"昭和27年、戦争未亡人が開いた小さな店の50年" 第9話
しい銘柄
昭、煙の世界にひとつのきな代の波が押し寄せてきた。
専売公社から、全くしい巻き煙――『ハイライト』が発売されたのだ。
とのモダンなツートンカラーのパッケージに、黒い文字。従来の煙よりも葉のりが軽く、若い世代の労働者や学たちので、発売から異常なほどの評判を呼んでいた。
発売の数週から、窓に顔をす客という客が、を乗りすようにして尋ねてきた。
「母さん、例の発売のハイライトってやつ、ここにも入るのかい?」
「ええ、公社から割り当ての連絡は来ていますよ」
「いつ入るんだい? 初には並ぶかい?」
「来週の曜の朝には、なんとか棚に並べられるといますよ」
「頼むから、俺の分に箱ばかり取り置きしておいてくれないか!」
「ごめんなさいねえ、配分がないから、お様箱限りって公社から厳しく言われてるんですよ」
そんな狂なやり取りが、毎のように繰り返された。
そして迎えた発売初の朝。
窓を押しげた瞬、私は目を疑った。
まだ朝の半だというのに、の若い衆や所の旦衆が、数も窓のに列を作って待っていたのだ。
「母さん、ハイライト!」
「俺もつ!」
「こっちも頼むよ!」
次々と差しされる円玉と引き換えに、真しいの箱を両で渡していく。
広告
ぶように売れていくその景を見つめながら、私は戦の混乱期が完全に過のものとなり、本という国全体が、猛烈な勢いでしい代へと突っっているのを肌でじていた。
終戦直のあの頃、煙といえばで法な値で取引される貴品で、端に落ちた吸い殻を拾ってほぐし、聞で巻き直して吸うが溢れていた。
ピースが発売された直だって、配制限でに数箱しかに入らなかったのだ。
それが今や、誰もがポケットから銭を惜しげもなくし、しいフィルター付きのモダンな煙を、当たりの顔をして買い求めていく。
町の景もまた、目まぐるしい速度で姿を変えていった。
ののぬかるんだ砂利は、ブルドーザーによって押し固められ、真っ黒なアスファルトで綺麗に舗装された。
馬や荷は完全に姿を消し、代わりに輪トラックやダットサンの乗用が、けたたましい排気音を響かせて通りを砂煙とともに疾していく。
通り沿いに並んでいた古い造のは次々と取り壊され、トタン根のしい平宅や、ガラス張りのモダンな純喫茶が軒を連ねるようになった。
さな角い窓枠から覗くの景は、ごとに、まるで別の町であるかのようにその相貌を変えていった。
広告
煙の公定価格も、代の物価にわせて、何度となく値げの改定がわれた。
そのたびに、私は公社から配られるしい価格表のを、糊で歪みのないように窓枠の脇に貼り直した。
「おいおい母さん、また値げかい?」
毎朝やってくる常連の官さんが、しい価格表を見げて眉をひそめる。
「申し訳ありませんねえ、国の決めたことですから……」
「まったく、料はちっともがらねえのに、煙の値段ばかりがりやがって。これじゃあもう、煙をやめるしかないな!」
「あら、それなら体に良くて番じゃないですか」
私がからかうように笑うと、官さんは苦笑いを浮かべてを掻いた。
「そうはいってもなあ……仕事ののがなきゃ、体がかねえんだよ。はい、円」
そう言って代を置き、満を言いながらもしい箱を受け取っていく。
そして翌朝には、昨のぼやきなど綺麗さっぱり忘れたような顔をして、「母さん、いつもの!」と笑顔で窓を叩くのだ。
私はこの何、同じ会話を何百の客と繰り返してきたことだろう。
そんな代の奔流のにあって、がの息子の勇は、の受験期を迎えていた。
でもトップクラスの成績を維持し続け、担任の教師からも太鼓判を押されていた。
けれど、の話になると、勇はどこか言葉を濁し、具体な学の名をにしようとはしなかった。
の肌寒い夜、のシャッターをろし、奥の茶ので帳面をつけていたのことだった。
勇が珍しく、机に向かわずに茶のの敷居のところに突っったまま、躊躇いがちに私を見つめていた。
「勇、どうしたんだい? 夜のお茶漬けなら、今すぐ作ってあげるよ」
「ううん……お茶漬けはいいんだ」
勇は正座し、膝ので握りしめた拳をじっと見つめていた。
「……母ちゃん」
「何だい、改まって」
「俺、本当は……学にきたいんだ」
私は帳面を繰るをピタリと止めた。
驚きはしなかった。あの子の勉机のに積まれた、分い参考の数々を見れば、向学に燃えていることくらい、とっくに察しがついていたからだ。
けれど、勇が次ににした学の名を聞いた瞬、私の臓がさくねがった。
京の、名国学の名だった。
を何本も乗り継ぎ、宿をしなければ到底通うことのできない、い都会の学だった。
「……受けたいのかい?」
「うん。の先も、今の成績なら分に格を狙える位置にいるって言ってくれたんだ」
「そうかい……」
それ以、私のから言葉がすんなりとてこなかった。
学費だけではない。見らぬ京での宿代、敷、教科代、々の費。
私のようなさな煙の、箱数円の数料の積みねだけで、果たしてい都会の学を支え切ることができるのだろうか。
私の沈黙を、別のに受け取ったのだろう。
勇は慌てて顔をげ、すがるような目で私を見つめた。
「やっぱり……無理なら、いいんだ! 元の公務員の試験を受けるよ。それならから通えるし、すぐに料だって母ちゃんに渡せるんだから!」
「勇……」
「うちにはがないことくらい、分かってるよ! 母ちゃんが毎晩、円円の銭を数えて苦労してるの、ずっと見てきたんだからさ! 俺がが儘を言って、母ちゃんにこれ以迷惑をかけるわけにはいかないよ!」
息子のその健気な言葉を聞いた瞬、私の胸の奥底で、いりが込みげてきた。
息子に対するりではない。
の子どもに、これほどまでにの配をさせ、にブレーキをかけさせてしまっている、母親としての甲斐なさに対するりだった。
「勇、お座りなさい」
私は声を荒らげることなく、けれど凛としたい調で言った。
勇が怯えたように姿勢を正す。
「おの配をするのはね、子どもの仕事じゃないんだよ。それは親の私が、を抱えて面すべき仕事さ」
「でも……!」
「あんたは、本当にその学で勉がしたいのかい? ただそれだけを、自分のに聞きなさい」
勇は唇を噛み締め、やがて瞳に涙を滲ませながら、く度だけ頷いた。
「……きたい。そこで、もっと広い世界を学びたい」
「だったら、迷わず受けなさい。
受かったあとのの算段なんてね、この煙の母ちゃんが、どんなを使ってでもつけてみせるから!」
その夜、勇が自へ戻った、私は押し入れの奥から、を始めて以来のすべての通帳と帳面を引っ張りした。
毎の売。公社への仕入れ代。費。
そして、夫の遺族と、毎の煙の端数を爪にを灯すようにして貯め込んできた、郵便定期貯の通帳。
卓などない代だ。私はそろばんの玉をパチパチと弾き、夜のを回るまで、何度も、何度も試算を繰り返した。
楽な数字ではなかった。
贅沢など切できない。私の着物枚すら調することは叶わないだろう。
けれど――あの歳の、夫を失い、乳み子を抱えて絶望の淵にたされていた私を救ってくれたのは、誰でもない、このさな煙の窓だったのだ。
箱のピース、箱のハイライトを売り、所のたちと笑顔を交わしながら積みねてきた円玉のが、いま、私の息子を京の最学府へと押しげるための、頑丈な翼になろうとしていた。
そろばんの玉を払い、通帳を胸に抱きしめた、私の目から自然と涙が零れ落ちた。
に物狂いできてきた私のは、決して無駄ではなかったのだ。
広告
おすすめ作品
-
完結第16話
二人きりのはずだった旅行
結婚以来、義母のわがままと、それを当然のように受け入れる夫・俊也に振り回されてきた由香。二人きりの結婚記念日旅行まで義母に台無しにされた翌年、夫は「今度こそ二人だけで行こう」と約束する。ところが出発当日、玄関には大きな旅行鞄を抱えた義母の姿が。「家族なんだからいいだろ」と開き直る夫に、由香は思い切った行動に出る。人生逆転|嫁姑|夫婦|金銭問題3.0万字5 0 -
完結第20話
娘の披露宴に新郎側が全員欠席――清掃員の夫が動いた
一人娘の紗良が待ち望んだ結婚式。しかし披露宴当日、新郎側の42席はすべて空席だった。ようやくかかってきた婚約者からの電話には、「結婚なんて冗談だ」という声と、清掃員の父を見下す家族の笑い声。泣き崩れる娘を抱きしめる母・千尋の隣で、いつも穏やかな夫・涼一が静かに言った。「あの一族は、もう切る」。翌朝から、新郎一家の電話が鳴りやまなくなる。三十一年間、黙々と床を磨いてきた夫には、家族さえ知らない一面があった。あの一言には、いったいどんな意味が隠されていたのか。因果応報|人生逆転|夫婦|第二の人生2.7万字5 18 -
完結第15話
年収三千万円の嘘
41歳の内科医・相沢まりなは、家事と育児を任せていた専業主夫の康太が、息子のサッカークラブの保護者・美沙と親密な関係になっていたことを知る。しかも二人は、子どもたちを置き去りにして密会を重ねていた。息子を守るため離婚を決意したまりなのもとに、ある日、美沙から再婚式の招待状が届く。驚いたことに、康太は自分を「年収3000万円の医師」だと偽っていた。元妻を見下し、披露宴で祝辞まで読ませようとする美沙。招待を受けたまりなは、いったい何を語るのか。夫婦|第二の人生|不倫2.6万字5 13 -
完結第10話
母の農地を狙う夫と離婚――元義母が見た光景
母が女手一つで守ってきた農地を、会社の借金の担保に使いたい。夫・明の身勝手な申し出を拒んだ奈津美は、義母からも実家を見下され、ついに離婚を決意する。故郷へ戻った彼女は、農作業のためにビニールハウスの隣に仮住まいを設けるが、噂はいつしか「家もなく、ハウスで寝泊まりしている」と広まってしまう。元嫁の転落を喜ぶ義母は、その惨めな姿を見ようとわざわざ訪ねてくる。しかしその頃、奈津美は農家仲間と新たな挑戦を始めていた。再会の日、元夫と義母が目にした光景とは――。因果応報|人生逆転|夫婦|相続|親子関係|金銭問題1.3万字5 10 -
完結第10話
受話器の向こうの春
昭和19年、神戸。幼いころに母と弟妹を亡くし、親戚の家を転々としてきた15歳のハルは、自分の力で生きるため、電話交換手を目指す。厳しい試験と訓練を乗り越え、ようやく手にした仕事。失敗ばかりの日々も、優しい先輩や仲間たちに支えられ、ハルは初めて自分の居場所を見つけていく。受話器の向こうには、家族を思う声、助けを求める声、遠い街で働く仲間の声があった。しかし戦況が悪化するにつれ、つながらない回線が増え始める。戦火が迫る神戸で、少女が守ろうとしたものとは――。時代|歴史|昭和1.5万字5 28 -
完結第15話
認知症の父を選んだ私を捨てた夫、5年後の再会
「俺と、あのボケた親父。どっちを選ぶんだ?」 認知症と診断された父を支えようとした都子は、夫の一郎から離婚を突きつけられる。長年の夢だった洋食店の継承も難しくなり、介護と生活に追われる日々。それでも地域の支援を頼り、父の料理を生かした新しい仕事に挑戦する。 五年後、介護事業者の交流会で元夫と偶然再会。若く美しい社長の妻と子どもがいると自慢する一郎だったが、都子は彼が指さした女性をよく知っていた。嫁姑|夫婦|親不孝3.1万字5 575 -
完結第20話
60日間見舞いゼロの夫、退院した妻に600万円を要求
突然の心臓病で緊急手術を受け、生死の境をさまよった美桜。六十日間の入院中、夫も義母も義妹も一度として見舞いに来なかった。届くのは、義母への月六百万円の送金を催促する連絡ばかり。家族だと信じて尽くしてきた美桜は、ついに夫との決別を決意する。しかし剛田家の人々は、美桜の本当の素性も、自分たちの会社や豪邸が誰によって支えられているのかも知らなかった。兄弟姉妹|嫁姑|夫婦|金銭問題2.4万字5 1151 -
完結第20話
大正、子守奉公の少女
大正時代、貧しい農家に生まれた十一歳の少女は、「三度の飯」を条件に子守奉公へ出された。赤ん坊を背負う毎日から工場近くの家、東京の屋敷へ。三年分の奉公賃は家族に渡され、働く場所も自分では決められなかった。やがて海を越えて旅順へ渡った彼女は、子どもたちの世話をしながら、文字を覚え、針仕事を学び、少しずつ自分の世界を広げていく。誰かのために働くことしか知らなかった少女は、いつか自分の人生を選べるようになるのだろうか。時代|歴史|真相2.8万字5 320