"竹林の向こうの白衣" 第9話
ICUの母と崩れた仮面
術のい扉を押しけて廊にると、え切った空気が汗ばんだ首筋を撫でました。 壁掛けの計の針は、午を回っていました。
ナースステーションへ向かうエレベーターホールのに、がひとつ、所なげにち尽くしていました。
級そうなウールのコートを羽織り、きれいに巻かれた髪。 けれど、かつての威圧はなく、背はさく丸まり、壁にすがるようにしてっていました。
母でした。
音に気づいた母が、弾かれたように顔をげました。 そして私の姿を認めた瞬、その瞳を信じられないものを見るように見いたのです。
「……え?」 母の唇が震え、線が私の顔との胸元を激しくき来しました。
「は……? は、来ていないの……?」 母のから最初にこぼれ落ちたのは、倒れた夫のことではなく、あの自の男の名でした。
私は瞬きひとつせず、静かに答えました。 「連絡は入れましたが、まだ来ていません」
母は絶句し、息を呑みました。 そして、ようやく私の姿を正面から見つめ直しました。
「ティアラ……? 本当に、あなたなの……? なんで、あなたがここにいるの? そのは……何?」
「私はここで、脳神経科医として勤務しています」 私の淡々とした言葉に、母の顔からサッと血の気が引いていきました。
「お医者様……? あなたが……? そんなはずないわ……! あなたはずっと奥の施設で療養していたはずでしょう!? にもかないで、どうやって……!」
広告
「之内先が私を引き取って、育ててくれたんです。 先の助けを借りて卒認定を取り、自治医の医学部をました」
母はをパクパクとかしましたが、喉の奥から言葉がてこないようでした。 かつて「たかがメンマの話にくなるようなのおかしい子」と蔑み、病だからと奥に置きりにした娘が、今、目ので医師としてっている。 その現実が、母の価値観を根本から叩き壊していました。
「……お父さんは? お父さんはどうなったの!?」 母がすがるように私のの袖を掴もうとしました。 私は半歩だけ退りし、そのを静かにかわしました。
「急性期の脳脈閉塞症でした。 私が緊急のカテーテル術をい、血栓を完全に回収しました。 血流は再通し、術は無事に成功しました。命に別状はありません」
母の膝から力が抜け、そのにペタリと崩れ落ちそうになりました。 壁に背をもたせかけ、荒い息を繰り返しています。
「あなたが……お父さんの術を……?」
「はい。担当執刀医として、私が処置をいました」
母は両で顔を覆い、しゃがみ込みました。 かつてタワーマンションのリビングで、徹な目で私を見ろしていたあの傲な母の面は、どこにもありませんでした。
「ティアラ……私、あなたに……なんてことを……」 震える声で呟く母を見ろしながら、私は胸ポケットからネームプレートをして見せました。
「お母さん。私の名はもう、ティアラではありません。 庭裁判所で改名し、之内先の養子に入りました。 私の名は、之内子です」
母は顔をげ、涙に濡れた目でプレートを見つめました。 その瞳に浮かんでいたのは、取り返しのつかない過への、底れぬ絶望と悔のでした。
広告
おすすめ作品
-
完結第10話
腎臓をあげた私に離婚届――夫の隣には若い女
三歳の娘を育てる裕子は、重い腎臓病になった夫・英司を救うため、自分の腎臓を一つ提供した。ところが手術後、体調を崩した裕子を待っていたのは、夫からの暴言と冷たい仕打ちだった。やがて英司は、若い女との新生活を理由に離婚届を突きつけ、娘まで奪おうとする。そんな裕子の味方になったのは、意外にも義母だった。命を救ってくれた妻を平然と捨てようとする夫。すべてを失いかけた裕子は、娘と自分の人生を守るため、反撃を決意する。夫婦|真実|裏の顔|真相|第二の人生1.4万字5 92 -
完結第12話
新婚旅行に便乗する義母を空港に残した結果
新婚旅行で大阪へ向かうみちると健二。ところが、何かと二人の予定に入りたがる義母・恵子が「私の航空券も買って!」と空港から電話をかけてきた。何度断っても諦めない義母を避け、二人は夜行バスで出発。これで夫婦水入らずの旅行になるはずだった。しかし恵子は、二人の荷物に目をつけ、とんでもない方法で後を追おうとする。さらに健二の友人・圭司の借金騒動まで絡み、大阪では思いもよらない珍事件が発生。暴走する義母と、それに振り回される人々のドタバタコメディ。嫁姑|夫婦|真相1.3万字5 138 -
完結第16話
午前3時、警察から「夫を迎えに」――私は独身なのに
神堂グループを率いる美桜のもとに、午前3時、警察から奇妙な電話が入る。「ご主人を迎えに来てください」。しかし、美桜は一度も結婚したことがなかった。保護された男性が持っていたのは、5年前の爆発事故で亡くなったはずの婚約者・一条蓮との婚姻届の控え。半信半疑で警察署へ駆けつけた美桜は、信じられない光景を目にする。空白の5年間に何があったのか。そして、なぜ今になって彼が現れたのか。かつての事故をめぐる疑惑と、身近な人物の隠された思惑が、少しずつ明らかになっていく。夫婦|裏の顔|真相2.7万字5 206 -
完結第18話
3年ぶりの帰省、弟嫁がゴミ箱を漁っていた理由
32歳の玲奈は、3年ぶりに実家へ帰り、弟の妻・南が別人のように痩せていることに驚く。夕食の席でも南の前には料理がなく、家族は誰も気に留めない。その深夜、台所で物音を聞いた玲奈は、ゴミ箱を漁る南の姿を目撃する。「食べられるものを探していました」――その言葉をきっかけに、母と弟が南に強いていた異常な暮らしが明らかになっていく。さらに、南が隠し持っていた手帳には、翌朝に迫る恐ろしい約束が記されていた。玲奈は弟嫁を守るため、信じていた家族と向き合う決意をする。因果応報|人生逆転|兄弟姉妹|嫁姑|夫婦|修羅場2.4万字5 544 -
完結第12話
五歳の母ちゃん
両親を事故で亡くしたシンジは、五歳の妹・楓を育てながら、昼も夜も働いていた。そんなある日、楓が「母ちゃんが来た」と言って連れてきたのは、同じ保育園に通う五歳の少女・リサだった。ところが彼女は、家族しか知らない昔の出来事を次々に話し、シンジを息子のように気遣う。信じられない再会に戸惑いながらも、兄妹は少しずつ彼女に心を開いていく。しかし、リサ自身の記憶が薄れていくという異変が起こり始める。もう一度母に会いたかった兄妹が、大切なものを守るために選ぶ道とは。兄弟姉妹|真実|真相|第二の人生1.2万字5 62 -
完結第10話
出産3日目、1億円の入金直後に夫が離婚届
娘を出産してわずか三日。病室で体を休めていた立花玲奈の口座に、父から譲り受けた株式の特別配当金、一億円が振り込まれた。その直後、見舞いに来た夫・直樹が突然離婚届を差し出す。しかも、財産分与として五千万円を要求し、自分の会社への融資継続まで求めてきた。夫の本性を知った玲奈は、追加融資と家族カードを止め、離婚に向けた準備を始める。ところが、カードの利用明細を調べると、身に覚えのない高級ホテルや宝飾店への支払いが次々と見つかり……。夫婦|真相|親子関係1.8万字5 138 -
完結第10話
正月の高級焼肉、嫁の席だけ外した義母の誤算
結婚して六年、藤森美代は毎年正月になると、夫の実家で親戚たちの世話を押しつけられていた。集合写真にさえ入れてもらえず、いつも一人だけ台所で過ごしてきた。今年は赤坂の高級焼肉店で集まると聞き、ようやく皆と食事ができると思っていたのだが、出発直前、義母から「嫁の分は予約してない」と告げられる。怒った夫はその場で帰宅を決意。ところが、二人が帰った途端、義母と義姉は思いがけない事態に追い込まれる。高級焼肉の予約に隠されていた、二人の本当の狙いとは……。兄弟姉妹|嫁姑|夫婦|ATM扱い1.7万字5 725 -
完結第10話
もやしと消えた仕送り
フリーランスのデザイナーとして働く里見は、一人暮らしの母・春江に毎月10万円を仕送りしているつもりだった。ところが、久しぶりに訪ねた実家で目にしたのは、冷やご飯ともやしだけの寂しい食卓。母は仕送りなど一度も受け取っていないと言う。家計を任せていたのは、優しく頼りになる夫の久し。疑念を抱いた里見が夫のスマホを確かめると、そこには信じがたい送金記録と、妻をあざ笑うメッセージが残されていた。さらに、夫が隠していた給与明細にも不可解な数字が……。信じていた家族の裏切りを知った里見の反撃が始まる。裏切られた|嫁姑|親子関係|金銭問題1.5万字5 499