みかん小説
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"四年分の介護記録" 第2話

髪のとえた茶

玄関框に革靴を脱ぎ捨ててを踏み入れた瞬、健の全の皮膚に、粟つような違がった。

のが、異様なまでに静まり返っていた。

以のこのなら、玄関ドアをけた瞬に、腔を突くような尿の臭気や、どこか煮詰まったような活臭が漂っていたはずだった。認症が始まっていた母が壁を叩く音や、苛った妻が器を乱雑に洗う音——そうした「きているの摩擦」が、完全に消滅していた。

廊の板は、埃つなく磨き抜かれ、たい鏡のように午のを反射している。まるで、誰もんでいない宅展示のモデルルームに迷い込んだかのような、拒絶の気が漂っていた。

「おい、由美……?」

吉な予を振り払うように声をかけながら、健はリビングのな製ドアにをかけた。

真鍮のノブを押しげ、ゆっくりと扉をく。

向きのきな掃きし窓から、の柔らかな差しがリビングの面にり注いでいた。そのの真んに、背筋を真っ直ぐに伸ばしたの女性が、ダイニングチェアに腰掛けていた。

「由美……なのか?」

健のから、スーツケースのハンドルが滑り落ちた。にぶつかる鈍い音が、静寂を切り裂く。

そこに座っていたのは、健の記憶にある妻の姿ではなかった。

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かつて肩まであった艶やかな黒髪は、根元から毛先に至るまで、見事なまでに真っに染まりがっていた。ふっくらとしていた頬肉は完全に削げ落ち、顎の骨と首筋の筋が痛々しいほど浮き彫りになっている。着ているな袖のカットソーはサイズが回りもっておらず、骨張った肩から布が頼りなく垂れがっていた。

たった。それだけの歳で、がこれほどまでに老け込み、変貌するものなのか。まるでのを気にび越えてしまったかのような老婆の姿だった。

だが、それ以に健を慄然とさせたのは、その顔つきだった。

夫の嫌な音を聞くだけで肩をすくめ、常にオドオドと伺うような目をしていたかつての妻の怯えは、完全に消え失せていた。髪を綺麗にろで束ね、く窪んだ両の瞳は、底れぬの氷のようにたく澄み切っていた。

そして、その由美の背——かつて級なサイドボードが置かれていたリビングの等に、真しい漆黒塗りの巨な仏壇が、異様なを放って鎮座していた。箔の装飾が窓からのを反射し、真鍮の炉からは、先ほど嗅いだ檀の煙が本、静かにちっている。

「お帰りなさい、あなた。旅、お疲れ様でした」

由美のから紡ぎされた声は、く、穏やかで、ミリの揺らぎもなかった。

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「これで……ようやく私の役目も終わりました」

役目。仏壇。真っな髪。

健は喉の奥がカラカラに渇き、声が擦るのを止められなかった。

「お、おい……その姿はどうしたんだ? それに、あの仏壇は何だ! 母さんは……母さんはどこへったんだ!」

問い詰める健に対し、由美は眉つかさなかった。ただ、骨ばった細い指先で、向かいの席を静かに指し示した。

「ち話も何ですから、どうぞお座りください。分の積もるお話が、ほどございますから」

健は縛りに遭ったような取りで、革張りのソファへと腰をろした。に百万円のボーナスを叩いて購入した自のイタリア製ソファだったが、革の入れがき届きすぎており、座った瞬に気だけがスーツ越しに伝わってきた。

由美はちがり、キッチンから杯の緑茶を運んできた。テーブルのに置かれた湯呑みからは湯気すらっていない。完全にめ切った茶だった。

「母さんはんだのか?」

健は苛ちを隠すように語気をめた。

「俺に言の連絡もなく、勝に葬式を済ませたというのか! 実の息子である俺を差し置いて!」

由美は子に座り直し、テーブルのに置かれていた分い黒のバインダーを、両でおしそうに撫でた。

「ええ、くなりましたよ。半のことです。

……ですが、あなたがそのお母様のに憤るに、まずはご自分ののいを振り返るべきではありませんか?」

え切った瞳が、健の眉を射抜いた。健は反射に虚勢を張る。

「俺のいだと? 俺はシンガポールでに物狂いで働いて、毎欠かさず万円のを送っていた! おたちを飢えさせないためにを削っていたんだ! それを責められる筋いはない!」

胸ポケットの婚届の縁を指先で探りながら、健は気にまくしてようとした。こんな気悪い女とは今すぐ別れてやる。切れとして百万円も投げ与えれば、この髪の女など黙ってをげるはずだ。

だが、健が着のボタンにをかけたその瞬、由美が静かに黒いバインダーをいた。

「そのポケットに入っているをすに……まずは、この記録をご覧ください」

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