"樹海の白いマスク" 第5話
詳細を言葉にすることすら耐えがたいだった。
痛みだけがあった。
叫び声も、涙も、やがてなくなった。
男は最にこう言った。
「次は殺す」
その言葉を聞いた、のの何かが折れた。
逃げようというも、助かるという希望も、のようにれていった。
けれど、体はまだきていた。
そしてきている限り、恐怖は終わらなかった。
10目の朝、男は突然言った。
「飽きた」
はに横たわったまま、かなかった。
その言葉のを理解する力も、もう残っていなかった。
男は続けた。
「森に戻す。に縛る。自然が決める。きていれば運がいい。分、ぬ」
は答えなかった。
声をす力がなかった。
男は彼女に、破れ汚れたの残骸を着せた。を縛り、元をふらつかせながら洞窟のへ連れした。
のが目に痛かった。
森の匂いがくじられた。、苔、湿った、の濃い緑。そのすべてが、かつては好きだった自然の匂いだった。だが今は、恐怖の匂いでしかなかった。
男はをい距歩かせた。
どの方向へ向かっているのか分からなかった。来たとは違うのようだった。からくれた、々の密度がい所へ連れてかれた。
やがて、巨な杉のので止まった。
男はを幹に押しつけた。ロープを首、首、腰に巻きつけ、きつく縛った。
広告
体は幹に固定され、ほとんどけなかった。
は抵抗しなかった。
抵抗する力も、る力も、泣く力もなかった。
男は彼女のにった。
い歪んだマスクの黒い目の穴が、じっとを見ていた。
「楽しみをありがとう」
男はく言った。
「誰かが見つけるかもしれない。見つけないかもしれない。どちらでもいい」
それだけ言うと、男は背を向けた。
はそのろ姿を見つめた。暗いのが々のへ消えていく。音がくなり、やがて聞こえなくなった。
森の静寂が戻った。
は1だった。
べ物もない。もない。くこともできない。にはテープが貼られ、だけで息をしていた。全が痛み、を持ち、識は何度ものいた。
の覚はなかった。
1が過ぎたのか、数なのか分からなかった。
夜になるとえた。昼になると湿った暑さが体力を奪った。虫が肌に止まり、傷に触れた。は追い払うこともできなかった。
やがて覚が見え始めた。
10にくなった母がいた。
ルームメイトの美幸がいた。
病院の同僚たちが、くから名を呼んでいた。
「、こっちへ来て」
はこうとした。
けれどロープが体を縛っていた。
2目の朝なのか、それとももっとなのか分からない頃、くから声が聞こえた。
最初は聴だとった。
また脳が見せる嘘だとった。
広告
だが声はづいてきた。
「誰かいますか」
「島さん」
「返事をしてください」
捜索隊の声だった。
は叫ぼうとした。
しかし、のテープに遮られ、うめき声しかない。
残された力を振り絞り、はを幹に打ちつけた。
1回。
2回。
3回。
額が裂け、血が目に流れ込んだ。それでもやめなかった。音をさなければ、気づいてもらえない。
枝をかき分ける音がした。
「今、音がしなかったか」
「こっちだ」
オレンジのベストを着たが々のに現れた。
捜索隊はを見つけると、瞬そので凍りついた。
信じられないものを見たような顔だった。
そしてすぐにりした。
最初に駆け寄ったのは、レンジャーの瀬優太だった。
彼は震えるでの首元に触れ、脈を確認した。
「きています!」
声が森に響いた。
「彼女はきています!」
は担架に乗せられ、保温ブランケットで包まれた。々の隙から空が見えた。青く、く、現実ではないように美しかった。
瀬が優しく尋ねた。
「誰がやったんですか」
は乾いた唇をわずかにかした。
「男……マスク……洞窟……」
そこで識は途切れた。
10の獄は終わった。
だが、そのに続く苦しみは、まだ始まったばかりだった。
は甲府の梨県央病院へ搬送された。
医師たちは数にわたり処置に当たった。度の脱、約7kgの体減、肋骨の骨折、両の複数の指の骨折、全の打撲、傷、切り傷、染症、部への衝撃による症状。
体は極限まで傷ついていた。
広告
おすすめ作品
-
完結第12話
ETCに残らない白バイ
2003年春、千葉県の高速道路を巡回していた女性白バイ隊員・水島舞が、サービスエリアで忽然と姿を消した。 監視カメラには、彼女が白バイを降りて建物へ入る姿が残されていた。だが、その18分後、白バイに乗って走り去ったのは舞ではなく、ヘルメットで顔を隠した見知らぬ男だった。 舞本人も、白バイも見つからない。料金所の記録にも、ETCログにも、その後のはっきりした足取りは残っていなかった。 結婚を控えていた婚約者、娘の帰りを待ち続ける両親、そして答えを出せないまま止まった捜査。 10年後、古い監視映像を最新技術で解析した時、画面の隅に映っていた“あるもの”が、事件を再び動かし始める。 白いバイクは、どこへ消えたのか。 そして水島舞が最後に見た人物とは――。ミステリー|行方不明1.7萬字5 240 -
完結第11話
雪峠の五発
2006年11月15日、長野県北部。 その年最初の雪が降り始めた高木峠へ、1人の巡査が向かった。展望台に不審な車があるという匿名通報を受け、霧谷慎也は「確認だけ」のつもりでパトカーを走らせる。 だが午後6時15分、現場到着を知らせる無線を最後に、慎也からの連絡は途絶えた。 雪の展望台に残されていたのは、鍵のかかったパトカーと、車内に置かれた制帽と手袋。慎也本人だけが、吹雪の峠から忽然と姿を消していた。 事故なのか、事件なのか。誰かに連れ去られたのか。それとも、自ら山へ入ったのか。 妻と幼い娘は、答えのないまま13年を過ごすことになる。 そして2019年春。雪解けの斜面から、慎也が持っていた古い懐中電灯が見つかった。 13年間沈黙していた峠が、初めて返した小さな手がかり。 その光の先に隠されていたのは、匿名通報の本当の意味と、雪の下に封じられていた一夜の真実だった。ミステリー|行方不明1.7萬字5 537 -
完結第13話
5枚で消された妻
1994年4月、長野県の山あいにある古いビジネスホテルで、31歳の女性・高橋美幸が冷たくなって発見された。 部屋には睡眠薬の空箱と酒の瓶。夫との離婚調停を控えていたこともあり、警察は早々に「事件性なし」と判断する。記録はわずか5枚だけ。母のよし子がどれだけ訴えても、娘の死が再び調べられることはなかった。 それから12年。 美幸の夫だった男は別の町で再婚し、真面目な父親として穏やかに暮らしていた。一方、よし子は痛む膝を抱えながら、毎年娘の墓へ通い続ける。 「娘は、自分から死を選ぶような子ではない」 誰にも届かなかったその言葉が、ある夜、古い薬物帳簿に残された一つの名前によって動き出す。 12年前のホテルで、本当は何が起きたのか。 そして、たった5枚の記録が隠していた真実とは――。ミステリー|行方不明1.9萬字5 392 -
完結第13話
床下の学級日誌
1995年、福岡の小さな離島・相島に、一人の若い女教師が赴任してきた。 藤野理子、26歳。全校児童わずか11人の分校で、子どもたち一人ひとりに寄り添い、島の人々にも少しずつ受け入れられていく。だが彼女は、ある少女の腕に残る不自然な痣に気づいてしまう。 「このまま見過ごすことはできない」 そう決意した夕暮れ、理子は本土へ渡ろうとしていた。しかし、その日を境に彼女は島から姿を消す。 残された荷物、桟橋で見つかったスカーフ、そして口を閉ざした11人の子どもたち。 警察はやがて、理子が自ら島を出た可能性が高いと判断する。けれど、子どもたちは知っていた。 あの日、桟橋で本当に何が起きたのかを。 それから10年後、取り壊される分校の床下から、理子の学級日誌と万年筆が見つかる。封じられていた記憶が、静かに動き出した――。ミステリー|行方不明1.9萬字5 216 -
完結第10話
白木蓮の偽証
2003年、東京大学法学部を卒業し、都内で弁護士として働いていた藤代優一が、長野の実家へ帰省した後に姿を消した。 継母・沢子は「東京へ帰ると言って家を出ました」と涙ながらに証言し、防犯カメラにも優一らしき男の姿が映っていた。携帯電話の記録も長野から東京へ移動しており、警察は彼が東京へ向かった後に何かに巻き込まれたと考えた。 しかし17年後、空き家となった藤代家の解体工事中、庭の白木蓮の根元から一体の人骨が見つかる。 それは、東京へ帰ったはずの優一だった。 当時の捜査で継母の涙を信じた元刑事・黒瀬は、再び事件と向き合うことになる。防犯カメラに映った男は誰だったのか。なぜ携帯電話は東京まで移動していたのか。そして沢子は、何を守るために嘘をついたのか。 白木蓮の下に17年間埋められていたのは、遺体だけではなかった。ミステリー|行方不明1.5萬字5 135