みかん小説
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"離婚して10年、元夫が鍵を替えなかった理由" 第2話

無言の卓と洗われたスリッパ

正彦とは、夫婦として同じ根ので暮らした。

決して、悪いではなかった。お酒をんで暴れることもなければ、ギャンブルにをしたこともない。真面目筋の技術者で、毎決まったにきちんと料袋をそのまま差ししてくれるような、絵に描いたような堅物だった。

浮気なんて考えたこともないし、周囲からは「優しくて真面目な旦さんね」と羨ましがられることすらあった。

ただ——言葉のないだった。

朝起きて「おはよう」と言っても、さく喉を鳴らして頷くだけ。夜、腕によりをかけて作った夕飯を卓に並べても、「いただきます」も「美しい」も言わない。黙々と箸をかして平らげると、ごちそうさまの代わりにさく息を吐き、すぐに聞を広げて顔を隠してしまう。

たまに何かを褒めようとして、照れくさくなるとたぶだけが真っ赤になる。若い頃は、そんな器用なところも純朴でらしいとえていた。

けれど、、と歳が流れるにつれ、その沈黙はみつ恵の胸にくたい澱となって溜まっていった。

の寒い朝、フローリングのたさに耐えかねてスリッパを履こうとすると、みつ恵の履いていたピンクのスリッパだけが、ベランダの物干し竿で綺麗に洗われて干してあることが何度もあった。

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(私のスリッパだけ汚れて見えたのかしら。几帳面なだから、気になったのね)

当の自分は、ただそれだけの理由だとい込んでいた。洗ってくれたことに対する謝を伝えても、正彦は「……ああ」と目を逸らすだけで、居悪そうにそっぽを向いてしまうからだ。

決定な孤独をじたのは、娘のゆが学学をにをて、きりになった卓だった。

それまでは、るいゆが学の話や友達の話を弾丸のように喋ってくれたおかげで、卓にはいつも笑い声があった。正彦も娘の話には目を細めてを傾けていた。

だが、娘というかすがいが抜けた瞬、残されたのは息の詰まるような静寂だけだった。

向かいって座っていても、線が交わることはない。カチャカチャという器の触れう音と、壁掛け計の秒針の音だけが部に響く。

(このの目に、私は映っていないのかもしれない)

ある夜、そうってしまった瞬、胸の奥で何かが静かに音をててえ切っていった。

政婦のようにご飯を作り、洗濯をし、掃除をする。けれど、を通わせる言葉は何つ交わされない。このまま歳をとって、で静かに老いていく未来を像したとき、みつ恵の元には底なしの虚しさが広がっていた。

歳の。桜が散り始めた頃、みつ恵はを決して、緑の枠線の入った婚届を卓のに置いた。

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仕事から帰ってきた正彦は、スーツの着を脱ぎ、ネクタイを緩めながらそのに目を落とした。

り狂うことも、取り乱すこともなかった。ただ、じっとそのを見つめ、数分のい沈黙のあと、胸のポケットから万を取りして、流れるような文字で自分の名をいた。そして、引きしから実印を取りして、静かに判を押した。

「……何か、言いたいことはないの?」

みつ恵が震える声で問いかけても、正彦はただ目を伏せたまま、さく首を横に振っただけだった。

引き止める言葉は、たったのつもなかった。

(やっぱり、このにとって私は、いてもいなくても同じだったんだ)

そう納得して、みつ恵はをる準備を始めた。荷物をまとめ、アパートを借り、のいをつずつ段ボールに詰めていった。

そして、すべてを運びした最の朝。

玄関のがり框でスニーカーの紐を結んでいたみつ恵の背に、正彦が度だけ、掠れた声をかけたのだった。

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