"昭和46年、三日で逃げ帰った兄と消された就職記録" 第7話
が乗らなかった列
私は、母が払い続けたの方を調べた。計簿には毎千円、回で万千円と記されている。欄には『寮費の保証分』とさくいてあった。丹羽は、退職した兄の残債だと説したという。けれど、兄は陽精器の社員にすらなっていない。寮に何いたのかも、費用の内訳も曖昧だった。
「そのは、誰が取りに来たの」と母に尋ねた。
「最初は丹羽さん。あとから息子さんが来た」
「領収は?」
「もらっていないとう」
母は悔しそうに膝を叩いた。私は計簿を複写し、原本を母へ返した。
母はその々を覚えていた。「は千がをしただった。薬代を払ったあと、千円を用するのが変でね」。田畑を借りて作った野菜を売り、夜は内職で封筒を貼った。丹羽へ渡すを用するため、私の学の制を調せず、親戚から借りた古いものを直したという。私は、自分の袖だけがくて恥ずかしかった記憶をいした。それが兄のために請求されたとつながっていたとはらなかった。
「でも、正男を責めていい理由にはならないよ」と私は言った。母は頷いた。「分かっている。おがなかったから違えたんじゃない。怖いから確かめるのをやめたんだ」。初めて母が、自分のしたことを言い訳にしなかった。私はその変化を、静かに受け止めた。
広告
の回の支払いだけで罪を問えるとはわない。それでも、援会が保護者からを集めていたことは記録できる。
数、駅の展示で使用する写真の説文を作り直した。『名全員が陽精器へ就職』ではなく、『名が京。確認できる陽精器への入社は名。名の就業先について記録に相違がある』。担当者は渋い顔をしたが、会社から届いた回答文と当の種類の案内状を見せると、ようやく承した。
「確かめられたことだけをく。それなら展示できますね」
私は頷いた。兄が正しいと言い切るに、違っていた説をまず直す。それが自分にできる最初の仕事だった。
展示の準備をしていたとき、配の女性が訪ねてきた。隣の沢佳代さん。昭、兄たちの翌週に京へ向かう予定だったの母親だという。「この写真を見たら、いしてね」。彼女はさな茶封筒をした。には、の消印があるが残っていた。
『来週の発は取りやめてください。き先のを、直接たしかめてください。丹羽さんのだけを信じないでください』
署名はなかった。けれど、封筒にかれた所の字は、私が兄からもらった賀状の字と似ていた。
「誰からだといましたか」
「正男君だよ。本があとでそう言ってくれた」
広告
佳代さんの息子は当歳。駅をる、急に母親から就職を止められ、親子げんかになったという。「でも、ちゃんと会社に話したら、内定しているはずの名がないと言われたの。だからかせなかった」。
私は臓の音が聞こえるほど緊張した。「次のは、みんなかなかったんですか」
「は残って、ほかのは別の勤め先を確かめてから発したよ。そのは、今でも連絡を取りっている」
私は子に座り込んだ。兄はにっていたのだ。全員ではなくても、なくともを、同じからざけた。彼がで戻った理由が、初めて目に見える形になった。
佳代さんは続けた。「あの子は逃げてきたなんて言われて、かわいそうだった。うちの息子は助けてもらったのに、のに話すと丹羽さんがると聞いて、私も黙っていた」。
「どうして今、話してくださるんですか」
「もう隠す必なんてないから。それにね、正男君が族に褒められずに終わるのはおかしいとった」。
佳代さんは涙を拭き、を私に託してくれた。息子さんも、当のことを証言してよいと承諾しているという。
私は兄のへ向かった。の横で仕事終わりを待ち、姿が見えるとを差しした。「覚えてる?」。兄は封筒を見て、目を細めた。「捨てられてなかったのか」
。
「沢さんの息子さん、かずに済んだって。母親が直接会社に確認したんだって」
兄はく「ああ」と言った。
「兄ちゃんが止めたんでしょう」
「をいただけだ」
「それで、騙されずに済んだ」
兄はを返そうとしたが、私は受け取らなかった。「あなたがやったことを、ちゃんと残したい」。兄はしばらく空を見ていた。「そんなに派な話じゃない。平田を助けるために戻ったのに、もっとく気づいてやれなかった」。
「でも、次の子たちはにった」
兄の元がわずかに緩んだ。その顔を見て、私はようやく歳のころの兄と今の兄がなった気がした。
駅の記展示が始まった、私は写真のに訂正した説文を置いた。佳代さんのも、名を伏せて部を紹介した。見に来たのには「そういうことがあったのか」と驚くがいた。元学職員のは、覧が訂正されたことを確認してくれた。
展示へ寄せられたは、佳代さんのものだけではなかった。隣の男性からは「予定を変えて県内のへ就職した。あのとき正男君の話がなければ、条件を聞き直すこともなかった」という証言が届いた。別のは「丹羽さんの悪を言うと仕事を紹介してもらえないとった」といてきた。見はそれぞれ違ったが、兄の警告が実際に伝わっていたことは確かだった。
私は展示の片隅に来館者用のノートを置き、記憶に残っている来事をいてもらった。噂と事実を混ぜないために、名を公表するかどうかも本に選んでもらった。ある配の男性は、ページをめくったあと「俺たちは正男に、根性なしと言ってしまった」といた。私は、その文字を消さずに残した。責めるためではない。がどうやってつの噂を信じ、広めてしまうのかも、町の歴史だからだ。
その夜、兄からい話が来た。「展示、見たよ」。
「どうだった?」
「のき先が、正しくいてあった。それでいい」
初めて兄の方から話を切らずに話してくれた。
だが、翌朝、図へ封が届いた。差は丹羽弘の会社。『方な報に基づく展示は当社創業者の名誉を傷つける恐れがある』という抗議だった。末尾には、展示を改めなければ法対応を検討するとかれていた。
私はその封を持ち、展示へ向かった。すると写真のに、見らぬ老男性がっていた。彼は説文を読み終えると、私に言った。
「まだりないな。あの子らの料が、誰の座に入ったかも調べなさい」
広告
おすすめ作品
-
完結第16話
75万円を借りに来た私に、銀行が告げた65億円の秘密
十四年間、洋服直しの仕事を続けてきた石田牧は、自分の店を開くため、不足する75万円を借りに銀行を訪れた。ところが支店長から告げられたのは、自分に約65億円の信託財産があるという信じがたい事実だった。亡き母は大手物流会社の創業家の娘だったという。なぜ母は貧しい暮らしを選び、巨額の財産を隠し続けたのか。戸惑う牧の前に、初対面の叔父が現れ、21億円で株式を買い取ると申し出る。突然手にした財産の裏には、家族が長年隠してきた秘密と思惑があった。真実|第二の人生|親子関係|金銭問題2.3万字5 23 -
完結第12話
朝霧湯、最後の暖簾
昭和48年の暮れ。信州の小さな銭湯「朝霧湯」は、石油危機による灯油不足で休業の危機に追い込まれていた。主人の島田正一は、わずかに残った燃料と娘の進学費用を前に、店を閉める決断を迫られる。だが、風呂のない長屋に暮らす老人たちにとって、朝霧湯は欠かせない場所だった。妻の澄子や娘の千絵、商売敵だった銭湯の主人までが動き出すなか、正一は最後の一度だけ湯を沸かすことを考え始める。家族の暮らしを守るか、長年通い続けた客を迎えるか。昭和の町に生きた人々の葛藤と温もりを描く物語。時代|歴史|昭和|第二の人生|介護2.5万字5 0 -
完結第10話
手取り23万円の俺、旅館で妻が「お嬢様」と呼ばれた
手取り月23万円のトラック運転手・中村和也は、妻の彩佳と娘の結衣を何よりも大切にしていた。幼い頃、亡き父と交わした温泉旅行の約束を果たすため、毎月五千円を五年間積み立て、ようやく三十万円を貯める。結婚記念日に彩佳が選んだのは、山奥に佇む名門旅館「月影楼」。質素な暮らしの自分たちには場違いに思えたが、玄関に到着した途端、従業員が彩佳に深々と頭を下げた。「お嬢様、お帰りなさいませ」。妻が長年隠してきた過去とは何なのか。家族への愛と、思いがけない運命の再会を描く物語。人生逆転|夫婦|第二の人生|親子関係2.4万字5 107 -
完結第13話
昭和32年、町中が機を止めた日に織り続けた73歳の女
昭和32年、越前の織物町。工賃の値下げに抗議して女たちが一斉に機を止めるなか、73歳の坂井ヨシだけが織り続けていた。ぜんそくを患う孫の薬代を稼ぐためだった。しかし、納めた布の工賃は一方的に減らされ、仲間からは「裏切り者」と見なされてしまう。さらに急ぎの注文を引き受けたヨシは、傷ついた指と返せない手付金に追い詰められていく。家族を守るために働くことが、なぜ仲間を苦しめるのか。時代|歴史|昭和|第二の人生|絶縁2.8万字5 41 -
完結第12話
昭和39年、給食費泥棒にされた少女
昭和39年、村の小学校で給食費9,600円がなくなったと騒ぎになり、11歳の岸田和子は担任から泥棒だと決めつけられた。無実を訴えても信じてもらえず、和子は転校を余儀なくされる。それから35年。廃校となった母校で古い出納簿を見つけた和子は、問題の給食費が事件の二日前に全額入金されていたことを知る。なぜ教師は、なくなっていないお金を盗んだと少女を責めたのか。食数の合わない給食記録、突然退職した調理員、沈黙する元同級生。忘れられた帳簿を手がかりに、和子は35年間隠されてきた学校の秘密を追い始める。時代|歴史|昭和|真相3.1万字5 355