"昭和27年、戦争未亡人が開いた小さな店の50年" 第10話
「母さん、切枚」
勇が京へ旅つ朝、私はまだの空がみきらないうちから起きて台所にった。
ご飯を固めに炊きげ、勇の好物だった甘い卵焼きを焼き、梅干しを真んに埋め込んだきな塩むすびをつ、の皮にきっちりと包んだ。
荷造りはの晩のうちに済ませてあった。
着替えを詰め込んだきな革鞄ひとつと、参考との回り品をぎっしり詰め込んだ段ボール箱がふたつ。
駅までは、所で酒を営んでいる幼馴染みの父親が、型のオート輪をして荷物ごと送ってくれる筈になっていた。
「勇、忘れ物はないかい? 宿の賃貸契約の控えは持ったかい?」
「持ったよ、母さん。昨の夜からもう回目だよ」
「財布は腹巻のにちゃんとしまったかい?」
「しまったってば。子ども扱いしないでよ」
勇は苦笑いを浮かべていたが、その顔には旅ちの緊張と揚が、隠しようもなく滲みていた。
私は朝から、居と台所を無にったり来たりして、しも落ち着かなかった。
まれたあのから、片もれることなく、私のさな界の真んにずっと居続けたあの子が、今このから、このから完全に消えてしまうのだ。
名学に格してくれた誇らしさと、胸を掻きむしられるような寂寥。
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そのふたつのが激しくせめぎい、胸の奥が張り裂けそうだった。
表の通りで、オート輪のパタパタというエンジン音が止まり、クラクションがく鳴った。
発の刻だった。
勇はきな革鞄を肩にかけ、段ボール箱を両に抱えてへりた。
けれど、そのまま玄関の引き戸をけてへるのではなく、なぜか踵を返し、舗側の板へとを踏み入れた。
そして、通りに面した煙の販売窓のにち、側からガラス窓をトントンと指先で叩いたのだ。
私は番の子に座ったまま、目を丸くして窓の向こうの息子を見げた。
「勇……何をしてるんだい?」
窓の向こうの勇は、まるで初めてにやってきた見らぬ客のように、し背筋を伸ばし、真面目な顔をして言った。
「すみません、員さん」
「……はい、何でしょうか」
私もつられて、何も繰り返してきた営業用の声を作った。
「切を、枚ください」
「何円の切ですか?」
「京から、この町までがせるやつ」
「ちゃんと額を言いなさいよ、このお兄さんは」
「いいからさ、番く届くやつをちょうだい」
私はガラスケースの引きしをけ、円切を枚取りした。
い透かしの入った、さな切れ。
「はい、円になります」
勇は学ズボンのポケットから円玉を枚取りし、真鍮の渡し台のにチャリンと置いた。
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そして、子どもの頃のように片眉をいたずらっぽく持ちげて、からかうように言った。
「ねえ母さん、活の景気づけに、円くらいまけてよ」
その瞬、私の喉の奥から、堪えきれない笑いと涙が同にこみげてきた。
勇がまださかった頃、この窓ので、たちが毎のようににしていたあの軽を、あの子はずっと覚えていたのだ。
「駄目ですよ。国の決めた値段ですから、円だってまけられません」
「ちぇっ、相変わらず堅いだなあ」
「文句を言わないの」
勇も声をてて笑った。
けれど、次の瞬、その瞳からふっと笑みが消え、真っ直ぐに私の目を見つめてきた。
窓枠を両でしっかりと握りしめ、く、くをげた。
「……母さん。、本当にありがとうございました」
乾いた朝の空気に、く澄んだ息子の声が響き渡った。
「何言ってるんだい、まだ学になったばかりじゃないか」
私は懸命に涙をこらえ、引きつった笑顔を崩さないように努めた。
「学を無事に卒業して、自分の料で飯がえるようになるまで、私の役目は終わっちゃいないよ」
勇は照れくさそうにを掻き、それからさく頷いた。
「じゃあ……ってきます」
「はい。に気をつけて、ご飯をしっかりべるんだよ。ってらっしゃい!」
勇は振り返り、オート輪の助席へと乗り込んだ。
荷台に段ボールを積んだ輪が、砂煙を巻きげながら通りをりしていく。
私は窓枠に両をかけ、を乗りすようにして、そのが通りの角を曲がって見えなくなるまで、何度も、何度もを振り続けた。
、夫を見送ったあの朝の景が、再び脳裏をよぎった。
けれど、あののえ切った絶望は、今の私の胸のどこにもなかった。
あの朝の夫は、きて帰れる保証のないへと向かっていった。
けれど今の息子は、自分の志で選んだ、り輝く未来へと羽ばたいていったのだ。
帰りたいには、いつでもこの窓の向こうへ帰ってくればいい。
この窓をけて、私がここで煙を売り続けている限り、あの子の帰るべき所は、絶対に失われはしないのだから。
そのの夕暮れも、私はいつもと同じ刻に窓をけ、いつもと同じように番を続けた。
通りかかる常連客たちが、々に声をかけてくる。
「母さん、息子さん、とうとう京へっちゃったんだって?」
「ええ、今朝の汽でちましたよ」
「寂しくなるねえ」
「いえいえ、のが静かになって、せいせいしましたよ」
「あっはっは、がり言っちゃってさ! 最初のは泣くよ、親なんてものはね」
「そうかもしれませんねえ」
その夜、がらんとした畳で、私はきりで夕餉のや飯をべた。
がりを言ったものの、やはりのの静寂は、が痛くなるほどくたかった。
けれど、それからわずかの夕暮れ、ポストのに通の封が届いていた。
見慣れた勇の角張った文字。
表に貼られた円切は、急いで貼ったのか、しだけ斜めに傾いていた。
私はそれを見つめた瞬、誰もいない茶ので、声をげて笑ってしまった。
「まったく……切の貼り方まで、雑なんだからさ」
そう毒づきながらも、私はそのを抱きしめ、ランプの灯りので、文字が滲んで読めなくなるまで、何度も、何度も読み返したのだった。
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