"六時の椅子" 第4話
名の隣の署名
ウメの旧所は、いまは広いの角になっていた。かつてが並んでいた所に、板塀と資材置きがあり、そこを通る自の音が絶えなかった。
ハルは軒ずつ尋ね歩くつもりでいたが、最初に入った米穀の主が、にも名を覚えていた。
「のおばあちゃんなら、戦しばらくの借にいたよ。ほどにくなった。娘さんは、向こうの洗濯の裏にんでいるはずだ」
教わったのは昭の話ではない。現の娘の居所だった。それだけでハルは肩の力が抜けた。切なのはげさな昔話ではなく、確かめられる相がいることだった。
ウメの娘・枝は歳で、洗濯の狭い居に夫と暮らしていた。ハルの差ししたを見ると、枝はさく息を吐いた。
「母の字です。『ウメ 受取』の、に引いた線。母は必ずこうくんです」
を読むにも、ウメは自分の名に線を引いていたという。
「私は当、埼玉の親類のに疎していました。母がどんな仕事をしていたのか、全部はらないんです。でも、戦争が終わってから話してくれたことがあります」
枝は箪笥からさな記を取りした。表に昭とある。は米の量、配を受けた、洗濯の依頼といった暮らしの記録がほとんどだった。
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の頁には、子どものことがくかれていた。
《トシつ。母親とれた子。若い娘より受く。夕方、川のへ》
「川さんは、母と緒に臨の炊きしをしていた夫婦です。が焼けずに残ったので、きのない子を何か預かったそうです」
記には、ウメがそのどうやって子どもを連れて歩いたかもく残っていた。を欲しがるトシに井戸のをませ、靴の片方がなくなっているのを見つけた、とある。ハルは自分がる澄子の姿をそこにねそうになったが、記録に澄子のきはかれていない。分かることと分からないことを分けて、いま聞けるに尋ねようと決めた。
佳代が来たら、なくした靴のことを聞いてみよう。子どもの体のことを、母親ほど覚えているはいないはずだ。
ハルは記の文字を見つめた。
「その若い娘が、澄子でしょうか」
「お名はいていません。だけど、あなたの控えと付がなります」
枝はそれ以、確かではないことを言わなかった。その慎さに、ハルはむしろ救われた気がした。
午、佳代も枝のへ来た。仕事を半休めなかったため、だけの約束だった。記を読むうちに佳代のが震え始めた。
「トシは、あのの夕方まではきていたんですね」
「ええ。母がそういています」
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佳代は子に座り直した。泣くかとったが、涙はなかった。
「川さんのは、いまどこに?」
枝は記のろから古い封筒をした。、ウメがくなるしに届いたで、差は川夫妻の親戚だった。
「ご夫婦はもうくなったそうです。預かっていた子がそのどうなったか、私も詳しく聞いていません。ただ、親戚の方とのやり取りはできます」
佳代はすぐちがった。
「所を教えてください。今夜、訪ねます」
「それは待ってください」
枝は封筒を胸に当てた。
「川さんのにいたのは、母親とれた子ばかりじゃありません。誰のことか確かめるにも、相の活があります。まず私がをします」
佳代の顔が赤くなった。
「ですよ。何を待てと言うんですか」
枝は何も言い返さず、机に便箋を置いた。
「あなたがくなら、この封筒に入れて私が送ります。届けば、返事が来るかどうかも分かります」
佳代はすぐを取れなかった。失った娘にく最初の。その宛名を、どうけばいいのだろう。
ハルは庭先にた。洗濯物のでさなが鳴っていた。佳代がをく、自分にできることはなかった。何でも緒に見なければならないとっていたが、そうではないのだ。
戻ると、佳代は便箋にたったいていた。
《私は渡辺佳代と申します。昭に、歳の娘トシとれました。もし川にいた子がトシなら、どうかこのが届いたことだけでもらせてください》
そのに、現の所がかれていた。佳代は自分で封をし、枝に渡した。
夕方、ハルが帰ろうとすると、枝が声で呼び止めた。
「あなたの娘さんのこと、母が度だけ話していました」
ハルは振り返った。
「若い娘さんが子どもを置いて、また助けにったと。母は『止めればよかった』と言っていました」
あの子は自分から戻っていったのか。
ハルの脳裏には、の台所が浮かんだ。澄子が所の子を助けにくと言い、母の言葉を聞かずに履を履いた面だった。
「どこへ戻ったのか、母は言っていましたか」
「川向こうの救護所へ、を運ぶ伝いをしたそうです」
それなら達吉の控えと致する。だが、その先が分からない。
帰宅すると、ハルは達吉の類箱を全部広げた。に、通だけ寺の名がかれた古い片があった。
《慈寺 臨救護所 搬送者の記録照会は寺務所へ》
当のきのおらせらしい。達吉はこれをにしながら、なぜ答えを見つけられなかったのか。そう考えた瞬、彼のの悪さと、活の苦しさが胸をよぎった。、を捜すにはももったのだ。
ハルは寺の名をき写した。今度はを違えないよう、度確かめた。
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