"昭和32年、町中が機を止めた日に織り続けた73歳の女" 第2話
反の値段
夕方、息子の妻である苗が洗い物を終えて帰ってきた。歳の苗は、ヨシの息子・正吉の妻だった。正吉は、川の事現で落ちた材に挟まれてくなった。それからは信夫を育ててきた。
「薬さんへ、今いくら払えたんですか」
苗は台所にったまま聞いた。
「百円払った。残りはまた来週」
「反織って、それだけ?」
ヨシは値げされた封筒を見せた。苗はそのをのぞき、何も言わずに椀をねた。泣きたい顔ではない。るにも疲れた顔だった。
「賃ががることはっていたんでしょう」
「寄りいで聞いた」
「それならどうして」
ヨシは反物の端を巻き直しながら答えた。
「休んでがる値なら、とっくにがってる」
「って誰が言いました。フキさんたちは、続けて止めるつもりなんでしょう」
「続けたら、ここの米びつが空になる」
「仕事をしたって空になるんです。今の額じゃ」
苗はそこまで言ってを閉じた。元の板の割れ目に、が滴落ちた。信夫が奥でまた咳をした。
のでも値げの話は広がっていた。米の主は苗が買いにくと「おたくはまだがいているんでしょう」と言い、いつもよりしきな声で勘定を読みげた。苗は黙って代を払った。子どもを迎えに来た隣の女は、ヨシのの窓を見げてから目を伏せた。
広告
昼の音は壁を越え、止めている女たちのまで届く。ヨシ自は自分ののを消さないための仕事だとっていたが、ほかのには「沢の注文はまだいている」とらせる音だった。どちらが正しいかなど、の誰も裁いてはくれない。ただ音だけがとのを通り抜け、以は貸し借りできた醤油や針の話さえ、急にしにくくなっていた。
夜、ヨシは仏壇のの箱から古い針を取りした。正吉が学の、初めて自分ので修理した織の部だった。で番い具は織で、次にいのが糸を巻くための器具。にはも貯もほとんど残っていなかった。
昔は女たちがの縁側に集まり、織り終えた布を並べて来の良し悪しを比べた。ヨシはその頃からで仕げをやり直す癖があった。皆がく帰るでも、ヨシだけに残る。そうしていれば何とかなると信じてきた。
翌朝、坂ののに糸を取りにくと、沢の倉庫のには女たちが座り込んでいた。フキはに単価をき、その横に古い単価をきく並べている。
「百から百。円がる。ひとに反織れば、百円。そこから気代も炭代もすんです」
通りかかった男たちがを止めた。誰かが「まだ糸があるだけいい」とつぶやき、ミネがそちらを向いた。
広告
「糸があっても、腹は膨らまん」
ヨシが横を通ろうとすると、園子がちがった。子は今は背負っていない。
「昨、何反納めたの」
「反」
「単価はいくら?」
「百」
その答えに、同が顔をげた。フキは持っていたからをした。
「これで分かったでしょう」
ヨシは返事をしなかった。
「だから緒に戻って、と頼んでいるの。誰かだけすれば済む話じゃない」
そのとき倉庫の扉がき、沢が現れた。腕をまくり、首筋にい糸くずをつけている。
「皆さん、今いっぱい待ってくれませんか。向こうの問から、ここに来る注文も減っているんです」
フキはゆっくりとちがった。
「待つのは結構です。の賃で受けていた分をの額で払ってください。しい注文のことは、それから話しましょう」
沢は首を振った。
「納品の点で計算する決まりですから」
「決まりって、誰が決めたんです」
男はをきかけ、周りの顔を見て黙った。ヨシはその沈黙が気になった。ほんのまで、ここの糸を使えば必ず決まった額がもらえると信じていた。その約束の形を、誰がどこで変えたのか。
ところがヨシには考えるがなかった。病院から苗へ伝言が届いたのだ。信夫の息苦しさが続くなら、今週に町の医師へ診せたほうがいい。苗は届けに来たので何度も礼を言い、へって戻った。
フキの横にいた園子が、さな切れをヨシへ渡した。、隣ので糸巻きや織修理の仕事があればらせうための連絡先だった。誰かの分を奪うのではなく、以から必な仕事があるなら互いに頼む。そんなさな支えができないかと女たちは考えていた。ヨシはを見たが、「うちは丈夫」と返した。園子は無理に押しつけず、を自分の懐へ戻した。のちになってヨシは、そのいちばん先に断ったのはい仕事ではなく、のを借りるだったといす。
ヨシは糸を持ったままフキに言った。
「今度の分は織らない。今は」
「じゃなくて、話がつくまでよ」
「その先は約束できん」
フキはく息を吐いた。
「ヨシさん、あなたが昔から腕のいいだってことは分かってる。でも仕事を止めるのにも、腕がるのよ」
へ帰る途、ヨシは鍛冶ので釘の箱が積まれているのを見た。値札がしくなっていた。何もかもしずつくなるのに、自分ので作る物だけがくなる。そんな勘定を誰が考えているのだろう。
信夫は布団ので、学から借りた図帳をいていた。
「ばあちゃん、福井からの向こうって何があるの」
「だよ」
「その先」
「らないねえ」
信夫は笑った。ヨシは自分がこんな簡単な問いにすら答えられないのが、ひどく悔しかった。
広告
おすすめ作品
-
完結第12話
昭和46年、三日で逃げ帰った兄と消された就職記録
昭和46年、十五歳の正男は集団就職で東京へ向かった。しかし三日後、傷だらけで村に戻り、母に「家族を捨てるのか」と責められて家を追われる。それから26年。妹の美枝は、駅の記念展示を準備する中で、兄と一緒に旅立った少年三人の就職先が書き換えられた写真を発見する。約束された工場に入っていなかった少年たち、燃やされた契約書、口を閉ざす大人たち。なぜ兄は、次の就職列車を止めようとしたのか。長く「逃げ帰り」と呼ばれた帰郷の理由を、妹が追い始める。時代|歴史|昭和|絶縁|親子関係2.7万字5 3 -
完結第12話
昭和39年、給食費泥棒にされた少女
昭和39年、村の小学校で給食費9,600円がなくなったと騒ぎになり、11歳の岸田和子は担任から泥棒だと決めつけられた。無実を訴えても信じてもらえず、和子は転校を余儀なくされる。それから35年。廃校となった母校で古い出納簿を見つけた和子は、問題の給食費が事件の二日前に全額入金されていたことを知る。なぜ教師は、なくなっていないお金を盗んだと少女を責めたのか。食数の合わない給食記録、突然退職した調理員、沈黙する元同級生。忘れられた帳簿を手がかりに、和子は35年間隠されてきた学校の秘密を追い始める。時代|歴史|昭和|真相3.1万字5 348 -
完結第12話
昭和44年、終電後に消えた駅員――28年目に見つかった記録
昭和44年、長野県の小さな駅で働く杉原修一は、最終列車を見送った夜、8万6,400円の現金とともに姿を消した。父を泥棒と呼ばれながら育った娘の美緒は、28年後、取り壊しが決まった駅舎で古い駅務日誌を発見する。そこには、父が終電の55分後、赤いランプを持って七号橋へ向かったという不可解な記録が残されていた。運休したはずの貨物列車、書き換えられた帳簿、沈黙を守る関係者たち。父はあの夜、何を知り、なぜ帰ってこなかったのか。昭和の小駅に封じられた28年間の謎を追う、家族と真実の物語。時代|歴史|昭和|ミステリー|真実2.9万字5 271