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"認知症の父を選んだ私を捨てた夫、5年後の再会" 第15話

父の

「さん、今のAルートの配リスト、これでお願いします」

「解です。いってきます」

うちの会社のロゴが入ったポロシャツを着た郎が、伝票を受け取って元気よく厨をていく。

彼が「宅配キッチンひまわり」の配送スタッフとして働き始めて、もう以が経った。

最初の頃は、かつてのプライドが邪魔をするのではないかとし配していたけれど、それは全くの杞憂だった。

「配達先のおばあちゃん、昨し元がふらついてたから、今は玄関先までしっかり様子を見てきます」

「このお宅、分補がりてないみたいだから、声かけてお茶をんでもらいますね」

誰よりも介護の孤独と過酷さをっている郎だからこそ、利用者やその族のさな変化に誰よりもく気づくことができる。今や彼は、域のお寄りたちから「くん、くん」と引っ張りだこの、頼もしい板スタッフになっていた。

母親の調子が悪いは気兼ねなく休みを取り、ショートステイを利用できるはしっかりとシフトに入る。

「休むこと」と「逃げること」は違う。

郎もようやく、その当たりの事実を受け入れ、母親との適切な距を保てるようになっていた。

私と彼のにも、もはや過の遺のようなものは残っていなかった。

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元夫婦という枠組みを超えて、同じ「宅介護を経験した戦友」として、そして会社の社と従業員として、健全でよい信頼関係が築かれていた。

が流れるにつれ、父のアルツハイマーはゆっくりと、けれど確実にしていった。

今では厨につこともほとんどなくなり、私のことを娘だと認識できないの方がくなっている。

「失礼ですが……どちら様でしたっけ?」

穏やかな笑顔でそう尋ねられるたび、最初の頃は胸を刃物で抉られるような痛みを覚えたものだ。

けれど今は、自然な笑顔で返すことができる。

「都子ですよ、お父さん」

「……みやこさん」

「そう、都子」

すると、数分にふと記憶の波が戻ってくることがある。

「都子、今の替わりは何だ? 仕込みはにってるのか?」

の記憶というのは、本当に議なものだ。

昨べたものや、目のにいるの肩きは忘れてしまっても、何も体とに染み込ませてきたや温もりは、決して完全には消えらない。

息子の律は、今で歳になった。

来週は、保育園の運会だ。

「ママ! 運会、ぜったいに見に来てね!」

夕のテーブルで、律がを乗りして言った。

「もちろんくよ。かけっこ、番で応援するからね」

「お弁当も作ってくれる?」

「当たりでしょ。何がいい?」

「から揚げ! じいちゃんの、あまからいきなから揚げ!」

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私はわず吹きしてしまった。

「律、今から揚げ作ってるのはママなんだけどな」

「でも、じいちゃんのから揚げでしょ?」

「ふふ、そうね。じいちゃん直伝のから揚げね」

父と並んで厨にち続けたあの々。

醤油と酒と姜の黄比率。鶏肉を漬け込む。度揚げする油の温度と、揚げがりのパチパチという音のさ。

父が「体の勘」だけでこなしていたすべてを、私はノートにき留め、自分の両に完全に染み込ませていた。

今の私には、父と寸分違わぬを作りすことができる。

運会のの夕方。

営業を終えた静かな厨で、私はきなボウルに鶏肉を漬け込んでいた。

パタパタとスリッパの音がして、リビングから父がゆっくりと歩いてきた。

「……何を作ってるんだい?」

父が作業台の横にち、議そうにボウルを覗き込む。

「から揚げの仕込みだよ」

「姜はちゃんと擦って入れたか?」

を止め、私は父を見げた。

「うん、たっぷり入れたよ」

「醤油を入れすぎちゃいかんぞ。揚げたときにが焦げちまうからな」

「分かってる。お父さんのレシピ通りだよ」

「そうか」

父は満そうに頷き、くの丸子に腰をろした。

「誰のために作るんだ?」

「律の運会のお弁当だよ」

「律……? 律ってのは、誰だい」

「お父さんの孫だよ」

父は目を丸くして、それからふわりと顔を綻ばせた。

「そうか……! 俺に孫がいるのかい」

「うん、いるよ」

「そうかぁ……嬉しいなあ」

数分には、また忘れてしまうのかもしれない。

けれど、今この瞬に父の胸を満たしている誇らしげな温もりは、紛れもない本物だった。

私は、かつて父が幼い私に語ってくれた言葉をいしていた。

――美いものをべたは、ちょっとだけ幸せそうな顔をする。

俺は、あの顔を見るのが番好きなんだ。

あの商のさなは、もうない。

父はもうシェフのコックコートを着ることもなく、包丁を握ることもできない。

けれど、父が遺してくれたとは、形を変えて確かに息づいている。

「宅配キッチンひまわり」が届ける、何百ものお弁当のに。

介護に疲れ果てた誰かが、蓋をけて「ああ、温かい」とほっと息を吐くその瞬に。

そして、すくすくと育っていく律の笑顔のに。

、郎は言った。

「認症の親を選んだら、おのは終わる」と。

終わらなかった。

私は父を選んだことで、何かを諦めたわけでも、を犠牲にしたわけでもなかった。

たったで背負い込むことをやめ、周りの々に助けてもらいながら、父と共に歩んできた。

そうして紡ぎ直した々のに、本当の私のき所があった。

「お父さん、見してみて」

さめのフライパンでさっと揚げたひとのから揚げを、皿に乗せて父のに差しした。

父はふうふうと息を吹きかけ、ゆっくりとに運ぶ。

サクッとばしい音が響き、父は目を閉じてじっくりとわった。

私は、子どもの頃のようにし緊張しながら父の顔を覗き込んだ。

「……どう?」

やがて目をけた父は、驚いたように眉をげ、それから満面の笑みを浮かべた。

「……美いなあ! 肉が柔らかくて、もまでしっかり染みてる」

「本当? よかった」

「ああ、実に美い。……ところでこれ、誰が作ったんだい?」

何の衒いもない、無邪気な問いかけに、私は胸の奥がくなるのをじながら笑った。

「お父さんだよ」

「え? 俺が?」

「そう。お父さんが、私に教えてくれただよ」

父はきょとんとして皿を見つめ、それから照れくさそうにを掻いた。

「そうか……! 俺が教えたのか。それなら、美いわけだなぁ」

「ふふ、自画自賛だね」

で顔を見わせて笑いった。

の射し込む厨を、柔らかな黄のが満たしていく。

これから先、父が忘れてしまうものはもっと増えていくのだろう。

いつか私の顔すら完全にいせなくなるが来るのかもしれない。

それでも、しみだけでち止まることはもうない。

父が私に渡してくれた温かなものは、私の両のに、そして次の世代へと、確かに受け継がれているのだから。

「お父さん」

「ん?」

「、律の運会だからね」

「律ってのは誰だい?」

私は涙の滲んだ瞳で、とびきりの笑顔を向けた。

「お父さんの、好きな孫だよ」

父は初めて聞いたかのように目を輝かせ、エプロンも着けていない胸を誇らしげに張った。

「そうか! 俺の孫か! よし、じゃあは美いから揚げを揚げてやらなきゃな!」

「うん」

私は力く頷いた。

「も、緒に作ろうね」

「おう、任せとけ!」

父は昔とまったく同じ、優しくて力い笑顔で笑った。

「俺は、ホテルのシェフだからな!」

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