亀楼をた。
を渡って恵の湯へやってきた美代さんたちを見た、私は驚いた。
「静子さん、ごめんなさい」
美代さんは玄関でくをげた。
「矢野さんから、恵の湯は事で休みだと聞かされて……案内をちゃんと読み直せばよかったんです」
「謝らなくていいですよ」
私はそう言った。
福田さんも玄関へてきた。
「せっかく同じ町内から来たんじゃ。お湯なら空いとる。入っていきなさい」
「でも、お代は……」
「皆さんの分は最初から予約に入っとる。千円のじゃ」
美代さんは元を押さえた。
「本当に……入っていいんですか」
「もちろんじゃ」
その、女湯から笑い声が聞こえてきた。
「美代さん、こっちはぬるめよ」
「膝にはこっちの方がいいわよ」
「ご主もきっとんでるわ」
美代さんは、昔と変わらない湯の匂いに、しだけ泣いたという。
広告
方、鶴亀楼に残った矢野夫は、それどころではなかった。
夕方になり、仲居が請求を持ってきた。
予約分の会席料理。当キャンセル分。追加した盛り、酒、個料。
計は、万千百円。
「万円?」
矢野夫は声を裏返した。
「万円くらいで済むんじゃなかったの?」
「追加のお料理とおみ物、それから本お越しにならなかった名様分も含まれております」
「でも、あのたちは途までここにいたじゃない」
「名様分は召しがっておりますので、もちろん料に含まれております」
結局、矢野夫は自分のカードで支払った。
帰宅、副会である夫に激しく文句を言ったらしい。しかし夫から返ってきたのは、「そもそも町内会の旅先は恵の湯だったんじゃないのか」という言葉だった。
その夜、過ぎ。
務が携帯話を持って茶のへ入ってきた。
「静子。町内会のグループに妙なものが流れてるぞ」
画面には、数週、副会ががで撮した帳簿の写真が貼られていた。
投稿者は矢野夫。
そのには、こうかれていた。
《皆さん、これが会計さんの帳簿です。千円でなら万千円。積は万千円。残り万千円はどこへ消えたのでしょう。使い込みではありませんか?》
私は読み終え、しばらく何も言えなかった。
広告
町内会のグループには、誰からも返信がなかった。
「あなた……私、説した方がいいかしら」
ところが務は、写真を拡すると、突然笑った。
「静子。何もかなくていい」
「どうして?」
「よく見てみろ」
彼が指さした写真の央には、矢野夫が見落とした文字が、はっきり写っていた。
《貸切バス代 万千円》
そのには、
《次度繰越 万千円》
さらに福田会と幹事の確認印まで写っている。
矢野夫は、私を追い詰めるために投稿した枚の写真で、自分自の主張が違っていることを町内へ証してしまったのだ。
分ほどして、福田会から話が入った。
「静子さん。の午、公民館で臨役員会をく」
そして会は、いつになくい声で続けた。
「矢野さんにも来てもらう。あの案内状と帳簿、両方持ってきてくれ」
私は受話器を握った。
そのはまだらなかった。
翌の役員会で問題になるのは、万円だけではなかった。
矢野夫が級旅館で名乗った“ある肩”が、もっときな問題を引き起こすことになる。
広告
おすすめ作品
-
完結第20話
息子が遺した証拠
長野県松本市に暮らす70歳の元宮大工・柏木源一郎は、一人息子の健太を交通事故で亡くした。しかし、慎重だった息子が居眠り運転をしたという警察の説明に、どうしても納得できない。 そんな中、同居を始めた嫁の美咲が、毎週木曜の夜に化粧をして外出し、若い男の車に乗っているという噂を耳にする。さらに息子の勤務先から、500万円の見舞金と引き換えに不可解な合意書への署名を求められる。 嫁を信じたい源一郎は、ある夜、密かに後を追う。そこで目にしたのは、息子の死につながる恐ろしい事実だった――。夫婦|親不孝|金銭問題|修羅場2.3万字5 6 -
完結第15話
三十八年目の帰る場所
六十二歳の美津子は、三十八年間、夫と娘を支え、義母の介護も一人で担ってきた。ところが海辺の実家へ二泊すると告げた朝、夫は「戻ってこなくていいぞ」と笑い、娘まで同調する。 その言葉をきっかけに、美津子は本当に帰らないことを決意する。しかし夫は「この家は俺のものだ」と激怒し、離婚まで口にした。 そんな夫の前に、美津子が差し出したのは、亡き父が残した土地の登記と三十八冊の家計簿だった。 誰にも認められなかった三十八年間の人生を取り戻す、一人の女性の静かな決断と再出発の物語。夫婦|ATM扱い|絶縁|金銭問題|熟年離婚2.0万字5 1 -
完結第14話
「一緒に浪人」は嘘だった――俺に届いた特待生通知
高校三年生の高瀬優馬は、恋人・彩佳の受験勉強を支えるため、自分の研究や試験対策を後回しにしてきた。「どちらかが落ちても一緒に浪人しよう」――その約束を信じていた優馬だったが、合格発表の日、受かった彩佳は彼をあっさり突き放す。しかし優馬には、彼女に隠していた特別奨学生の選考通知があった。自分の未来を取り戻す決意をした優馬は、名門工科大学で研究の才能を開花させていく。やがて大学のコンテストで再会した二人を待っていたのは、残酷なほど鮮やかな立場の逆転だった。因果応報|人生逆転|修羅場2.3万字5 65 -
完結第20話
貧乏と俺を捨てた元カノ、次期社長との婚約に隠された誤算
「月収四十万円で、私と結婚できると思ってたの?」七年間付き合った恋人・美香に、収入を理由に婚約を破棄された中島涼。失意の帰り道、公園で出会った風変わりな兄弟との交流が、彼の人生を大きく変えていく。物流の経験を生かして建設会社の経営改革に携わり、少しずつ信頼を築いていく涼。二年後、居酒屋で偶然再会した美香は「次期社長と結婚する」と勝ち誇っていた。しかし、彼女も婚約者も、会社で進んでいた重大な決定を知らなかった。金と肩書きで人を見下した二人を待つ、思いがけない逆転劇。人生逆転|裡切られた|真実|第二の人生|金銭問題2.9万字5 127 -
完結第10話
「バカ息子」と笑う義父母、旅行中に息子夫婦が消えた
結婚五年目の立花はる子と夫の琢磨は、念願の新居を手に入れた。しかし、何の相談もなく押しかけてきた義父母が居座り、生活費も払わず、家事をすべてはる子に押しつけるようになる。 ある日、買い物から帰った二人は、義父母が自分たちを嘲笑し、子どものことまで侮辱しているのを聞いてしまう。 長年、親の暴言に耐えてきた琢磨が、初めて口にした「もう限界だ」という言葉。 正面から逆らえない夫を守るため、はる子は義父母に三泊四日の温泉旅行を贈り、その留守中に密かな計画を実行する。何も知らず帰宅する義父母を待つ、予想外の光景とは――。人生逆転|嫁姑|親子関係1.7万字5 232 -
完結第20話
生け垣を伐った4日後、隣人が青ざめた理由
72歳の佐野ふみ子は、亡き夫が40年かけて育てた生け垣に囲まれた家で、一人静かに暮らしていた。ところが隣人の美津江は、落ち葉や枝の張り出しに執拗に文句をつけ、ついには「違法な生け垣だ」と市役所へ通報する。 夫の思い出を守りたい気持ちを抑え、ふみ子は生け垣をすべて伐採することを決意。すると、長年隠れていた地中から古い境界杭が発見される。 そして伐採から4日後、あれほど生け垣を嫌っていた隣人が、真っ青な顔で玄関に現れた。 「お願い! 生け垣を元に戻して!」 突然の懇願の裏に、何があったのか――。因果応報|人生逆転|怒り|裡の顔|修羅場2.0万字5 296 -
完結第20話
離婚1時間でカード5枚停止、義母の豪邸宴会が一変
九年間の結婚生活を終えた神堂美緒は、離婚成立から一時間も経たないうちに、元夫・達也らに渡していたブラックカード五枚を利用停止にした。 一方、達也と義母の和江は、十億円の豪邸まで自分たちのものになったと信じ、親戚五十人を招いて豪華な宴会を開催する。 しかし、彼らは家の本当の所有者も、カードの契約者も知らなかった。さらに、美緒の署名を使った不審な不動産取引まで発覚する。 高額な料理とワインが次々と運ばれる中、祝宴の会計で明らかになる衝撃の事実とは――。因果応報|人生逆転|嫁姑|夫婦|金銭問題2.8万字5 469