"四年分の介護記録" 第6話
封印された母の遺言
え切った介護の苦しい空気を背負い、健は引き摺るような取りでリビングへと戻った。
向きの窓から差し込んでいたの陽は、いつのにかへと傾き、部の隅に置かれた真しい巨な仏壇にいを落としている。線の残りが、腔の奥にく淀んでいた。
由美は仏壇のへと歩み寄り、静かにをわせると、引きしのから通の分い茶封筒を取りした。
表には、かすれ、震えながらも文字ずつ力を振り絞ってかれた母・静の跡があった。
『健へ。これがおの罪の代償です』
その文字を見た瞬、健の全の血液が逆流した。
「けてご覧なさい。お母様がの、公証と弁護士ち会いのもとで作成された公正証遺言と、あなたに宛てた自のです」
由美のから差しされた封筒を、健は震える指先で受け取った。糊付けされた封を乱暴に引きちぎる。から現れたのは、のに記された公証役の印章が押された正本と、便箋枚にわたる母の遺だった。
健は貪るように、母のに目を落とした。
『健。このを読んでいる、私はもう骨になって仏壇のにいることでしょう。
私はこれまで、おを自の息子として育ててきました。
広告
流学をて、商社に入り、派に世していくおが私の誇りでした。だからこそ、嫁である由美さんに厳しく当たり、おの邪魔にならないよう庭を守らせることが私の役目だと信じ込んでいました。
けれど、自分が認症になり、がおかしくなっていく恐怖ので、私はようやく己の愚かさに気づきました。
私が狂い、化け物のようになって暴れ回るで、私の体を抱きしめ、汚れた排泄物を素で拭い、泣きながらを撫でてくれたのは、でもない由美さんでした。
そして、私が最も頼りにし、していたおは、母が狂ったとるや否や、背を向けての向こうへ逃げしました。
おが送ってきた毎万円の。あれを見るたび、私はけなくて涙が止まりませんでした。おはおで母親を買い、おで妻を奴隷にし、自分だけ全な楽園で優雅に暮らしていたのですね。
の際、神様が私にだけ正気を取り戻させてくれたのは、おに最の引導を渡すためだったのだといます。
私は、私が所するすべての財産——この世田の、建物、そしてき夫から相続した千万円の預貯のすべてを、私を最まで取ってくれた由美さんに遺贈します。
息子の健には、円の遺産も、坪のも残しません。
広告
おをこれほど酷で卑怯な男に育ててしまったのは、私の罪です。だからこそ、これが母親としての最の責任であり、おに対する罰です。
きりで、自分が犯した罪のさを噛み締めながらきていきなさい』
「う、嘘だ……!」
を持つが激しく震え、がバサバサと音をてた。
「嘘だ! こんなもの無効だ! 認症でが狂っていた老婆に、弁護士が言いくるめて無理やりかせたに決まってる! 俺は実の息子だぞ! 遺留分があるはずだ! こんなふざけた遺言、裁判を起こせば発で取り消せるんだ!」
健は目を血らせ、テーブルのにを叩きつけた。
「取り消せませんよ」
由美の声は、絶対零度の静寂を保っていた。
「公正証遺言を作成するにあたり、主治医の林先による詳細な精神鑑定が添付されています。『川式簡易能評価スケールおよびHDS-Rにおいて、な識清期にあり、遺言能力を完全にしている』という確固たる医学証拠です。さらに公証がこの部にを運び、お義母さん自のから語語、志を確認して作成されました。法律、片の隙もありません」
「ふざけるな! 俺のだ! 俺がローンを払っただぞ!」
「違います」由美はたく遮った。「このと建物の名義は、元々お義父様とお義母様のものでした。
あなたが払っていたのはリフォームローンのごく部に過ぎません。すでに先、法務局での相続登記は完し、このも建物も、すべて私の単独名義になっています」
「な……に……?」
「つまり、ここはもうあなたのではないのです。の居に、あなたがでがり込んでいるのですよ」
元のが抜け落ちていくような眩暈に、健はソファーの肘掛けにすがりついた。
名誉、実、莫な遺産——すべてが、自分のらないに、見していた妻のへと完全に移譲されていたのだ。
広告
おすすめ作品
-
完結第20話
「妻に休んでほしい」退職夫が勝手に決めた私の人生
夫・修司の退職祝いで、家族から温かな拍手が起こった。「これからは妻にもゆっくりしてもらいたい」。しかし、58歳の洋子だけは笑えなかった。 夫は相談もなく洋子の退職を決めつけ、楽しみにしていた水曜日の手芸講座まで変更させようとしていた。さらに、息子夫婦には孫の保育園への迎えまで勝手に約束していたことが発覚する。 三十年以上、家族を優先してきた洋子は、初めて自分の意思を伝える決心をする。夫の定年をきっかけに始まる、妻の小さくも大きな人生の転機。夫婦|第二の人生|退職金|熟年離婚2.8万字5 16 -
完結第20話
息子が遺した証拠
長野県松本市に暮らす70歳の元宮大工・柏木源一郎は、一人息子の健太を交通事故で亡くした。しかし、慎重だった息子が居眠り運転をしたという警察の説明に、どうしても納得できない。 そんな中、同居を始めた嫁の美咲が、毎週木曜の夜に化粧をして外出し、若い男の車に乗っているという噂を耳にする。さらに息子の勤務先から、500万円の見舞金と引き換えに不可解な合意書への署名を求められる。 嫁を信じたい源一郎は、ある夜、密かに後を追う。そこで目にしたのは、息子の死につながる恐ろしい事実だった――。夫婦|親不孝|金銭問題|修羅場2.3万字5 54 -
完結第20話
葬儀3日後、姑に追放された私に亡き夫からの連絡
物流センターの事故で夫・直人を突然失った41歳の美和。しかし義母の数枝は、妻である美和に夫の顔を見ることすら許さず、葬儀を強引に取り仕切る。さらに葬儀の三日後、香典三百万円以上を独占し、13歳の娘・咲と美和を雨の夜に家から追い出してしまう。 絶望の中、親友に助けを求めた美和のスマートフォンに、午前四時、信じられないメッセージが届く。 「生きてる。母には言うな」 送信者は、火葬されたはずの夫だった。 閉ざされた棺の中にいたのは誰なのか。義母が隠そうとしたものとは――。夫の事故をめぐる疑惑と家族の裏切りを描く、衝撃の逆転サスペンス。因果応報|嫁姑|夫婦|親子関係|金銭問題2.3万字5 55 -
完結第16話
母の初盆を禁じた義父が、土地の名義を知った日
亡き母の初盆へ帰ろうとした由美は、義父から「籍を抜いて出ていけ」と言い渡される。結婚二十五年の夫・浩司も味方にはならず、由美は静かに家を出ることを決意した。 しかし、義父一家が暮らす家の土地は、十五年前に母が購入した由美名義のものだった。さらに夫が、その土地を無断で借金の担保にしようとしていたことが発覚する。 母の残した古い鍵と書類を手に、弁護士を訪ねた由美。やがて明らかになる夫の裏切りと、義父母が隠していた計画。二十五年間耐え続けた妻の、静かな人生逆転の物語。怒り|嫁姑|夫婦|修羅場2.3万字5 79 -
完結第12話
雨宮停留所の黄色い傘
私は六十二歳。幼いころから、ときどき人には見えない姿や声を感じることがある。 山梨の小さな町で叔母の家を片づけていたある雨の日、廃止された停留所の水たまりに、黄色い傘を差した少年が映った。 そこで出会った老女は、四十年近く前に失踪した息子を今も待ち続けているという。 「まだ帰れない」 少年が残した言葉を手がかりに調べ始めると、破り取られたバスの運行日誌、隠された手紙、そして家族が長年伏せてきた秘密が浮かび上がる。 あの少年は、いったい何を伝えようとしているのか。日常ホラー|ミステリー|真相|親子関係2.2万字5 39 -
完結第13話
返せなかった六百二十円
昭和二年、金融恐慌に揺れる東京・神田。銀行員の徳田美佐は、取り付け騒ぎのさなか、印刷所を営む父が請求した預金六百二十円だけを、自分の判断で留めてしまう。 給金を払えなくなった父の工場では職人が去り、父娘の間にも深い溝が生まれる。さらに銀行は「いつでも全額払える」と記した宣伝紙を配り、美佐が認めていない報告書には「確認済」の印が押されていた。 自分の過ちと、銀行が隠そうとする事実。美佐は職を失う覚悟で真相に向き合うことになる。時代|歴史|昭和|親子関係2.8万字5 96 -
完結第10話
「バカ息子」と笑う義父母、旅行中に息子夫婦が消えた
結婚五年目の立花はる子と夫の琢磨は、念願の新居を手に入れた。しかし、何の相談もなく押しかけてきた義父母が居座り、生活費も払わず、家事をすべてはる子に押しつけるようになる。 ある日、買い物から帰った二人は、義父母が自分たちを嘲笑し、子どものことまで侮辱しているのを聞いてしまう。 長年、親の暴言に耐えてきた琢磨が、初めて口にした「もう限界だ」という言葉。 正面から逆らえない夫を守るため、はる子は義父母に三泊四日の温泉旅行を贈り、その留守中に密かな計画を実行する。何も知らず帰宅する義父母を待つ、予想外の光景とは――。人生逆転|嫁姑|親子関係1.7万字5 508