みかん小説
本棚

"葬儀よりハワイ" 第1話

田所吉郎は、80歳になってから、55連れ添った最の妻をくした。

妻の名は子。吉郎がまだ何も持たない若い員だった頃から、ずっと隣で支えてくれただった。

吉郎は昭の初め、さな町にまれた。は裕福ではなかった。父は朝くから田んぼへて、母は内職で計を支えていた。吉郎は子どもながらに、いつか両親に楽をさせたいといながら育った。

学をると、両親にげて京した。き先は京の町にあるさな町だった。み込みの見習い員として、朝6に起き、作業を掃除し、が暮れるまで旋盤のった。

油まみれの作業着。でもたいで部品を洗う毎。指先はひび割れ、爪のにはいつも鉄が詰まっていた。それでも吉郎は歯をいしばった。

ここで腕を磨けば、いつかきっと。

そう信じて働いた。

吉郎のが変わったのは、23歳のだった。堂に、しい女性が入ってきた。佐藤子。吉郎と同いで、同じだった。柄でで、いつもし俯きがちに歩く静かなだった。

子はきな声で笑うことも、目つことを好むこともなかった。けれど仕事は丁寧で、堂のおばさんたちからも「ちゃんは気が利くね」とがられていた。

吉郎が子を識したのは、ある残業の夜だった。

遅くまで旋盤を回し、堂に顔をすと、誰もいない厨のテーブルのに、アルミに包まれたおにぎりが1つ置かれていた。そばにはさなメモが添えられていた。

「お疲れ様です。めてしまってすみません」

はなかった。

けれど、吉郎にはすぐ分かった。

あの丸い字は、子さんだ。

それからも、吉郎が残業するたびに、おにぎりは静かに置かれるようになった。鮭のもあれば、おかかのもある。ある夜は、さな梅干しが別に包まれていた。

吉郎は器用な男だった。翌の昼、堂のカウンター越しに「あの、昨はどうも」と言うのが精杯だった。

子はそのたびに頬をし赤くして、「残りですから」と俯いた。

やがて吉郎は、週末の休みに子を誘うようになった。くの公園を歩き、商堂でラーメンをべ、神社の境内に座ってもない話をした。のない若い2にとって、それだけで分だった。

あるの夕方、2で隅田川沿いを歩いていた、吉郎はち止まった。川面に沈む夕を見つめながら、声を絞りした。

子さん、俺、まだ何も持ってないけど、いつか絶対あんたを幸せにする。だから……」

その先が続かず、吉郎は川を睨んだまま黙り込んだ。

子もしばらく何も言わなかった。やがてさな声で言った。

「私、別に何もいらないです」

吉郎が振り向くと、子はし泣きそうな顔で笑っていた。

「吉郎さんが元気で帰ってきてくれたら、それだけでいいんです」

その言葉を、吉郎はこの先55、1度も忘れなかった。

2は20代のうちに、ささやかな式を挙げて夫婦になった。

居はくにある造アパートの1だった。4畳半にさな台所がついただけの部で、呂はなく、2所の銭湯に通った。は蒸し暑く、は隙が入った。お世辞にも適な暮らしとは言えなかった。

それでも子は、1度も文句を言わなかった。

古い畳をきれいに拭き、窓辺にさなを飾り、吉郎の作業着を毎晩洗いしてくれた。夕飯は質素だったが、子の作る噌汁だけは絶品だった。

吉郎は毎晩、茶碗を置くたびに言った。

「うまいな」

すると子は、し照れたように笑った。

「あなたがそう言ってくれるから、私、お噌汁だけはを抜けないの」

その笑顔を守りたい。

吉郎はそうった。

だからもっと働いた。もっと腕を磨いた。寝るも惜しんで旋盤の技術を覚え、図面を読む力も独学でにつけた。

の親方に認められ、30代半ばには現を任されるようになった。

40歳を過ぎた頃、吉郎に転が訪れた。親方が体を壊して引退することになり、取引先の部を引き継がないかと話を持ちかけられたのだ。

するということは、失敗すれば何もかも失うということだった。まだ幼かった息子、正の顔が浮かんだ。

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: