"崖下に残された声" 第5話
お義母さんさえいなければいい。あなたは私のもの。俺は怖くて眠れない。誰か助けてくれ」
弁護士のから類が落ちた。
彩佳の顔から血の気が引いた。
「捏造よ。あのはもともと妄を言うだったの」
伊藤は次のファイルをいた。
「ではこれはどうです。あなたが夫の携帯にスパイウェアを入れた記録。事件の1週にアルプスの崖を見した位置報。夫の歯ブラシで便器を磨いた記録。姑の料理を捨てた写真」
彩佳の表が崩れていった。
最に、事件当の音声ファイルが再された。
の音。
がこすれる音。
優の震える声。
「おい、どうしたんだ。母さんのをせ。押すな、やめてくれ」
次に聞こえたのは、彩佳のたい声だった。
「お義母さんのをしなさい。あなたは私のものよ。んでも私だけを見ていなきゃ」
鳴。
鈍い音。
録音はそこで途切れた。
取調にはい沈黙が落ちた。
弁護士はゆっくりちがった。
「渡辺さん、私はこの事件からを引きます」
「かないで。おならもっと払うわ!」
弁護士は振り返らなかった。
彩佳はしばらく肩を震わせていた。
やがて、そのから奇妙な笑い声が漏れた。
「く、ふ……はは……」
泣いているのではなかった。
笑っていた。
「? あんたたちは全部、のためだとうんでしょう。違うわ。しているから殺したの」
広告
伊藤は目を細めた。
「なぜ殺した」
彩佳は錠のかかったを振り回した。
「あの寄りが、私の夫を奪っていくからよ。事の、あの女の皿におかずを乗せてあげるのを見た。私には1度もしてくれなかったのに。あれが浮気じゃなくて何なの?」
夫が母を気遣う些細な。
それが、彩佳のでは倫と同じを持っていた。
伊藤はさらに尋ねた。
「スニーカーはどうした」
彩佳はで笑った。
「の部座席のにしい靴を隠していたのよ。してからだらけの登靴を袋に入れて、しい靴に履き替えた。それだけ」
「物で買ったガソリン缶とライターは?」
「本当は、までりて遺体にをつけるつもりだった。でも形が険しくてづけなかったの。どうせ警察は事故で処理するとっていたから」
そして彩佳は、さらに恐ろしいことを語った。
「夫はね、すぐんだわけじゃなかったの。崖の途のに引っかかっていたのよ。から見たら目がったの。『あやか、助けてくれ』って言ってた」
伊藤の背筋にたい汗が流れた。
「それで?」
彩佳はうっとりしたように笑った。
「を投げたの。1回目はれたけど、2回目はちゃんとに当たった。そうしたら落ちていったわ」
取調ので聞いていた捜査員たちは、言葉を失った。
彩佳には罪悪がなかった。
広告
ただ、自分の歪んだを完成させたという達成だけが残っていた。
裁判所の法廷は、真の底のようにたかった。
渡辺彩佳に対する判決公判の、傍聴席は報陣と民、そして田優の遺族で埋め尽くされていた。
彩佳は囚を着て、被告席に座っていた。表はなく、ただ虚空を見つめていた。
裁判が判決文を読みげた。
「被告は、自の配偶者と姑を計画に誘いし、残虐に殺害した。特に、被害者が転落にしていることを確認しながら、とどめを刺すためにを投げた為は、の尊厳を踏みにじる反倫理な犯罪である」
法廷は静まり返った。
「また、犯を隠蔽するために証拠を隠滅し、7にわたりの分で活しながら、反省の態度を切見せなかった」
裁判は呼吸置いた。
「よって、被告渡辺彩佳に無期懲役を言い渡す」
無期懲役。
その言葉が響いた瞬、傍聴席から堵の息とすすり泣きが漏れた。
しかし、彩佳は突然ちがった。
顔はりで赤く染まり、目は血っていた。
「無期懲役ですって? 私が何をしたっていうの? しているからやったって言ったじゃない!」
刑務官たちが両腕を押さえたが、彩佳は暴れ続けた。
「優さんは私だけをしているの! んでも私のものよ!」
その叫び声は、法廷の扉が閉まるまで続いた。
事件、世のはきくき始めた。
メディアはこの事件を「アルプスの劇」「田優事件」として報じ、庭内の監、配偶者へのストーキング、ガスライティングの危険性を取りげた。
広告
おすすめ作品
-
完結第10話
多摩川に沈んだ食堂
2001年、東京の外れにある古びた商店街で、小さな食堂を営んでいた脱北女性・李恩淑が突然姿を消した。 財布も通帳も店に残されたまま。厨房はいつも通りきれいに片づけられ、まるで翌日も店を開けるはずだったように見えた。けれど、彼女だけがどこにもいなかった。 町の人々に温かい食事を出し、孤独な老人たちの心の支えにもなっていたオンスク。だが、彼女の過去を知る者は少なく、警察の捜査もやがて「自ら姿を消したのではないか」という見方に傾いていく。 それから13年後。 多摩川の護岸工事中、土の中から錆びついた手下げ金庫が見つかる。中に入っていたのは、古い鍵と、李恩淑の名前が書かれた一冊の手帳だった。 手帳に何度も記されていた謎の文字「K」。 失踪前、彼女は何に怯えていたのか。なぜ町の人々は、ある男の存在を語ろうとしなかったのか。 13年間沈黙していた小さな商店街の記憶が、今、静かに動き出す。ミステリー|真実1.4萬字5 5 -
完結第6話
ハワイへ消えた母
「10年間、お疲れ様でした」 息子夫婦からそう告げられ、68歳の長沼クミは家を出るよう求められた。 孫の世話、家事、食事、掃除――結婚以来10年間、息子家族のために尽くしてきた日々。けれど、感謝の言葉はいつしか消え、最後に残ったのは“もう必要ない”という冷たい宣告だった。 しかし、クミは泣かなかった。 なぜなら彼女は、ずっと前からこの日が来ることを予感していたから。 翌朝、荷物はすでにまとめられていた。息子夫婦が呆然と見つめる中、クミは静かに家を去る。そして1ヶ月後、彼女は日本ではなく、青い海の広がるハワイにいた。 その頃、息子からの着信は90件。 だが、クミが再び振り返ることはなかった――。因果応報|人生逆転|ATM扱い|親子関係9.4千字5 7 -
完結第7話
5500億を動かした手
施設で育ち、ようやく銀行の正社員として初出勤の日を迎えた24歳の志宮リンカ。 しかし出勤途中、駅前で倒れていた一人の老人を見つけた彼女は、迷わず足を止める。救急車が来るまで手を握り続けた結果、初出勤にはわずか5分遅れてしまった。 待っていたのは、支店長からの冷たい一言だった。 「初日から遅刻か。即刻解雇だ」 事情を聞こうともせず、施設出身という経歴まで見下され、リンカはたった5分で夢を奪われる。けれど、支店長は知らなかった。 彼女が助けた“質素な老人”の正体を。 翌日、東銀行梅ヶ丘支店に現れたのは、5500億円を預ける大口顧客。その男が口にした一言で、支店長の顔色は一瞬にして青ざめる。 踏みにじられた善意は、本当に報われないのか。 これは、見返りを求めず手を差し伸べた新人行員が、たった一つの優しさで運命を大きく変えていく物語。人生逆転|金銭問題|修羅場1.0萬字5 102 -
完結第6話
犬吠埼に消えた三人
1994年元旦。初日の出を見に銚子・犬吠埼へ向かった50代の同級生3人が、旅館に荷物を残したまま忽然と姿を消した。財布も身分証も部屋に置かれ、携帯電話の信号は午前5時10分、3台同時に途絶えていた。 事故か、家出か、それとも事件か。 警察の捜査は難航し、事件は8年間、未解決のまま時が過ぎていく。だがある春の日、1人の同級生が警察署を訪れたことで、沈黙していた真実が動き出す。 初日の出の海で、彼女たちに何が起きたのか。 そして、夫が8年後に明かした“本当の罪”とは――。ミステリー|真実|真相8.6千字5 48 -
完結第6話
68歳、レジで再会した友
5年前、幸子は友人・道代に笑われた。 「まだ働いてるんだね」 「月1万円の積み立てなんて、やってないのと同じじゃない」 年金10万円でスーパーのレジに立つ幸子と、余裕のある老後を語っていた道代。あの日の小さな笑い声は、幸子の胸にずっと残り続けていた。 それから5年後。 68歳になった幸子のレジ前に、道代が突然現れる。手にしていたのは、半額の惣菜と安い食パンだけ。かつて自信に満ちていた彼女の手は、なぜか小さく震えていた。 そして道代が置き忘れたポイントカードの下には、たった一言だけ書かれた紙が挟まっていた。 「相談があります」 5年前に笑った人と、笑われた人。 同じ喫茶店で再び向き合った二人を待っていたのは、思いもよらない老後の現実だった――。人生逆転|第二の人生|金銭問題8.6千字5 306 -
完結第6話
雨の夜の招待状
還暦を過ぎた林義子は、夫の書類カバンから一枚の招待状を見つける。 そこに書かれていたのは、夫・正雄と別の女性の名前。そして、3ヶ月後に京都の高級宿で開かれる結婚式の案内だった。 36年間、夫の食事を作り、薬を管理し、家計を守り続けてきた義子。だが夫はその裏で、共有財産を移し、退職金2200万円を隠し、新しい女との生活まで準備していた。 義子は泣かなかった。怒鳴らなかった。 ただ静かに証拠を集め、弁護士にすべてを託す。 そして迎えた結婚式当日。80人の招待客が見守る会場に、花嫁ではなく、1人の弁護士が現れる。 その瞬間、夫が夢見た新しい人生は崩れ始めた――。人生逆転|不倫|熟年離婚9.2千字5 286 -
完結第6話
骨壷に眠る花嫁
結婚式の2日前、山田晴恵は突然姿を消した。 婚約者との口論、消えた財布、荒らされた形跡のない部屋。警察は彼女を「結婚を恐れて逃げた花嫁」と判断し、事件は自発的失踪として処理された。 家族は世間の冷たい視線に耐え、婚約者は“残された新郎”として同情を集めたまま、時間だけが過ぎていく。 しかし6年後、群馬県の国道18号線沿いで排水設備の交換工事中、コンクリート製の雨水桝から異様な包みが見つかる。 中にあったのは、人間の頭部。 歯科記録の照合により、それは6年前に消えた晴恵のものだと判明した。 彼女は逃げたのではなかった。 では、誰が彼女を殺し、なぜ道路脇のコンクリートの中に隠したのか。 “逃亡した花嫁”という嘘が崩れた時、婚約者が守り続けた6年間の沈黙が、静かにほころび始める――。ミステリー|夫婦|真実|真相9.1千字5 266