"母ちゃんへの三千円" 第2話
条の同居とたい井戸
京へやってきてから半が過ぎ、季節はを迎えていた。
田区の細いが入り組んだ角に建つ『沢製作所』は、トタン根に覆われたさな町だった。
階が作業で、真鍮や鉄の丸棒を削る旋盤が台並んでいる。その脇の急な製階段をがった階の突き当たりにある畳のが、吉雄たちみ込み員の寝だった。
午分。
目覚まし計のジリジリという属音が鳴り響くに、吉雄はパチリと目を覚ました。
暗い部の空気は、に入ってから急に肌寒さを増していた。畳のに敷かれた万には、吉雄を含めての若い男が川の字になって眠っている。
真んで豪にいびきをかいているのは、先輩員の耕平さんだった。吉雄と同じ岩の農ので、今で歳。集団就職で京して目になる先輩だ。もうは形の歳の武夫さんで、旋盤を握らせれば親方に次ぐ腕を持っていた。
吉雄はの眠りを妨げないよう、音をてずに布団からいた。
自分の部など当然ない。私物を置けるのは、壁際に並べられたさなリンゴ箱つだけだった。そこに着と数冊のノート、故郷の母からのを切にしまってある。
広告
顔を洗うために階の裏にある洗いへりる。
に据え付けられたの蛇を捻ると、骨まで凍りつくようなたいが勢いよくびしてきた。両でを掬い、バシャバシャと顔に叩きつけると、残っていた眠気が瞬で吹きんだ。
「よし……」
たいタオルで顔を拭い、吉雄は袖をまくりげた。
入りの最初の仕事は、誰よりもく起きてのを掃き清め、親方族と先輩たちのために茶の湯を沸かすことだ。
箒をに取り、まだ暗いへる。
ガラガラとの製引き戸をけ放ち、に落ちている属の削り屑や吸い殻を際よく集めていく。く聞配達の自転のチリンチリンというベルの音が、静かな朝の町に澄んで響いていた。
掃き掃除が終わると、の隅にあるきなドラム缶の油汚れを拭き取り、真鍮の切りを箒で掃き集める。
そして、母の台所へ向かった。
にあるきな真鍮のやかんを井戸で満たし、油コンロのにかける。シュンシュンと湯気がちるのを見届けながら、吉雄は玄関のタタキへ向かった。
脱ぎ散らかされた親方の革靴と、おかみさんのサンダル、先輩たちの全靴を、を払い落としてから綺麗に揃える。
「あら、吉雄ちゃん。今朝もいわねぇ」
奥の引き戸がき、割烹着を着たおかみさんのトミさんが入ってきた。
広告
がらみの、柄だが声のよく通る気のいい女性だった。
「おはようございます、おかみさん! お湯、沸いてます!」
「はいはい、ご苦労さん。顔、真っ赤じゃないの。ほら、お噌汁できるから、のを起こしておいで」
「はい!」
階段を駆けがり、「耕平さん、武夫さん、半です! ご飯ですよ!」と声をかけると、布団のから「うーん……」と唸り声が返ってきた。
朝は、母の茶ので親方と座になってべるのが決まりだった。
丸いきなちゃぶ台の央には、根と油揚げがたっぷり入った噌の噌汁の鍋と、盛りのたくあん、それに焼き苔が置かれていた。
「いただきます」
親方の沢が太い箸を取ると、全員が斉にをわせた。
ご飯は、きなおひつからのおかわりが自由だった。育ち盛りで、常に胃袋を空かせている歳の吉雄にとって、この朝の米ほどありがたいものはなかった。
どんぶり飯にい噌汁をかけ、ガツガツと音をててかき込む。
「吉雄、いっぷりだけはだな」
向かいに座る親方が、たくあんをボリボリと噛みながらぶっきらぼうに言った。
「いっぱいって、く体をでかくしろ。ひょろひょろの腕じゃ、旋盤のハンドルも満に回せねえぞ」
「はい! ごちそうさまでした、おかわりいただきます!」
どんぶりを差しすと、おかみさんが笑いながら、マンガのように盛りのご飯をよそってくれた。
「ほら、慮しないでべなさい。今も、油まみれになるんだからね」
ご飯をべ終えると、すぐにちがり、おかみさんから銭を受け取った。
「吉雄ちゃん、表の豆腐って、綿丁買ってきておくれ」
「はい、ってきます!」
駄をつっかけてを駆けす。
朝のたいを胸いっぱいに吸い込みながら、吉雄は空を見げた。
ひとつないれの空の向こうに、く、建設の巨な速の脚が朝に照らされてく浮かびがっていた。
広告
おすすめ作品
-
完結第12話
最後の伝書鳩
昭和19年、南方の山地。撤退を命じられた部隊は、谷に残された九人の兵士と連絡が取れなくなっていた。 通信兵の関谷清一伍長は、彼らが「未帰還」の一言で片づけられることに納得できない。しかし、無線は故障し、残された伝書鳩は最後の一羽だけ。報告書が敵の手に渡れば、百人以上の仲間まで危険にさらされる。 命令を守るか、九人の居場所を知らせるか。関谷は報告書の裏に、九人の名前と谷の場所を書き込んだ。 戦場で一枚の報告書と一羽の鳩に、九人の命を託した通信兵の物語。時代|歴史|昭和|真実2.3万字5 7 -
完結第12話
雪道を走る父の約束
昭和46年12月。東京の運送会社で働く健造は、青森まで荷物を届ける長距離便に出発する。小学二年生の息子・誠に「明後日の晩には帰る」と約束し、手作りのお守りを胸ポケットに入れて、国道4号を北へ向かった。高速道路がなく、休む間も惜しんで走る運転手が多かった時代。雪の峠道、重いハンドル、厳しい納期に追われる健造は、深夜、激しい眠気に襲われる。早く荷物を届けたい。でも、家では息子が待っている。時代|歴史|昭和|親子関係1.1万字5 83 -
完結第14話
赤飯を炊いた朝
昭和38年、福岡県筑豊の炭鉱町。閉山が告げられた朝、食堂を営む澄子は赤飯を炊いた。坑夫の夫・昭吉は激怒し、同じ炭鉱で働く息子も母を責める。町では「閉山を喜んでいる」と噂され、長年の友人からも拒まれてしまう。 けれど澄子には、どうしても赤飯を炊きたかった理由があった。仕事を失う夫、炭鉱に残ろうとする息子、看護婦を夢見る娘。店の経営も苦しくなるなか、澄子は家族のこれからを考え始める。時代|歴史|昭和|第二の人生2.6万字5 96 -
完結第12話
姑から受け継いだしゃもじ
昭和33年、山形の農家に嫁いだ19歳のふみ。見合い相手とは一度会っただけで、夫の家には厳しい姑・としが待っていた。朝4時半から始まる家事と農作業。台所も財布も姑が取り仕切り、ふみに自由はほとんどなかった。夫の出稼ぎ、子どもたちの成長、東京オリンピック、農村の暮らしの変化。長い年月を同じ屋根の下で過ごすうち、ふみは厳しい姑の知らなかった一面に触れていく。嫁として生きた女性が、次の世代へ何を残すのか。時代|歴史|昭和|嫁姑|夫婦1.2万字5 227