"用済みと言われた妻" 第1話
「婚届、用しておいたから。てってくれ」
その言葉が私のに届いた瞬、が止まったような錯覚に陥りました。
朝の静かなキッチンに、夫の声だけが自然に響いていました。そのは、私たちの結婚25周の記の朝でした。
私はいつものように朝5に起き、夫の好物をしずつ並べていました。湯気のつ噌汁、焼き魚、卵焼き、丁寧に研いで炊いたいご飯。特別なだから、いつもよりしだけ豪華にしましょうか、と1で呟きながら台所にっていたのです。
噌汁のりが部に満ち、窓のには柔らかな朝のが差し込んでいました。こんな穏やかな朝に、を切り裂くような言葉を聞くことになるとはってもいませんでした。
6きっかりに、夫の正雄は階段をりてきました。
いつもと変わらない取りでした。けれど、卓に着いた夫の表には、見慣れないたさが宿っていました。
「おはようございます」
私はいつものように声をかけました。
しかし夫は返事をしませんでした。子に腰をろすと、懐から茶封筒を取りし、テーブルのに置きました。
そして、まるで気の話でもするかのような調で、冒の言葉を告げたのです。
私は箸を持つを止めました。
茶封筒を見つめ、それから夫の顔を見ました。
広告
りでもしみでもない、議な覚が胸の奥から湧きがってきました。
自分でも驚くほど静かな声で、私は答えました。
「わかりました。承いたしました」
夫の眉がぴくりときました。
私が泣き叫ぶとっていたのでしょう。すがりつき、「お願いだから考え直して」と言うと期待していたのかもしれません。
けれど、そのの私のでは、別の何かが静かに目覚め始めていました。
私の脳裏に、25の記憶が馬灯のようによみがえりました。
婚当、夫は優しいでした。
「芳恵がいてくれるだけで、俺は世界幸せだ」
そう言って、仕事で疲れた私の肩を揉んでくれたこともありました。さなアパートで、2で鍋を囲んだ夜。子どもがまれたの泣きそうな笑顔。あの頃の夫は、確かに私を切にしてくれていたはずでした。
けれど、その優しさはいつから変わってしまったのでしょうか。
私は保健師として、域の々の健康を30以守り続けてきました。朝は5に起き、夜は夜まで対応に追われることもありました。それでも事はを抜かず、2の子どもたちも派に育てげました。
私の収は800万円を超えていました。
けれど、そのほとんどを計に入れてきました。夫の収は600万円。わせて1400万円の世帯収入があったはずですが、通帳を管理していたのは夫でした。
広告
「俺が計を管理した方が効率だ」
そう言われ、私は信じました。
料になると、素直に全額を渡しました。自分の化粧品1つ買うにも、夫の顔をうかがう活でした。
友たちは配してくれました。
「芳恵さん、なぜそこまでするの?」
そのたびに私は笑って答えていました。
「夫婦は支えうものですから」
えば、私は夫のためにきてきたのかもしれません。
夫の好みにわせ、夫の望む妻であろうと努力し続けました。保健師としての激務をこなしながら、では良き妻を演じ続けていたのです。
その25への答えが、今朝の婚届なのでしょうか。
胸の奥で何かが崩れていくような覚がありました。
いえ、崩れたのではありません。
い押し込めていた本当の自分が、ゆっくりと目を覚まし始めたのです。
朝にほとんどをつけないまま、夫は姿勢を正しました。
まるでな相談を始めるかのように、い声で話ししました。
「芳恵、誤解しないでくれ。これは突然のいつきじゃない。1以から考えていたことだ」
私は黙って聞いていました。
25共に暮らした相の本当の姿を、初めて見るような気がしていました。
「正直に言うが、おはもう若い女じゃない。58歳だろう。鏡を見たことがあるか。しわだらけで、髪も増えて、昔の面なんてどこにもない」
胸に鋭い痛みがりました。
確かに私は若くありません。
けれど、それは夫のため、子どもたちのため、域の々のためにり続けてきた証ではないでしょうか。
広告
おすすめ作品
-
完結第6話
68歳、レジで再会した友
5年前、幸子は友人・道代に笑われた。 「まだ働いてるんだね」 「月1万円の積み立てなんて、やってないのと同じじゃない」 年金10万円でスーパーのレジに立つ幸子と、余裕のある老後を語っていた道代。あの日の小さな笑い声は、幸子の胸にずっと残り続けていた。 それから5年後。 68歳になった幸子のレジ前に、道代が突然現れる。手にしていたのは、半額の惣菜と安い食パンだけ。かつて自信に満ちていた彼女の手は、なぜか小さく震えていた。 そして道代が置き忘れたポイントカードの下には、たった一言だけ書かれた紙が挟まっていた。 「相談があります」 5年前に笑った人と、笑われた人。 同じ喫茶店で再び向き合った二人を待っていたのは、思いもよらない老後の現実だった――。人生逆転|第二の人生|金銭問題8.6千字5 253 -
完結第6話
雨の夜の招待状
還暦を過ぎた林義子は、夫の書類カバンから一枚の招待状を見つける。 そこに書かれていたのは、夫・正雄と別の女性の名前。そして、3ヶ月後に京都の高級宿で開かれる結婚式の案内だった。 36年間、夫の食事を作り、薬を管理し、家計を守り続けてきた義子。だが夫はその裏で、共有財産を移し、退職金2200万円を隠し、新しい女との生活まで準備していた。 義子は泣かなかった。怒鳴らなかった。 ただ静かに証拠を集め、弁護士にすべてを託す。 そして迎えた結婚式当日。80人の招待客が見守る会場に、花嫁ではなく、1人の弁護士が現れる。 その瞬間、夫が夢見た新しい人生は崩れ始めた――。人生逆転|不倫|熟年離婚9.2千字5 258 -
完結第6話
骨壷に眠る花嫁
結婚式の2日前、山田晴恵は突然姿を消した。 婚約者との口論、消えた財布、荒らされた形跡のない部屋。警察は彼女を「結婚を恐れて逃げた花嫁」と判断し、事件は自発的失踪として処理された。 家族は世間の冷たい視線に耐え、婚約者は“残された新郎”として同情を集めたまま、時間だけが過ぎていく。 しかし6年後、群馬県の国道18号線沿いで排水設備の交換工事中、コンクリート製の雨水桝から異様な包みが見つかる。 中にあったのは、人間の頭部。 歯科記録の照合により、それは6年前に消えた晴恵のものだと判明した。 彼女は逃げたのではなかった。 では、誰が彼女を殺し、なぜ道路脇のコンクリートの中に隠したのか。 “逃亡した花嫁”という嘘が崩れた時、婚約者が守り続けた6年間の沈黙が、静かにほころび始める――。ミステリー|夫婦|真実|真相9.1千字5 220 -
完結第8話
四十九日、電話を切った妻
義母が急変した夜、私は海外出張中の夫に必死で電話をかけた。 けれど返ってきたのは、信じられないほど冷たい一言だった。 「お前とは1秒も話したくない。二度と仕事の邪魔をするな」 私は「わかった」とだけ答え、その日から49日間、夫に一切連絡しなかった。 義母の最期、葬儀、親族への連絡、すべてを私ひとりで終わらせた。 そして四十九日。ようやく帰国した夫は、何も知らないまま親族の前に現れ、私を責め始める。 だが、その場には義母が最後に残した“ある証拠”があった。因果応報|嫁姑|夫婦|介護1.3萬字5 494 -
完結第6話
スイスへ消えた妻
離婚届を突きつけられたその日、藤崎陽子は静かに住民登録を抹消し、スイス行きの片道航空券を握って成田空港に立っていた。 夫・達也は愛人の出産に付き添い、「跡取りが生まれる」と五十嵐家は歓喜に包まれていた。だがその直後、医師が告げた“ある一言”によって、彼らの幸せは一瞬で崩れ落ちる。 長年、嫁として、妻として、会社の実務担当として尽くしてきた陽子。しかし五十嵐家にとって、子を産めない彼女はただの“用済み”だった。 けれど彼らは知らなかった。人生逆転|夫婦|第二の人生8.5千字5 302 -
完結第5話
消された妻の通院日
「また病院か。大げさだな」 妻・さち子が胸の苦しさを訴えた朝、夫の週一はいつものようにそう言い捨てた。 長年、夫の通院準備、薬の管理、食事の塩分調整まで、すべてを黙って支えてきたさち子。だが彼女自身の診察予定は、カレンダーの隅に薄い鉛筆で書かれ、何度も消されていた。 息子の嫁・由香が見つけたのは、破かれた予約票、飲まれないまま隠された薬、そして引き出しの奧にしまわれた一通の紹介狀。 「私の分は、すべて後で」 その小さな文字に、家族の誰も気づかなかった。 そしてある朝、さち子は臺所で倒れる。 病院の受付で、週一は初めて知る。自分は妻の病名も、薬も、痛みが始まった日さえ知らなかったのだと――。人生逆転|夫婦|熟年離婚7.2千字5 230