みかん小説
本棚

"朝霧湯、最後の暖簾" 第6話

娘の封筒

翌、千絵は学の帰りに、町の職業相談所へ寄った。

駅の建物はがく、廊で待つたちは皆、襟をてていた。窓で護学の学費について尋ねると、担当者は奨学の種類と返済条件を説してくれた。

「すぐに結果がるものばかりじゃないですよ。願の締め切りも確認してね」

「はい」

千絵はメモを取った。入学、授業料、寮費、教材費。計をくと、父がなぜ学費のことをにしたのか分かった。の帳面を見せてもらわなくても、々の卓の会話だけで苦しさは伝わっていた。

千絵は、学から貯めていた通帳を持っていた。祖母の遣い、お玉、休みに親戚の畑を伝ってもらった。たいした額ではないが、いつか学へくために使おうと決めていた。

帰宅すると、父は釜で具箱をいていた。

「お父さん。これ」

千絵は通帳を渡した。

正は表を見ただけで分かった。

「返せ。そんな、いらん」

「聞いて。全部使えっていうんじゃないの。必なときに、私にもできることがあるって言いたいだけ」

「のと、おのは別だ」

「でも族でしょう」

「だからこそだ!」

正の声がいがけずきくなった。千絵はびくりとした。父は自分の声に驚き、具を置いた。

「悪かった」

その言に千絵は目を見張った。父がこんなふうに先に謝ることは、めったになかったからだ。

広告

正は通帳を娘に返した。

「おが貯めたは、おのために使え。が苦しいからって、子どもの先を燃やすわけにはいかん」

千絵はしばらく黙っていた。

「じゃあ、私が役につことは何もないの?」

正は答えに迷った。そのとき、澄子が横から言った。

「あるわ。私じゃ、のを全部回りきれないの。誰がどのに呂へけるか、聞いてきてくれない?」

千絵は顔をげた。

「うん。それならできる」

その晩、千絵は護学を志した最初ののことをいしていた。

学の、祖母が肺炎で入院した。付き添った母は、夜遅くなるまで廊の子に座っていた。祖母が苦しそうに息をすると、千絵は何もできずに戸で泣いた。病棟の護婦がづき、「ここに子を持ってこようか」と言った。何か特別な治療をしたわけではない。けれど、そのが子をつ運んでくれたことで、千絵は祖母のそばにいられた。

千絵は帰りで父に言った。

「私も、ああいうになりたい」

父はそのとき、何も尋ねず「なればいい」と答えた。

今になって千絵は、父がどんないで自分を学へかせようとしていたのかを考えた。朝湯は両親のそのものだった。そこで働かない娘を育てて、いつかをしてやりたいとっていたのかもしれない。

翌朝、学で担任に相談すると、先は奨学の説をもう度ゆっくりしてくれた。

広告

借りたら返さなければならないもの、卒業のに条件のあるもの。どれも簡単な話ではない。

「が変だからやめる、とだけ考えないで」と先は言った。「学してから働くもある。あなたが何をしたいかを、まずはっきりさせましょう」

千絵はうなずいた。父の代わりにを守るつもりはなかった。でも、父がで悩んでいるのを見ないふりすることもできない。そのつは、同じことではない。

へ帰ると、澄子が湯桶を洗っていた。千絵はろから言った。

「お母さん。私、学へくよ」

「そうしなさい」

「でも、卒業するまで何もできないわけじゃないから、できることはやる」

澄子は振り向き、笑った。

「じゃあ、緒に町を回ってくれる?」

午、千絵は帳を持って坂のを回った。ウメは曜と曜なら午にを空けられる。園田夫婦は暗くなるに帰りたい。島は歩けるが、寒いのでは息が切れるという。

別のでは、さい子を連れた母親が、夫の仕事が終わるのを待たなければできないと話した。千絵は皆の希望を聞くたび、朝湯へ来る理由が同じではないことをった。

「入れれば何でもいい」というはいなかった。転ぶことが怖い。夜が怖い。りいに会えるのが唯の楽しみという。で体を洗うためのを運べない。

千絵が戻ると、澄子は玄関先にきなを広げた。で帯を分けて、利用しやすい曜をまとめた。

正は眺めながら言った。

「これだけ希望が違うのに、軒でどうするんだ」

「だから相談するの」と澄子が答えた。「全部をかなえるためじゃない。まず、誰もお呂に入れない週をなくすため」

正は、の端を押さえた。

の朝、正、澄子、宮田のは役を訪れた。瀬が用した部には、町の福祉担当と交通担当の職員もいた。

宮田が先に現状を話した。朝湯も燃料が減り、末始の営業が難しい。正がそれに続いた。

「朝湯は、からしばらく釜を止めるしかないとっています。ただ、坂には呂のないがい。そこだけは何とかしたい」

福祉担当の女性が、千絵の作った表を見た。

「帰りの交通が番の問題ですね。が毎はせませんが、決まったにまとめて送る方法なら検討できます」

「運転はどうするんですか」と宮田。

「町のだけではりないので、既の交通事業者にも聞く必があります。勝にを乗せて営業するわけにはいきませんし、費用も考えなくては」

正はうなずいた。湯を沸かすだけでも難しい。を移させるにも、燃料と働くがる。

それでも、誰かが初めて具体な話を始めていた。

帰り際、瀬が正に声をかけた。

「島田さん。の営業はできますか。朝湯はその、釜の点検で休むそうです」

正は正直に答えた。

「まだ分かりません。残量を測り直して、備のにも確認してから決めます」

「けられないなら、そう言ってください。無理にけて事故が起きるのが番いけない」

正はくうなずいた。

その夜、千絵は宿題を終えての戸を閉めた。玄関に貼られた休業のので、ウメが、待っていた。

「お母さんに、お礼だけ言おうとってね」

「何のお礼?」

「今度、朝湯にけるを調べてくれたんだろう。私らのことを忘れてなかった。それだけで嬉しいよ」

千絵は何も言えなかった。

ウメが帰ったあと、彼女はの余にさくきした。

『お湯のないも、朝湯に声をかけてください』

それを見た正は、今度は何も言わなかった。そこへ、久保田燃料から再び話がかかってきた。

「島田さん。朝、タンクの残量を緒に確認させてください。全に使える量がどれほどあるか、備の者にも来てもらいます」

正は受話器を握り直した。

「どうした。急に」

「残りを使い切る営業になるかもしれないでしょう。見込みだけで焚いてもらいたくないんです」

話が切れたあと、正は妻と娘を呼んだ。

「の朝、残った油を測る。に最の湯を沸かすかどうか、そこで決める」

澄子が尋ねた。

「そのあとは?」

正は答えられなかった。

を最に朝湯の簾をろすことも、もう現実の選択肢になっていた。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: