"車椅子の妻を離島に置き去り――船上の夫が見たもの" 第8話
置きり
「啓介!」。私は声を張った。夫はを止め、ゆっくりと振り返った。私が坂の途までりてきたのを見て、驚いた顔をしたのは瞬だった。すぐに眉を寄せ、で戻ってきた。「勝にくなと言っただろ。転んだらどうする」。その言葉が配からたものではないことは、夫の目を見れば分かった。
「私の話を返して。帰りのに乗せて」。私は子のブレーキをかけ、夫の顔を見げた。啓介は肩に掛けた鞄をき、私のスマートフォンを取りした。返してくれるのかとったが、夫は画面を確かめてから自分のポケットへしまった。「反省するまで無理だ。あのを俺に任せると約束しろ」
「賠償は私の治療と活のためのものよ。あなたに渡さない」
夫はさく笑った。「じゃあ、できてみればいい。俺がいないと何もできないくせに」。私はもう度話を求めたが、啓介は私のを払い、財布も自分の着へ押し込んだ。通りかかったがいないか振り返ると、夫は私の子を坂の脇へ寄せた。転がり落ちないようにというより、の央から見えにくくするためのきだった。
「の朝になって、俺のありがたみが分かったら連絡してやる」。夫は矛盾したことを平気で言った。連絡段を奪ったのは自分なのに、私から連絡できるとでもっているのだろうか。
広告
私は「その言葉を覚えておく」とだけ答えた。啓介はで笑い、港へりした。夫の背は度も振り返らなかった。
着きからエンジンの音ががった。私は坂の脇に子を固定し、息をえた。ここで慌ててり坂をめば、転倒してしまう。けれど港の管理はもうし先だ。私は子の向きを慎に変え、のひらで輪の回転を抑えながらった。途で度、輪が砂利に取られた。肩の筋肉が震え、腕が痺れたが、焦らず止まって姿勢をて直した。
港の平らな面へたとき、はすでに桟かられ始めていた。乗は閉まり、太い綱が巻き取られている。私は港の端につを見つけた。啓介だった。夫は私の鞄を肩に掛けたまま、こちらを見ていた。驚いているようにも見えたが、が戻らないと分かると、元を歪めてさくを振った。
私はを振り返さなかった。泣き叫んで引き返してもらうつもりもなかった。のの夫は、私がもう度助けを求めるとっているだろう。そのい込みこそが、今まで私を黙らせてきたものだった。私は夫から線をし、港の管理の扉を確かめた。ガラス越しには見えないが、奥に灯りがついている。
私は座面のの収納袋をけ、緊急端末を取りした。赤いボタンの保護カバーをげ、画面にの受信表示がるのを待つ。
広告
何も起きないように見える数秒がかった。やがてさな表示が変わり、送信準備がった。私は端末を胸元へ寄せ、決められた順で救助請を送った。
画面には「送信」とたまま、しばらく変化がなかった。私は焦らず、空がけた位置で端末を保持した。波の音がくなり、はさらにざかる。ようやく「送信完」の表示が現れたとき、私は息を吐いた。姉へ登録した緊急連絡先にも通が届くはずだった。けれど助けが来るまで、ここで待つだけでは体がえる。
管理へ向かうには、桟脇のすりに沿ってい段差を越える必があった。私は子の輪を見つめた。介助なしで乗り越えようとすれば危険だ。だがすりの横には、舗装された平らな通もある。そこへ移るには、子をしだけ寄せる必があった。私は収納袋から装具を取りした。
のデッキで、啓介がこちらを見ているのが分かった。私は膝のベルトをつずつ締め、すりへを伸ばした。ちがることは、歩いて逃げるためではない。全な位置へ移り、ここにいると示すためだった。
広告
おすすめ作品
-
完結第10話
手取り23万円の俺、旅館で妻が「お嬢様」と呼ばれた
手取り月23万円のトラック運転手・中村和也は、妻の彩佳と娘の結衣を何よりも大切にしていた。幼い頃、亡き父と交わした温泉旅行の約束を果たすため、毎月五千円を五年間積み立て、ようやく三十万円を貯める。結婚記念日に彩佳が選んだのは、山奥に佇む名門旅館「月影楼」。質素な暮らしの自分たちには場違いに思えたが、玄関に到着した途端、従業員が彩佳に深々と頭を下げた。「お嬢様、お帰りなさいませ」。妻が長年隠してきた過去とは何なのか。家族への愛と、思いがけない運命の再会を描く物語。人生逆転|夫婦|第二の人生|親子関係2.4万字5 239 -
完結第20話
五歳で売られた天才少女、悪意を嗅ぎ分け父を救う
母を亡くした五歳の少女・ゆえんは、祖母に五百元で売られそうになり、父・陸長風を探すため村を脱出する。悪意を異臭として感じ取り、難解な数式や医学の知識まで理解する不思議な力を持つ少女は、旅の途中で国防研究所の主任を救い、省都の名門・陸家へたどり着く。しかし、父は極秘任務のあと消息を絶っており、母が遺した銀の首飾りには国家機密に関わる秘密が隠されていた。迫りくる敵の魔の手、そして謎に包まれた父の行方。小さな天才少女が、その知恵と勇気で運命を切り開いていく。因果応報|人生逆転|祖父母と孫2.2万字5 71 -
完結第14話
50人ドタキャンで廃業寸前、そこへ現れた意外な客
父から受け継いだ居酒屋「二鉄」を守るため、会社を辞めた32歳のテツ。廃業寸前の店に舞い込んだのは、元同僚・真治からの50人貸切予約だった。ところが宴会開始30分前、真治は突然の全員キャンセルを告げ、支払いまで拒否する。大量の料理を前に途方に暮れるテツ。そのとき、「今から50人入れますか?」と一人の青年が駆け込んできた。職場逆転|裡切られた|怒り|金銭問題|修羅場1.7万字5 852 -
完結第18話
時給1111円で高齢者5人を雇った結果
父から受け継いだラーメン店が、大手チェーンに客を奪われ閉店寸前。店主の赤坂明のもとへ、職を失った高齢者五人が「働かせてくれないか」と訪ねてきた。明は時給1111円で全員を採用する。すると、元工場勤務、教師、タクシー運転手など、五人が長年培ってきた経験が思いがけない力を発揮し、店は少しずつ活気を取り戻していく。しかし、その変化を面白く思わない競合店の店長が、次々と妨害を仕掛け始める。感動|職場逆転|人生逆転|金銭問題2.1万字5 662 -
完結第15話
110億円を相続した妻を捨てた夫――30億円の誤算
亡き叔父から110億円もの遺産を相続した美桜は、経営難に苦しむ夫・達也を救おうと、書類を抱えて帰宅する。ところが家の中から聞こえてきたのは、姑と夫が自分を追い出し、裕福な社長令嬢との再婚を企む会話だった。持参金5000万円に目がくらんだ夫は、慰謝料も財産分与も払わず離婚を迫る。美桜は静かに離婚届へ署名し、家を後にする。しかし、夫の会社を長年支えてきた30億円の信用枠には、本人さえ知らない重大な秘密があった嫁姑|夫婦|相続|金銭問題2.4万字5 751 -
完結第20話
5000万円の新居に義両親が無断で引っ越し――夫の嘘
実家の両親から五千万円の援助を受け、念願の新居を購入した。夫の健太とは親との同居をしないと約束し、二人だけの新生活を始めるはずだった。ところが引っ越し当日、義両親のベッドやタンスを積んだトラックが突然到着する。「今日から俺の親も住む。親孝行は当然だろ」と言い放つ夫。彩佳の同意もなく進められていた同居計画には、夫が隠してきた嘘があった。人生逆転|裡切られた|嫁姑|夫婦|相続|金銭問題|修羅場2.3万字5 809 -
完結第10話
四年分の介護記録
四年間のシンガポール赴任を終え、出世を手に帰国した52歳の高橋健一。胸には、妻・由美に突きつけるための離婚届があった。 しかし帰宅した彼を待っていたのは、真っ白な髪と痩せ細った体に変わり果てた妻、そして半年前に亡くなった母の仏壇だった。 重度の認知症を患った義母を、たった一人で介護し続けた由美。夫が毎月送った30万円では到底足りず、彼女はすべてを犠牲にしていた。 そして由美が差し出した四年分の介護記録と、亡き母が残した最後の遺言が、健一の人生を大きく揺るがしていく。嫁姑|夫婦|親子関係|介護1.7万字5 770