"最後に座った妻" 第6話
寝へ戻り、クローゼットをけた。
その瞬、体が固まった。
子のがなかった。
ハンガーだけが等隔に並んでいる。タンスの引きしをけても、子の着も普段着も消えていた。化粧台のにあった物も、ほとんどなくなっている。
まるで、最初からそこには何もなかったように。
勝則はふらふらとリビングへ戻った。
テーブルのに、1枚のと指輪が置かれていた。
勝則はをに取った。
子の字だった。
丁寧で、迷いのない字だった。
「35ありがとうございました。私はここで終わりにします。あなたの残りのが穏やかでありますように。」
3だけだった。
勝則はそのを持ったまま、子に座った。
がうまくかなかった。
どこかに買い物へっただけだとおうとした。し腹をてて、すぐ戻ってくるのかもしれないとも考えた。
けれど、空っぽのクローゼットがその考えを打ち消した。
指輪がテーブルので鈍くっている。
35、子の細い指にはめた指輪だった。
勝則は震えるで、理恵に話をかけた。
何度目かの呼びし音の、理恵がた。
「もしもし」
「お母さんがいないんだ」
話の向こうで、しのがあった。
やがて理恵は静かに言った。
「ってる」
勝則は息を呑んだ。
「ってるって……お、ってたのか」
「うん」
「止めなかったのか」
広告
「止める理由がなかった」
理恵の声は静かだった。っていない。泣いてもいない。その落ち着きが、鳴られるよりずっと勝則の胸に刺さった。
「お父さん」
理恵はしを置いて続けた。
「お母さんが何度話しかけようとしてたか、覚えてる?」
勝則は答えられなかった。
「夜、眠れてないことってた?」
答えられなかった。
「湯で泣いてたこと、1度でも気づいたことあった?」
勝則はをいたが、言葉がなかった。
話の向こうで、理恵がさく息をついた。
「お父さんは、何もしてないとってるかもしれない。でもお母さんは35、笑いながら削られてたんだよ」
通話が切れた。
勝則はしばらくそのからけなかった。
テーブルのの指輪が、の朝のを受けて鈍くっていた。
その、子は見らぬ町のさな喫茶にいた。
窓際の席で、両でカップを包みながら、を歩くたちを見ていた。誰も子をらない。誰も子に何かを求めない。
窓のには、細かなが散らついていた。
泣くかとった。
でも涙はなかった。
ただ、い息を1つ吐いた。
5に起きた朝。
眠れなかった夜。
笑って流した言葉。
湯で声を殺して泣いた夜。
全部をその息に込めるように、ゆっくり吐いた。
誰かの分を先に用しなくていい。
誰かの顔を確かめなくていい。
ただ自分のために、ここに座っていていい。
広告
それだけのことが、こんなにもくまで来なければに入らなかった。
子がいなくなってから、3が経っていた。
勝則は、自分がこれほど何もらないだったということを、しずついっていた。
まず、朝が作れなかった。
蔵庫をけても、何をどう使えばいいのか分からない。卵はあったが、フライパンの所が分からなかった。ようやく見つけても、油がどこにあるのか分からない。加減も分からず、焦げた卵を見て、結局捨てた。
コンビニへき、弁当を買った。
べられないことはなかった。
だが、ひどく空虚だった。
2目、洗濯のでち尽くした。
洗剤をどこに入れるのか。量はどうするのか。物といものを分けるのか。子が当たりのようにしていたことが、勝則にはつも分からなかった。
3目には、ゴミのが分からなかった。
台所の隅に置いた袋が膨らみ、匂いが気になり始めた。町内会のがどこかにあったはずだとったが、見つからない。
係りつけの病院がどこなのかも、よく分からなかった。診察券をどこにしまっているのか。薬の残りはどれくらいなのか。気代がどこから引き落とされているのか。料の通はどこに来るのか。
35、全部子がやっていた。
勝則はそれを「任せてある」とっていた。
だが実際は、何もらないままきてきただけだった。
ある昼、勝則は息子の健に話をかけた。
広告
おすすめ作品
-
完結第13話
冷えた雑煮の逆転正月
元日の夜、シンガポール出張から1日早く帰国した佐藤健一は、実家の食卓に妻・弓の席だけがないことに気づく。 暖かい居間では、母と弟が豪華なおせちを囲んで笑っていた。だが弓は、冷え切った台所の隅で、たった1人、冷たい雑煮をすすっていた。 15年間、夫の不在中に何が起きていたのか。 赤切れた手、擦り切れたカーディガン、使わせてもらえないお湯。そして、父が遺したはずの3000万円の預金に残されていた、不可解な出金記録。 健一は怒りを飲み込み、その場では何も言わなかった。 翌朝、妻を呼び出した彼は、ついに決断する。 だが金庫を開けた時、そこにあったのは消えた遺産だけではなかった。弓の名前が書かれた、覚えのない離婚届。そして母と弟が隠していた、さらに深い裏切りの証拠。 元日の冷たい台所から始まった夫婦の反撃は、やがて家族の嘘を一つずつ暴いていく――。嫁姑|夫婦1.9萬字5 30 -
連載中第7話
20億追放妻の封筒逆転
斎藤グループ創業家の長男と結婚して5年。跡継ぎを望まれながらも子どもに恵まれず、結菜は義実家の視線に耐え続けていた。 そんなある日、夫の愛人が妊娠したことを知らされる。しかも相手の女性は双子を身ごもっていた。義父母は結菜に離婚合意書を差し出し、20億円と引き換えに日本を出るよう命じる。 家族だと思っていた場所から、金で追い出されることになった結菜。だが署名の直前、彼女は誰にも言えない“ある事実”を知る。 何も告げず海外へ渡った結菜と、愛人との結婚式を迎えようとする元夫。 すべてが斎藤家の思い通りに進むはずだったその日、式場に一通の封筒が届く。 そこに記されていた真実が、夫と愛人の未来、そして斎藤家の後継者計画を静かに崩していく――。因果応報|人生逆転|不倫1.1萬字5 30 -
完結第11話
部外者会長の逆襲
営業部の新年会に、夫と一緒に出席した井上ゆかり。 しかし会場に着くと、用意されているはずの席はなく、課長の獅倉からは笑いながらこう言われた。 「今日は関係者だけで飲もうよ」 部外者扱いされ、夫婦そろって追い出されるように店を出たゆかり。だが店の外には、黒いセダンと秘書が待っていた。 「帰るから、車出して」 「会長、承知しました」 実はゆかりには、会社の誰も知らないもう一つの顔があった。 翌朝、課長から慌てた電話が入る。大型契約が突然保留になり、会社のサーバーからは、ただの嫌がらせでは済まされない重大な痕跡が見つかっていた――。因果応報|修羅場1.6萬字5 743 -
完結第13話
吹雪の一杯
夫が遺した山あいの温泉旅館「灯里館」を、一人で守り続けてきた70歳の富美子。 しかし返済期限まで残り三ヶ月。1500万円の借金を抱え、親族や開発会社からは「もう旅館を売れ」と迫られていた。 そんなある吹雪の夜、富美子は雪の中で倒れていた一人の外国人男性を助ける。凍えた彼に差し出したのは、囲炉裏の火と、いつもの味噌汁だった。 ただの親切のはずだった。 だが、その外国人が残した映像をきっかけに、灯里館には世界中から予約が殺到する。さらに、旅館を買い取ろうとする開発会社が本当に狙っていたもの、そして亡き夫が密かに守ろうとしていた“山の秘密”が少しずつ明らかになっていく。 夫は本当に旅館を売ろうとしていたのか。 なぜ死後の日付で、夫の署名が残されていたのか。 消えかけた囲炉裏の火が、富美子の人生をもう一度動かし始める――。因果応報|人生逆転1.9萬字5 670 -
完結第10話
消えた金づる夫
妻と娘が、妻の浮気相手とハワイ旅行へ出発する朝。 山中敏文は、玄関で笑いながら荷物を確認する2人を黙って見送っていた。妻の裏切りも、娘がそれを知りながら母親の浮気相手と親しくしていたことも、すでにすべて知っていたからだ。 「今日でさようならだな。永遠に帰ってこなくていいぞ」 敏文の言葉を、妻はただの嫉妬だと笑い飛ばす。娘もまた、父を見下すような言葉を残して出ていった。 しかしその日こそ、敏文が何か月もかけて準備してきた“最後の日”だった。 2人がハワイで浮かれている間に、家の中から荷物は消え、生活の土台は静かに崩されていく。妻が当然のように帰るつもりだった場所は、もう以前の家ではなかった。 帰国後、空っぽの部屋で妻が知ることになる真実。 そして、金づるだと思っていた夫が本気で消えた時、彼女たちの人生は一気に崩れ始める――。人生逆転|夫婦|不倫1.5萬字5 2352 -
完結第12話
アクセル細工の報い
深夜1時、森雪穂のスマホに届いた防犯カメラの通知。 ガレージの映像に映っていたのは、夫・翔太だった。彼は周囲を気にしながら、雪穂が祖父から受け継いだ大切な車に何かをしていた。 翌朝、翔太は不自然なほど雪穂を車で外出させようとする。だが雪穂は知らないふりをしたまま、車には乗らなかった。 そんな時、突然やって来た義両親が「今日だけ車を貸してほしい」と言い出す。見栄のために雪穂の車を借りようとする2人を、なぜか翔太だけが必死に止め始めた。 「待ってくれ。その車はやめろ」 昨夜、夫は車に何をしたのか。 そして、義両親がその車に乗った瞬間、翔太の隠していた本性が静かに崩れ始める――。因果応報|夫婦1.8萬字5 3061 -
完結第12話
凍った再婚式
36年間連れ添った夫の鞄から、妻・佳子が見つけたのは、見知らぬ女性との結婚招待状だった。 しかも日付は3月14日。会場は京都・祇園の高級旅館。招待客は約100人。夫はまだ離婚も成立していない妻を残したまま、別の女性との“再婚式”を準備していた。 だが佳子は泣かなかった。問い詰めることもなく、招待状を写真に収め、静かに元の場所へ戻した。 夫婦の共有口座から消えていた金。京都に隠されていた3800万円のマンション。退職予定の夫に支払われる2500万円の退職金。そして、妻を財産から外そうとする遺言。 36年間、夫の予定も家計も管理してきた佳子は、すでにすべてを記録していた。 そして迎えた再婚式当日。 祝福に包まれるはずだった会場へ、一通の呼出状が届けられる。 夫が新しい人生を始めるはずだったその日、明るみに出たのは、誰にも知られたくなかった嘘と隠し財産だった――。因果応報|不倫1.7萬字5 1187 -
完結第12話
泥まみれの客と黒塗り5台
土砂降りの夜、タクシー運転手の佐藤美咲は、泥だらけで道端に立ち尽くす1人の老人を見つけた。 他のタクシーは、車が汚れることを嫌って次々と通り過ぎていく。中には、老人をあざ笑い、泥水まで浴びせて走り去る運転手もいた。 月末までにノルマを達成できなければクビ。幼い娘の手術を控え、仕事を失うわけにはいかない美咲も、一瞬だけ迷った。 それでも彼女は車を止める。 「シートなんて洗えばいいんです」 そう言って老人を乗せ、傘を差し、温かい缶コーヒーを手渡した。 しかし翌朝、美咲を待っていたのは、汚された車両と突然の解雇通告だった。 泣き崩れる彼女の前に、5台の黒塗りの車が営業所へ現れる。 昨日の泥だらけの老人は、いったい何者だったのか。 たった1本の缶コーヒーが、彼女の人生を大きく変えていく――。因果応報|人生逆転1.8萬字5 1896 -
完結第12話
200円の家族
23歳の大学生・高橋翔太は、感情を捨てたように生きていた。 友人の誘いも断り、食事も会話もすべてを「合理的かどうか」で判断する日々。そんな彼が、ある日ファミレスで会計できずに困っている母子と出会う。 所持金は300円。小さな娘を連れた母親は、夫に貯金を持ち逃げされ、住む場所さえ失っていた。 翔太は不足分の200円を支払い、さらに母子を自分の部屋へ連れて帰る。最初はただの合理的な判断。そのはずだった。 しかし、温かい手料理、少女の「ありがとう」、そして夜中に聞こえた小さな泣き声が、5年間閉ざしていた翔太の心を少しずつ揺らしていく。 なぜ彼は笑わなくなったのか。 なぜ「感情は判断を誤らせる」と言い続けるのか。 助けたはずの母子との出会いは、やがて翔太自身が封じ込めてきた過去を呼び覚ましていく――。因果応報|人生逆転1.9萬字5 931