"倒産寸前の事務所が雇った、子連れ清掃員の正体" 第2話
捨てられるはずだったラフ
なぜこれほどの才が、設計のを自ら断ち切ったのか。
俺がその疑問をにしようとしたまさにその、事務机の固定話が甲いベルを鳴らした。
「すみません、失礼します」
受話器を取り、名乗る。「はい、桐デザインです」
相の声を聞いた瞬、俺の胃のあたりがキュッとたく収縮した。チェーンの舗発担当、うちのような零細に仕事を回してくれていた数ないお得様だった。
『ああ、桐さん? 例の商業施設に入る業態のロゴと内装デザインの件だけどさ……悪いね。層部の鶴の声で、全部コンペ形式にやり直すことになっちゃって。代理系列のデザイン会社に括発注することになったんだよ』
「……そうですか。ですが、うちもすでに基本設計のラフまでげておりますが」
『いやあ、申し訳ないんだけど、今回はうちも予算が厳しくてね。これまでの分は基本経費だけ精算するから。じゃあ、そういうことで』
ガチャリと無質なツーツー音がに響いた。
受話器を置く俺のが、微かに震えていた。またつ、命線が途切れた。
壁のホワイトボードに線を向ける。の案件は残り件。来の賃と費を払えば、事務所の座残は底をつく。を雇うどころか、俺自が来どこでどうやっていつないでいくかさえ分からない状況だった。
広告
「あの……」
さち子が静かにちがった。話の内容から、事務所の危な台所事を察したのだろう。
「お忙しいところ、おをいただきありがとうございました。採用で構いませんので。……こう、美咲(みさき)」
「うん」
歳の美咲がソファからぴょんとびり、母親の作業の裾を掴んだ。がのアルミサッシへ向かって歩きす。
そのだった。美咲がピタリとを止め、俺の製図台の脇にある丸ゴミ箱の横を指差した。
「おじさん、これ、ぽいしちゃうの?」
美咲のさな指先が示していたのは、昨俺が夜を徹して描きなぐり、結局「こんな奇抜な案、先方に受け入れられるはずがない」とに投げ捨てていたベーカリーカフェのロゴのラフスケッチだった。のクロッキー用に、黒のサインペン本でらせた、焼きたての丸パンとちる湯気をかたどった素朴な線画。
「ああ……それは捨てるつもりだったんだよ。提案からしたボツ案だからね」
「もらってもいい?」
「え? そんな落きでよければ、どうぞ」
美咲は両で切そうにそのを持ちげ、顔をづけてじっと見つめた。それから、ぱっとが咲くような満面の笑顔を浮かべた。
「わたし、これすき!」
「……え?」
「これ、すごくすき。なんかね、ここにはいりたくなるの」
歳児の拙い直。彩もついていない、ただのサインペンのラフ。
広告
それなのに、その言葉が、え切っていた俺の胸の奥底に、さな炭のようにじわりと灯った。
自分の作ったデザインを、損得勘定も業界の流も関係なく、「好き」「入りたくなる」と言われたのは、体何ぶりのことだろう。いつのにか俺は、クライアントにられないためだけの、無難で退屈なデザインばかりを量産する械になりがっていたのだ。
「美咲、失礼でしょう。桐さん、申し訳ありません、このは置いていきますので」
「あ、瀬さん! 待ってください」
にをかけていたさち子が、驚いたように振り返った。
理性が警告を発していた。がない。来潰れるかもしれない。清掃員を雇う余裕などどこにもない。だが、その理性をねじ伏せる衝が、俺のを突きかしていた。
「瀬さん。もしよろしければ……から、うちに来ていただけませんか」
「……えっ?」
「正直に申しげます。うちは見ての通りのので、分な料もせません。ボーナスもせないし、来事務所が続している保証すらありません。でも……事務所を片付けて、類を理して、俺の横で背を押してくれるが、今どうしても必なんです。清掃員としてで構いません。……力を貸していただけませんか」
ながら無茶苦茶な説き文句だった。
さち子は丸い目で俺を見つめ、それから隣にいる娘のにそっとを置いた。
「私で……本当にいいんですか?」
「あなたがいいんです。お願いします」
さち子はく、腰を度に折ってをげた。
「ありがとうございます。から、精杯務めさせていただきます」
こうして、倒産寸の零細デザイン事務所に、学院卒・元エリート級建築士の清掃員がやってくることになった。
広告
おすすめ作品
-
完結第25話
母との同居後、妻が倒れた――医師が私だけ呼んだ理由
父を亡くした春樹は、一人暮らしの母・節子を心配し、妻の夏美と三人で暮らし始める。家事も母の通院もこなす妻を見て、同居はうまくいっていると思っていた。ところがある朝、夏美が突然倒れ、救急搬送される。医師に一人だけ呼ばれた春樹は、妻の体に起きていた異変を知らされる。変更された婦人科の予約、開かれなかった白い封筒、妻に任せきりだった家の用事。自分は家族を守っているつもりだったのに、何を見落としていたのか。人生逆転|嫁姑|夫婦|親子関係3.1万字5 285 -
完結第13話
貧乏なふりで結婚挨拶へ――彼女の父に正体を見抜かれた
三十四歳の神谷優馬は、恋人・水希の両親へ結婚の挨拶に行く日、わざと古いスーツと傷んだ靴を選んだ。実は大企業グループ会長の息子だが、その素性を二年間隠していたのだ。相手の家族が金や家柄で人を判断しないか、確かめるつもりだった。ところが、訪ねた水希の実家は、自分の家をはるかに上回る巨大企業グループの会長宅。しかも初対面のはずの父親は、優馬を見るなり意味深に笑った。人生逆転|真実|第二の人生|金銭問題3.3万字5 14 -
完結第15話
50万円で嫁がされた私、6年後に見た父の姿
昭和63年、教師になることを夢見ていた19歳の藤崎千春は、父が受け取った50万円の結納金と引き換えに、東北の山村へ嫁がされる。進学を諦め、過酷な農作業に追われる毎日。ところが、段ボールの底に隠していた受験参考書を義母に見つけられた日、千春の運命は思いがけない方向へ動き始める。夫と義父母の支えで夢を取り戻した千春は、6年後、教師となって実家へ帰る。しかし庭先で目にしたのは、かつて自分の進学を許さなかった父の、信じられない姿だった。第二の人生|親子関係|金銭問題2.4万字5 436 -
完結第17話
忘れたコートが教えてくれたこと
結婚式まであと3週間。高橋ゆいは婚約者・博人の実家に忘れたコートを取りに戻り、衝撃的な会話を耳にする。食卓に広げられていたのは、祖母から相続した自分のマンションを、博人の実家が営む会社の追加担保にする計画書だった。しかも本人への説明は「婚姻後1週間」の予定。14人の従業員を守るためだと訴える婚約者の母と、すべてを知りながら黙っていた博人。人生逆転|裡切られた|夫婦|真相|修羅場2.0万字5 413 -
完結第22話
「祖母が危篤」と10万円を求めた夫の大嘘
双子を出産してわずか3週間。看護師の雪乃は、夫の幸一から「祖母が危篤だから10万円ほしい」と頼まれる。ところが本人に電話すると、83歳の松江は畑仕事の真っ最中。「またあの子は私を死にかけにしたのかい」と呆れた声を上げた。夫の嘘をきっかけに、雪乃は生活費の口座から多額の貯金が消えていることに気づく。祖父母と孫|夫婦|第二の人生2.8万字5 635 -
完結第15話
3年眠った財閥社長を叩き起こした3歳の道士
3年間、意識不明のまま眠り続けていた財閥総帥・陸晏蕭。医師たちが命を諦めかけた瞬間、病室に飛び込んできたのは、峨眉山で修行した3歳の天才道士・沈兮兮だった。少女の強烈な平手打ちで奇跡的に目覚めた晏蕭は、彼女が自分の娘だと知って愕然とする。しかし兮兮は「パパなんていらない!」と完全拒絶。占いや不思議な術で周囲を驚かせる少女に、冷徹だった父親も少しずつ心を動かされていく。やがて3年前の事故に隠された陰謀と、少女が山を下りた本当の理由が浮かび上がり……。人生逆転|祖父母と孫2.1万字5 288 -
完結第12話
朝霧湯、最後の暖簾
昭和48年の暮れ。信州の小さな銭湯「朝霧湯」は、石油危機による灯油不足で休業の危機に追い込まれていた。主人の島田正一は、わずかに残った燃料と娘の進学費用を前に、店を閉める決断を迫られる。だが、風呂のない長屋に暮らす老人たちにとって、朝霧湯は欠かせない場所だった。妻の澄子や娘の千絵、商売敵だった銭湯の主人までが動き出すなか、正一は最後の一度だけ湯を沸かすことを考え始める。家族の暮らしを守るか、長年通い続けた客を迎えるか。昭和の町に生きた人々の葛藤と温もりを描く物語。時代|歴史|昭和|第二の人生|介護2.5万字5 161 -
完結第10話
手取り23万円の俺、旅館で妻が「お嬢様」と呼ばれた
手取り月23万円のトラック運転手・中村和也は、妻の彩佳と娘の結衣を何よりも大切にしていた。幼い頃、亡き父と交わした温泉旅行の約束を果たすため、毎月五千円を五年間積み立て、ようやく三十万円を貯める。結婚記念日に彩佳が選んだのは、山奥に佇む名門旅館「月影楼」。質素な暮らしの自分たちには場違いに思えたが、玄関に到着した途端、従業員が彩佳に深々と頭を下げた。「お嬢様、お帰りなさいませ」。妻が長年隠してきた過去とは何なのか。家族への愛と、思いがけない運命の再会を描く物語。人生逆転|夫婦|第二の人生|親子関係2.4万字5 1748