"貧乏なふりで結婚挨拶へ――彼女の父に正体を見抜かれた" 第9話
貧しいふりをした本当の理由
父は肩で息をしながら、ち尽くしていた。
「俺はおのために、何もかけて血の滲むようないでレールを敷いてきたんだ!」
「分かっています」
「分かってなどいるものか!」
「だから、聞きに来たんです」
私は父の目を真っ直ぐに見返した。
「父さんが、どうしてそこまで俺に会社を継がせたかったのか。その本当のいを、俺は度も聞いてこなかったから」
父が瞬、狼狽したように元を引き結んだ。
「そのに……つだけ、俺の質問にも答えてください」
「何だ」
「父さんは、俺が神グループに入社してから辞めるまでの、ただの度でも俺に尋ねてくれたことがありましたか? 『おは本当は何がやりたいんだ』と」
沈黙が、く部を満たした。
「俺がどんな技術を学び、どんな械を作り、どんなを歩みたいのか。父さんは度でも俺に聞いてくれたことがありましたか?」
「……おは、神の跡取りだからだ」
「それが、父さんの答えでしたね」
私は穏やかに言った。
「父さんののにあったのは『神グループの続』だけで、そこに従属する俺の個の志なんて、最初からしていなかった。だから俺は、息が詰まって逃げしたんです」
父の瞳が、微かに揺らいだ。
「でもね、父さん。逃げした俺も、結局は父さんと同じでした」
「……何?」
広告
「俺もまた、父さんの背負ってきた圧や苦しみを、度も理解しようとしなかった。『このは自分の権力とメンツを守りたいだけの独裁者だ』と決めつけて、対話を放棄して背を向けた。……俺たち、とも相の話を何つ聞こうとしていなかったんですよ」
父は力なく子へ沈み込んだ。
張り詰めていた気のトゲが、すうっと抜け落ちていく。
い沈黙の末、父は線を窓のの摩楼へと投げた。
「……俺が親父からこの会社を継いだ、神は従業員らずの、油まみれのさな請けだった」
昔話など滅にしない父のから、掠れた声が零れした。
「毎末の形の決済に怯え、に座し、取引先の無茶な求にをげ続けた。従業員の料を払うために、自宅を担保に入れたことすらある。……会社を潰せば、社員とその族がに迷う。俺ののには、それしかなかった」
「……うん」
「会社がきくなればなるほど、のが信じられなくなった。いつ乗っ取られるか、いつ裏切られるか……。だから、最に信じられるのは血を分けた族だけだとい込んでいたんだ。おを技術の現に叩き込んだのも、現をるい経営者に育てげたかったからだ」
父は自嘲するようにさく笑った。
「……おが何をやりたかったかなど、考える余裕すら持てなかった。
広告
それが本音だ」
初めて聞く、父の音だった。
その言を聞けただけで、私の胸ので何も氷結していたわだかまりが、静かに溶けしていくのをじた。
「だからといって、今すぐ俺が父さんの継者になるわけにはいきません」
「……分かっている」
「俺は今の会社で、自分の腕を試す仕事が好きなんです。現に最もい所で、臭く械を設計するき方がっている」
「フン……相変わらず青臭いことを言う」
悪態をつきながらも、父の元には微かな苦笑が浮かんでいた。
私はテーブルのの提案を、父のへ押しした。
「これを置いていきます。すぐに受け入れろとは言いません。気に入らない点があれば、何度でも議論に来ます。もう度と、黙って逃げしたりはしませんから」
ちがり、ドアへ向かって歩きした、背から父の声が追ってきた。
「優馬」
振り返ると、父は類に線を落としたまま、ぽつりと尋ねてきた。
「……今の仕事は、楽しいのか」
息が止まりそうになった。
私の仕事について、父が興を示したのは、でこれが初めてだった。
「楽しいよ」
私は胸を張って答えた。
「料は、神にいた頃の半分以だけどね」
「そうか」
父はそれだけ言って、静かに鏡をした。
本社ビルをた、見げた晩の空はどこまでもく、澄み渡っていた。
私は神を捨てたのではない。
神にまれた自らのルーツを認め、引き受けたで、対等なのとして向きい始めたのだ。
その数、私は希に連絡を取り、かつてでよく歩いた公園のベンチで再会した。
自販で買った温かいミルクティーを本買い、本を彼女のに渡す。
私は、父とので交わした会話のすべてを、ありのままに話した。
本社へ乗り込んだこと、継者にはならないと告げたこと、部の株主として改革を提案したこと、そして父の孤独と本音に初めて触れたこと。
「最にね、今の仕事が楽しいかって聞かれたんだ」
希が目を丸くした。
「お父さんが……? 何て答えたの?」
「楽しいって答えたよ」
希の元から、ふっと柔らかな笑みがこぼれた。
あの以来、初めて見る彼女のからの笑顔だった。
だが、私はそこでするわけにはいかなかった。
「希。もうつだけ、君に話しておかなければならないことがある」
彼女が静かに私を見つめ返す。
「俺が……あの、貧しいふりをして君の実へ乗り込んだ、本当の理由だ」
「お目当てで寄ってくるのが嫌だったから、じゃないの?」
「それもある。でも、もっとく突き詰めれば、俺自が極度に臆病だったからだ」
私は、自分のの奥底に巣っていた醜いエゴを、容赦なく言葉にした。
「が変わっていくのを見るのが、怖かったんだ。神の名をった途端に、の目つきや態度が豹変するのを何度も見てきた。だから俺は、『相が変わらない状況』を、最初から自分に都よく作りそうとしていたんだよ」
希は黙ってを傾けていた。
「神の柄を隠して、冴えない普通のサラリーマンだとい込ませておけば、君は俺の目当てで態度を変えることはできない。その状態で俺を好きでいてくれるなら、俺は傷つかずに済む。……それってね、君の純粋さをしていたんじゃなくて、君から正しい判断材料を奪って、自分の都のいいようにコントロールしようとしていただけだったんだ」
私はくをげた。
「俺は君を信じているつもりで、その実、誰よりも君のことを信用していなかった。自分のプライドを守るために、君の尊厳を踏みにじったんだ。本当に……ごめんなさい」
い沈黙が流れた。
が吹き抜け、枯れ葉が元をカサカサと鳴らしながら通り過ぎていく。
希はすぐに「許す」とは言わなかった。
それでよかった。そんなっぽい言葉で片付けられていい過ちではない。
やがて、希が静かにをいた。
「私ね」
「うん」
「貧乏な優馬が好きだったわけじゃないのよ」
私は顔をげた。
「もちろん、持ちの御曹司の優馬が好きなわけでもない。
そんなの、どっちでもよかった」
希はし悪戯っぽく微笑んだ。
「私はね、全部を引っくるめた、ありのままの神優馬っていうと付きいたかったのよ。柄に苦しんで会社をびした過も、器用なお父さんと喧嘩ばかりしているところも、それでも臭く図面を引いている今の仕事が好きなところも……その全部を含めて、あなたというをしたかった。……なのに、あなたが半分を隠して嘘をついていたから、私はあなたの本当の姿と会うチャンスすら奪われていたのよ」
息が詰まるほど、その言葉が胸に沁みた。
「まだ、完全に許したわけじゃないからね」
「分かってる」
「失った信頼は、謝ったからってで戻るものじゃないんだから」
「ああ、々承してる」
希はベンチのに置いていたを、そっと私のの甲のへとねた。
温かい体温が、じんわりと皮膚を通して伝わってくる。
「でもね……逃げずにお父さんと向きって、私にも全部話してくれたことは、素直に嬉しかったよ」
その、私たちは婚約を元通りには戻さなかった。
その代わりに、夫婦になるための「本当の対話」をからやり直すことを決めたのだ。
資産のこと、仕事のこと、親族のこと、将来の活のこと。
恋ごっこの甘いをすべて脱ぎ捨て、臭い現実をでつずつ共していく作業が、そこから始まった。
広告
おすすめ作品
-
完結第11話
倒産寸前の事務所が雇った、子連れ清掃員の正体
倒産寸前の「桐生デザイン事務所」に、五歳の娘を連れた清掃員志望の女性・高瀬さち子が現れた。履歴書には、東大大学院修了、一級建築士、大手設計事務所の元チーフという驚くべき経歴。しかし彼女は、二度と設計の仕事には戻らないと言い張る。娘の何気ない一言をきっかけに、事務所に小さな転機が訪れるが、さち子は図面に触れることさえ恐れていた。彼女が三年前に失ったものとは何なのか。そして、過去の事故に隠された真実とは。再起をかけた小さな事務所の逆転劇が始まる。職場逆転|人生逆転|第二の人生1.6万字5 46 -
完結第20話
60日間見舞いゼロの夫、退院した妻に600万円を要求
突然の心臓病で緊急手術を受け、生死の境をさまよった美桜。六十日間の入院中、夫も義母も義妹も一度として見舞いに来なかった。届くのは、義母への月六百万円の送金を催促する連絡ばかり。家族だと信じて尽くしてきた美桜は、ついに夫との決別を決意する。しかし剛田家の人々は、美桜の本当の素性も、自分たちの会社や豪邸が誰によって支えられているのかも知らなかった。兄弟姉妹|嫁姑|夫婦|金銭問題2.4万字5 23 -
完結第15話
50万円で嫁がされた私、6年後に見た父の姿
昭和63年、教師になることを夢見ていた19歳の藤崎千春は、父が受け取った50万円の結納金と引き換えに、東北の山村へ嫁がされる。進学を諦め、過酷な農作業に追われる毎日。ところが、段ボールの底に隠していた受験参考書を義母に見つけられた日、千春の運命は思いがけない方向へ動き始める。夫と義父母の支えで夢を取り戻した千春は、6年後、教師となって実家へ帰る。しかし庭先で目にしたのは、かつて自分の進学を許さなかった父の、信じられない姿だった。第二の人生|親子関係|金銭問題2.4万字5 436 -
完結第20話
朝八時までのヒーロー弁当
工場の門前で40年間、社員たちに弁当を作り続けてきた正夫としず子。ところが、新しい社員食堂の開設を機に、部長から突然取引を打ち切られてしまう。売れ残る弁当、痛む膝、減り続ける売上。店を閉める覚悟をした二人だったが、ある日、古くからの常連が昼食の注文にやって来る。それをきっかけに、店先には再び社員たちの姿が増え始めた。一方、工場では思いがけない問題が起ころうとしていた。感動|真実|裡の顔|金銭問題4.5万字5 322 -
完結第17話
忘れたコートが教えてくれたこと
結婚式まであと3週間。高橋ゆいは婚約者・博人の実家に忘れたコートを取りに戻り、衝撃的な会話を耳にする。食卓に広げられていたのは、祖母から相続した自分のマンションを、博人の実家が営む会社の追加担保にする計画書だった。しかも本人への説明は「婚姻後1週間」の予定。14人の従業員を守るためだと訴える婚約者の母と、すべてを知りながら黙っていた博人。人生逆転|裡切られた|夫婦|真相|修羅場2.0万字5 413 -
完結第22話
「祖母が危篤」と10万円を求めた夫の大嘘
双子を出産してわずか3週間。看護師の雪乃は、夫の幸一から「祖母が危篤だから10万円ほしい」と頼まれる。ところが本人に電話すると、83歳の松江は畑仕事の真っ最中。「またあの子は私を死にかけにしたのかい」と呆れた声を上げた。夫の嘘をきっかけに、雪乃は生活費の口座から多額の貯金が消えていることに気づく。祖父母と孫|夫婦|第二の人生2.8万字5 635 -
完結第15話
3年眠った財閥社長を叩き起こした3歳の道士
3年間、意識不明のまま眠り続けていた財閥総帥・陸晏蕭。医師たちが命を諦めかけた瞬間、病室に飛び込んできたのは、峨眉山で修行した3歳の天才道士・沈兮兮だった。少女の強烈な平手打ちで奇跡的に目覚めた晏蕭は、彼女が自分の娘だと知って愕然とする。しかし兮兮は「パパなんていらない!」と完全拒絶。占いや不思議な術で周囲を驚かせる少女に、冷徹だった父親も少しずつ心を動かされていく。やがて3年前の事故に隠された陰謀と、少女が山を下りた本当の理由が浮かび上がり……。人生逆転|祖父母と孫2.1万字5 288