"消えた路地の矢印" 第11話
昭391010、京オリンピックの会式のが来た。
朝から空はよくれ、ラジオは何度も会式の予定を伝えていた。にはしい標識が並び、駅では案内係がの流れをえていた。事が終わった所には、塗りたての線がっている。国から来た々を迎えるため、先の板に英語を添えた商もあった。
俊は、会社から現の最終点検を任されていた。しい幹線の標識は、予定どおり設置されている。の流れも、事より滑らかになった。交差点では警察官が交通理をし、歩には以よりくのが歩いていた。
「は、ちゃんと役にっているな」
杉が言った。
俊は頷いた。広いを必としていたのは、役所だけではない。荷物を運ぶ運転も、事のときに消防を待った民も、くから来るを迎える商も、しいを使っていた。が広がったことで、危険が減った所も、確かにあった。
それでも、俊は午6を過ぎるに、松稲荷の裏へ向かった。のには、診療所へく女性がっていた。案内板の「8〜18」という文字を読み、腕計を見ている。
「もうすぐ閉まるんですね」
「はい。こちらは閉まります。表通りからなら、診療所へけます」
俊が説すると、女性はし迷ったあと、表通りへ向かった。
広告
回りにはなるが、がないわけではない。案内板は、通れると通れないを、隠さず示す必があった。
そのとき、国の男性が図をに、俊へ声をかけた。片言の本語で、くの郵便局を探しているらしい。俊は会社の標識図を見せたが、図には郵便局の入までの細いが載っていなかった。
「こちらです。表通りを渡って、次の角をへ」
俊はゆっくり説した。男性は何度も頷き、案内板を見て歩き始めた。し先で、青果の本が先からてきて、振りを交えてもう度を教えた。
公式の標識がの骨格を示し、町のが、その先にある細部を補っていた。
午になると、会式を見にくたちが駅へ向かい、の流れはいつもより速くなった。俊が交差点の標識を点検していると、配の男性が案内板ので何度も図をき直していた。男性は、以のを通って郵便局へくつもりだったらしい。古い順を覚えていたため、しい歩ができても、曲がる角をひとつ違えていた。
俊が声をかけると、男性はし困ったように笑った。
「ではが変わったとわかっているんだが、がのを覚えていてね。気づくと、いつもの角を曲がってしまう」
俊は、公式の案内板だけでなく、くのの板を目印にしてを説した。
広告
男性は今度こそ頷き、ゆっくり歩きした。しいに慣れるには、図を覚えるだけではりない。何度も歩き、体がしい曲がり角を覚えるまで、誰かの助けが必なのだ。
その、直子が刷った案内札を見た商の客が、移転した枝活版所へ注文を届けに来た。源治は、以のをる客がしい所まで来てくれたことに驚き、注文票を丁寧に受け取った。町のたちが作ったさな図は、失われた所を元に戻すことはできないが、そこで続いていた関係を、しだけしい所へ運んでいた。
昼過ぎ、俊は枝活版所の移転先を訪ねた。は以より狭くなり、印刷は2台に減っていた。の補がにわず、い械のひとつは処分せざるを得なかったという。壁には、移転のらせを刷ったが貼られていた。しい所のに、さく「旧・鳥越松横丁」とかれている。
源治は、来客用の子をひとつ増やし、帳簿を理していた。
「仕事は減りましたか」
俊が聞くと、源治は正直に答えた。
「減った。くなったと言って、注文をやめた客もいる。職もひとり辞めた。だが、しい仕事も来た。区の案内図を刷る話があるらしい。町のの所が変わったから、案内を作り直したいそうだ」
源治は、壁にてかけた古い板を見た。枝活版所の文字は、移転のために度され、端の塗料がし剥がれていた。
「この板は、ここへ持ってきた。の所には似っていたが、今のにはしきすぎる。それでも、捨てる気にはなれなかった」
「しい所でも、見つけてもらえるようにしましょう」
俊が言うと、源治は笑った。
「それが、標識の仕事か」
「なくとも、僕がやりたい仕事です」
直子が奥から、刷りがったさな案内札を持ってきた。町内会の依頼で作ったもので、診療所、郵便局、青果、移転した活版所の位置が簡単な線で示されていた。はいものだったが、矢印ははっきりしている。
「これを、診療所と商の入に置くことになりました。役所の図には入りきらないも、これならけます」
俊はその札を受け取った。正式な標識ではない。の名も、距も、ローマ字もない。けれど、誰がどこへきたいのかを考えて作られていた。
夕方、彼は松稲荷の裏へ戻った。通の入には、民が交代で点検した記録が貼られていた。放は守られ、のに荷物が置かれることもなかった。すべてが順調だったわけではない。のにはが溜まり、荷を通してほしいと頼むもいた。そのたびに、町内会は説し、別のを案内した。
しいをがり抜けていく。くでは、オリンピックの会式を見たたちが、テレビの話をしていた。
町は確かに変わっていた。
俊は、案内板の端を指で押さえ、で緩んだ釘を打ち直した。彼の描いた矢印は、テレビにも聞にも載らない。会の記録にも残らないだろう。
それでも、そのも何ものが、矢印を見て診療所へ向かい、買い物へき、仕事へ歩いていった。
夕方、枝活版所には、移転先の所を尋ねる客がもうひとり訪ねてきた。客は古いの所をっていたが、しいの位置はらなかった。直子が刷った案内札を渡すと、客はそので順を確かめ、翌週の注文を頼んだ。源治は注文票にしい所をき、し考えてから、古い名の横に「移転」と付け加えた。
「の所がなくなったことを、なかったことにはできない。だが、今の所がわかるようにすることはできる」
源治は、俊に向かってそう言った。俊は、彼が初めて移転を受け入れたのではなく、移転の暮らしを自分のでえ始めたのだとった。
夕方、枝活版所には、移転先の所を尋ねる客がもうひとり訪ねてきた。客は古いの所をっていたが、しいの位置はらなかった。直子が刷った案内札を渡すと、客はそので順を確かめ、翌週の注文を頼んだ。源治は注文票にしい所をき、し考えてから、古い名の横に「移転」と付け加えた。
「の所がなくなったことを、なかったことにはできない。だが、今の所がわかるようにすることはできる」
源治は、俊に向かってそう言った。俊は、彼が初めて移転を受け入れたのではなく、移転の暮らしを自分のでえ始めたのだとった。
都がしくなるというのは、ただくから見て美しいことではない。そこにむが、も自分のきたい所へけることなのだと、俊はしだけわかった気がした。
広告
おすすめ作品
-
完結第20話
死んだ母を名乗る女
母を亡くして二年。三十歳の浅沼美咲は、空き家となった実家を片付けている最中、郵便配達員から思いがけない言葉を告げられる。「先月もお母様にお会いしましたよ」。亡くなったはずの母を名乗り、郵便物を受け取っている女がいるというのだ。家の中に残された生活の痕跡、天井裏から聞こえる不審な物音、そして母宛てに繰り返し届く現金書留。兄とともに調べ始めた美咲は、疎遠だった叔母の影と、母の遺産をめぐる不穏な思惑に気づく。死者の名を使ってまで隠そうとした秘密とは。真相|親子関係2.3万字5 18 -
完結第20話
シャッターを切らなかった日
昭和46年、水俣。写真館で働く17歳の村瀬航一は、町の現実を新聞に伝えようと、仕立て屋の橋本夏枝にカメラを向ける。しかし、彼女から「撮らないで」と拒まれた後、以前撮った手の写真が本人の了承なく新聞に掲載されてしまう。その一枚は夏枝の仕事と暮らしに思わぬ影響を及ぼした。工場で働く父、被害を訴える住民、善意で支援する人々。それぞれの事情に触れるなかで、航一は問い始める。人の苦しみを伝えることと、その人の人生を勝手に語ることは、同じなのだろうか。激動の昭和を背景に、写真と人間の尊厳を描く物語。時代|歴史|昭和|真相2.7万字5 38 -
完結第12話
朝霧湯、最後の暖簾
昭和48年の暮れ。信州の小さな銭湯「朝霧湯」は、石油危機による灯油不足で休業の危機に追い込まれていた。主人の島田正一は、わずかに残った燃料と娘の進学費用を前に、店を閉める決断を迫られる。だが、風呂のない長屋に暮らす老人たちにとって、朝霧湯は欠かせない場所だった。妻の澄子や娘の千絵、商売敵だった銭湯の主人までが動き出すなか、正一は最後の一度だけ湯を沸かすことを考え始める。家族の暮らしを守るか、長年通い続けた客を迎えるか。昭和の町に生きた人々の葛藤と温もりを描く物語。時代|歴史|昭和|第二の人生|介護2.5万字5 158 -
完結第12話
昭和46年、三日で逃げ帰った兄と消された就職記録
昭和46年、十五歳の正男は集団就職で東京へ向かった。しかし三日後、傷だらけで村に戻り、母に「家族を捨てるのか」と責められて家を追われる。それから26年。妹の美枝は、駅の記念展示を準備する中で、兄と一緒に旅立った少年三人の就職先が書き換えられた写真を発見する。約束された工場に入っていなかった少年たち、燃やされた契約書、口を閉ざす大人たち。なぜ兄は、次の就職列車を止めようとしたのか。長く「逃げ帰り」と呼ばれた帰郷の理由を、妹が追い始める。時代|歴史|昭和|絶縁|親子関係2.7万字5 221