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"昭和27年、戦争未亡人が開いた小さな店の50年" 第8話

息子の宿題机

夕方のを回ると、通りに面した煙の販売台のすぐ脇が、勇の特等席の勉机へと変わりした。

さんが端材で作ってくれたさな箱のに、角の丸くなったノートを広げ、くなった鉛を握りしめる。

「母ちゃん、からを引いたら、いくつになる?」

「自分で指を使って計算しなさい。なんでもかんでもに聞くんじゃないよ」

「だって、繰りがりが分かんないんだもん」

「さっき教えてあげたばかりじゃないか。の位からを借りてくるんだよ」

「どこから借りてくるのさ。誰に借りるの?」

「だから、の位のだね――」

そんな押し問答を繰り広げている最に、通りからカランと駄の音が響いて客がち寄る。

「母さん、いこいを箱」

「はい、毎度ありがとうございます!」

私は反射にちがり、棚から煙を取りして台のに置き、お釣りを受け渡す。

客を見送った、再びをかがめて息子のノートを覗き込む。

「ほら、さっきの続きだよ。の『』に斜線を引いて、にするんだよ」

「えー、なんでにしちゃうのさ。減っちゃうじゃん」

「を隣のの位に貸してあげたからだよ!」

「誰が貸したの?」

「もう、屁理屈ばっかり言って!」

窓ので煙の煙を燻らせていた常連の員さんが、吹きして声をかけてくる。

「あっはっは、母さん先も楽じゃないねえ! 坊主、母ちゃんを困らせるんじゃないよ」

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「困らせてないもん! 勉してるんだもん!」

勇は真っ赤になって唇を尖らせ、ノートのに突っ伏すのだった。

学の学にがる頃になると、勇は商売の伝いをしたがるようになった。

「母ちゃん、僕にもお釣り渡しやらせてよ。算数ならもう得になったんだから」

「駄目だよ、違えてく渡したりしたら損配だからね」

「違えないよ! できるってば!」

あまりにしつこくいがるので、私は根負けして、引きしの円玉と円玉を台のに並べてみせた。

「いいかい、勇。お釣りを渡すはね、お客さんの目ので、枚ずつ声をして数えて渡すんだよ」

「どうして? まとめてポンって渡しちゃえばいじゃん」

「まとめて渡したらね、あとから『りない』とか『すぎる』とか、お互いに嫌ないをすることになるだろう? 商売ってのはね、お互いに気持ちよく確かめうのが番の基本なんだよ」

勇は急に神妙な顔つきになり、眉に皺を寄せて練習を始めた。

「、、……、円のお返しです!」

「そう、それでいいんだよ」

「へへっ、僕、もう煙の若旦になれるね!」

「宿題の漢字のき取りを全部終わらせてから威張りなさい」

「ちぇっ、商売は算数だけでいいのにさ」

「字が読めなきゃ、煙の銘柄の札もけないじゃないか」

で顔を見わせ、声をてて笑いった。

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父親のいない庭で育ちながらも、勇は驚くほど素直で、真っ直ぐなに育ってくれた。

けれど、どれほどるく振るっていても、父親がいないことによる寂しさや、引け目をじる瞬がなかったはずはなかった。

所の運会や神社の祭りの、クラスメイトたちが父親の肩に乗って誇らしげに笑っている姿を、勇がくからじっと見つめていた横顔を、私は今でも忘れることができない。

私がどれほど母親としてを注ごうとも、父親というきなの欠落を、完全に埋めてやることはできないのだという無力が、折胸をチクリと刺した。

学を卒業する際のの夜、珍しくじまいを伝っていた勇が、シャッターをろしながらぽつりと尋ねてきたことがあった。

「ねえ、母ちゃん」

「何だい?」

「……父ちゃんって、本当はどんなだったの?」

私はを止め、言葉を詰まらせた。

『お国のために勇敢に戦って散った、派なだったよ』――そう答えるのは、当の世では最も簡単で、美しい定型句だった。

戦した夫を悪く言うなど、この町のどこにもいなかった。

けれど、勇が本当に求めているのは、教科に載っているような英雄の姿ではないことくらい、私には痛いほど分かっていた。

「……父ちゃんはね、朝が本当にいだったよ」

「えっ、そうなの?」

勇が驚いたように目を丸くした。

「そうさ。目覚まし計が鳴っても全然起きなくてね、いつも勤のギリギリまで布団をかぶって唸ってたよ」

「あはは! 僕とまったく緒じゃん!」

「そうだよ。それからね、いお噌汁がの苦でさ。私が来ての々をすと、『猫舌なんだから、しましてからしてくれ』って、いつも文句を言ってたよ」

「へえ……父ちゃん、猫舌だったんだ」

勇は嬉しそうに目を細めて笑った。

「なんだか、お父さんって、普通のだったんだね」

「そうだよ。英雄なんかじゃない。ちょっと朝寝坊で、お噌汁をフーフーましてんでた、ごく普通の優しいお父さんだったよ」

私はそれでいいのだとった。

仏壇の奥の写真てのに鎮座する、軍を着た神様のような父親ではなく、このさな町で汗を流し、息子の誕をからび、器用に笑っていたのとして、父親の温もりを勇ののに渡してやりたかったのだ。

歳は、川の流れのように静かに、けれど確実に過ぎっていった。

詰襟の学の制を着るようになり、勇の声はく掠れての男の声へと変わっていった。

かつて宿題を広げていた窓枠の横のさな箱机は、のくなったにはあまりに窮屈なものになっていた。

「母ちゃん、もうここで勉するのは無理だよ。

膝が机のに入らないや」

「そうだねえ……昔はあんなにさかったのに、いつのにか見げるほどきくなっちまって」

「だもん、きくなるさ」

勇は照れくさそうに笑いながら、を掻いた。

になると、部活や友との付きいで、勇がの窓につは目に見えて減っていった。

だらけの運靴で帰宅し、夜遅くまで自で受験勉に没する背を、私は頼もしさと、ほんのしの寂しさを噛み締めながら見守った。

それでも、たまの休に勇が窓に座って番をしてくれていると、通りかかった昔馴染みの常連客が、目を細めて声をかけてくるのだった。

「おお、勇くんかい! 見違えるように派な男振りになったなあ!」

「こんにちは、おじさん。いつもありがとうございます」

「おがランドセル背負って、そこで泣きながら算数の引き算をやってた頃が、まるで昨のことのようだよ」

勇はの先まで赤くしてをげていた。

私はその息子の逞しくなった横顔を、奥の畳のからそっと見つめながら、胸ので静かにをわせた。

このさな煙の窓は、ただ品物を売りさばいてきただけの所ではない。

名もなき未がをすすりながら息子を守り育て、そしてひとりのさな命が、町の無数の優しい差しに育まれながらへと羽ばたいていくその軌跡を、何千にもわたって見届け続けてきた、かけがえのない命の揺りかごだったのだ。

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