"半纏に縫われた遺言" 第11話
「あぁぁ! ちゃったぁ! ちゃったよぉぉ!」 声をげながら、私は朱肉を持った護師の真っなの袖を、両でい切り掴み取り、めちゃくちゃに擦りつけた。 「キャーッ! 汚い! 何するのよ、このボケ老が!」 護師は鳴をげて激しくろへとがり、私のを振り払った。 彼女の真っなの袖には、赤い朱肉のインクが、血の跡のように真っ赤に、無残に広がっていった。 私はのにわざと座り込み、「へへへ、えへへ」との抜けた声をげて笑ってみせた。 護師は顔を真っ青にして激しながら、朱肉の容器を抱えて部をびしていった。指印は、今回も押されなかった。
その夜、隣のベッドのおばあさんが、またさな声で「お母さん……お母さん……」と呼んで静かに泣き始めた。 入所した初から、毎晩欠かさず聞こえる同じ泣き声だったが、その痛な響きに、私のが慣れることは決してなかった。 私はベッドからそっと抜けすと、自分の半纏の内側の綿をしだけ指先でちぎり取り、おばあさんのベッドへとづいて、その震えるに優しく握らせてやった。
おばあさんが、私の裁で鍛えられた固いをギュッと握り締めながら、涙を流して尋ねてきた。 「……うちのお母さん、どこにっちゃったの……?」 私は彼女の目をじっと見つめ、元で優しく、はっきりとした声で囁いた。
広告
「すぐ、いらっしゃるわよ。だから、寂しくないように、これをかお守りとして、握っていなさい」 の綿の温もりが伝わると、おばあさんの激しい啜り泣きが、議とピタリと収まった。
私は彼女の乾燥してカサカサになったの甲を優しく撫でながら、静かにその細い肩を抱き寄せた。 (の親をねえ、こんなに暗くて、酸っぱい匂いのする檻に閉じ込めておきながら、夜に枕をくしてぐっすり眠れる子供が、この世にいるなんてねえ……) 私のお腹を痛めて産んだ裕がそうであるように、このれなおばあさんの子供もまた、欲に目を眩ませて同じことをしたのだろう。
窓の鉄格子の隙から、夜空のたいいかりが、病のへと差し込んできた。 昼はご飯粒をの周りにつけた、何も分からない愚か者を完璧に演じていたが、私ののでは、嫁たちの次のを防ぐための計算が、休むことなく急速に回り続けていた。 偽の度認症診断が美のもとへと発送されたのであれば、それを基に偽造の委任状が完成し、産業者と契約を交わすまでには、余裕を見てもあと2〜3週。 その限られたのに、私はこのラジオの内部にある「記録媒体」を、何としてでもこの施設のへと連れさなければならなかった。
しかし、部との接触や面会は、美の指示によって完全に遮断されており、私の携帯話も奪われている。
広告
このいのに隔された施設から、の世界へと繋がる、細い糸がどうしても1本必だった。 私は毎朝の配膳の、堂の入りからに入ってくるたちの姿を、瞳の焦点をわざとぼかしながらも、注く観察し続けた。 介護士、護師、事務員……そして、週に3度、施設の厨へと材を運び込んでくる、納入業者のトラック運転。 部の世界とダイレクトに繋がっている唯の通は、あの材トラックの男だけだった。
夜、窓からの微かなかりを浴びながら、私は赤いラジオを胸にしっかりと抱きしめてベッドに横たわった。 、夫が仕ての縁側に腰掛け、このラジオから音量で演を流していた、あの穏やかな午をいしていた。 当、私は「音がうるさいよ」といつも文句を言い、夫はただ「へへへ」と申し訳なさそうにニコニコ笑うだけだった。 その夫の笑顔が、今、ラジオの内部の記録媒体に納められた、どんな職員の音声よりも鮮に、私の元で優しく響き渡るようだった。
あのは、自分がんだ、私がこのような窮にたされることを見越し、このラジオに特殊な録音装置を仕込んで遺してくれたのだ。 そのい、言葉のないが、胸が張り裂けそうになるほどありがたく、またしかった。 (あなたが作ってくれた、この古い赤い箱がねえ、この暗の檻のでの、私の唯の武器だよ……) のでそうく呟きながら、私は入所してから初めて、鉄格子の向こう側の夜空を見つめて、静かに目を閉じた。
広告
おすすめ作品
-
完結第14話
18万円の甘い嘘
62歳の桂木節子は、夫を亡くしてから一人、わずかな年金と弁当工場のパート代で暮らしていた。 暖房代も食費も削り、1円の無駄も許さず生きてきた彼女。そんな節子がある夜、帰りたくない寂しさに押され、新宿のホストクラブの扉を開けてしまう。 そこで出会った若いホスト・涼介は、荒れた手を見て「素敵ですね」と微笑んだ。 誰にも褒められず、誰にも必要とされない日々の中で、その一言は節子の心を簡単に揺らした。最初は一度だけのつもりだった。けれど、優しい電話、甘い言葉、「特別」という囁きに、彼女の生活は少しずつ壊れていく。 貯金は消え、借金が増え、仕事も失いかけた時、節子はようやく気づく。 自分が本当に求めていたのは、若い男の笑顔だったのか。 それとも、ずっと言えなかった「寂しい」という一言だったのか――。ATM扱い|金銭問題2.1萬字5 751 -
完結第11話
ママ卒業の代償
7歳の孫・ひなが、突然学校へ行けなくなった。 息子夫婦から頼まれ、しばらく預かることになった私は、玄関に立つひなの姿を見て言葉を失う。昔はよく笑い、庭を走り回っていたあの子が、まるで感情をなくしたように無表情になっていたのだ。 声をかけても返事はなく、夜中には眠りながら何度も「ママ、ごめんなさい」と繰り返す。学校で何かあったのだと思っていた私たち夫婦は、ひなを責めず、ただ安心できる場所を作ろうとした。 少しずつ笑顔を取り戻していくひな。そんなある日、一緒にクリスマスケーキを作っていると、彼女は涙を浮かべてこう言った。 「助けて。私を、この家の子供にして」 その一言で、私たちは本当の異変に気づき始める。 ひなが怖がっていたのは、学校ではなかった。そして、母親がネット上で見せていた“理想の母親像”には、誰も知らない大きな嘘が隠されていた。 それから16年後。 パティシエになったひなのもとへ、1本の電話がかかってくる。そこから明かされたのは、あの日すべてを捨てて“ママを卒業した”女の、その後の姿だった。祖父母と孫|親子関係1.7萬字5 575 -
完結第10話
形見を捨てた嫁の代償
妻の三回忌の日、68歳の竹内正男は、久しぶりに帰ってくる息子一家のため、亡き妻がよく作っていた煮物と甘い卵焼きを用意していた。 孫に妻の思い出を伝えようと、正男は40年間大切に使われてきた花柄のエプロンを見せる。それは妻が家族のために台所に立ち続けた証であり、正男にとって何より大切な形見だった。 しかし嫁の彩花は、そのエプロンを何のためらいもなくゴミ袋へ放り込む。 「古いものは整理した方がいいですよ」 その一言で、正男の中の何かが静かに崩れた。 ところがその後、彩花は仏壇の横に置かれた一通の封筒を見つける。そこに書かれていたのは、マンション2棟と預金3000万円、そして遺言書という文字。 次の瞬間、さっきまでゴミ扱いしていた形見を、嫁は突然「大切にします」と言い出した。 形見の本当の価値は、金で測れるものなのか。 亡き妻が残したエプロンをめぐり、家族の本音が静かに暴かれていく。親不孝|親子関係1.5萬字5 1984 -
完結第12話
義母ATM、ハワイへ消ゆ
67歳のみち子は、息子夫婦と孫たちを迎えるため、今年も静かに正月の準備を始めていた。 ところがクリスマスの朝、嫁の歩美から突然告げられる。 「今年は15人で行きますから」 食事、寝具、お年玉、観光費まで、すべて義母であるみち子が用意する前提。さらに歩美は、SNSでみち子を「ATMみたい」と笑い、長年の援助まで馬鹿にしていた。 37年間働き、息子夫婦に2500万円以上を援助してきたみち子は、その日ようやく気づく。 自分は家族に大切にされていたのではない。都合よく使われていただけだったのだ。 そして12月29日。 15人が玄関前に集まった時、家の鍵は開かなかった。 その頃みち子夫婦は、すでに日本にはいなかった――。ATM扱い|親子関係1.8萬字5 9052 -
完結第12話
タダ宿の代償
64歳の佐々木敦子のもとに、久しぶりに長男・大輔から電話がかかってきた。 連休に家族で帰ってくるという話に、最初は孫に会える喜びを感じた敦子。だが大輔は、当然のようにこう言った。 「母さんの家に泊まるから。ホテル代もかからないし」 しかも泊まりに来るのは、息子一家だけではなかった。嫁の両親、妹夫婦、友人夫婦まで含めた総勢10人。食事、布団、タオル、駐車場、留守番まで、敦子の家はいつの間にか“無料の宿”として扱われていた。 それでも家族のためならと我慢しかけた敦子だったが、旅行の三日前、切れていなかった電話の向こうから、息子夫婦の本音を聞いてしまう。 「母さんの家使えばタダじゃん」 「お母さんってちょろいよね」 その瞬間、敦子の中で何かが静かに切れた。 この家は、3500万円を出して自分が買った家。誰かが当然のように使っていい場所ではない。 翌日、敦子は弁護士へ相談し、玄関の鍵を替える。 そして連休当日。何も知らずに10人で家の前へやって来た息子夫婦を待っていたのは、もう開かない玄関だった――。親不孝|親子関係1.9萬字5 4405 -
完結第11話
保険金つき同居
夫を亡くし、一人暮らしを続けていた70歳の渡辺みよ子。 息子夫婦から「もう一人で頑張らなくていい」と言われ、長年暮らした家を売り、その1500万円を新居の購入資金に充てて同居を始めた。 最初は、家族に囲まれた穏やかな老後が始まるはずだった。 しかし2ヶ月も経たないうちに、生活費の負担、食事の制限、通帳の管理要求……みよ子の居場所は少しずつ奪われていく。 そんなある日、ゴミの中から見つけたのは、自分を被保険者にした生命保険の書類だった。 そして深夜1時。 二階の寝室から聞こえてきた息子夫婦の会話で、みよ子はすべてを知る。 家族だと思っていた人たちは、いつから自分の老後ではなく、自分の財産を見ていたのか。 震える手で録音ボタンを押したその夜から、70歳の母の静かな反撃が始まった。人生逆転|親子関係1.7萬字5 370 -
完結第10話
真っ暗な部屋の退学届
姉を突然亡くした39歳の孝太郎は、残された高校生の姪・美緒を引き取ることを決めた。 母を失ったばかりなのに、泣き言ひとつ言わず、家事も勉強もこなす美緒。孝太郎は「しっかりした子」だと思い、少しずつ二人の生活は形になっていく。 だがある夜、仕事から帰ると部屋は真っ暗だった。 美緒の部屋を開けた孝太郎が見たのは、床に並べられた荷物、通帳、求人誌、そして一枚の退学届。 母を亡くした少女は、本当は何を抱えていたのか。 その夜、亡き姉が残した一通の手紙が、二人の止まっていた時間を静かに動かし始める――。第二の人生|親子関係1.4萬字5 546 -
完結第13話
止まったカードと空の家
夫の正文が「会社の旅行」と言って家を出た朝、私はすべてを知っていた。 行き先で待っているのは会社の同僚ではなく、高校時代からの親友・美津。しかも夫は、私名義のクレジットカードを勝手に使い、親友との食事や買い物にまで手を出していた。 泣いて問い詰めることはしなかった。証拠はすでにそろっている。娘も、父親の異変に気づいていた。 「引っ越すよ」 夫が浮気旅行を楽しんでいる間に、私は娘と新しい家へ向かった。そして夫のカードを止め、彼の荷物を“ある場所”へ送りつける。 旅行先で支払いができなくなった夫。荷物を受け取った親友の家。そして、空っぽの部屋へ戻ることになる裏切り者。 夫と親友を同時に失った私が、娘と本当の人生を取り戻すまでの物語。夫婦|親子関係|不倫1.9萬字5 13047 -
完結第9話
ブサ婿の正体
毒親に支配され、家の借金を返すための道具として生きてきた長嶋咲。 父は恐怖で縛り、母は涙で罪悪感を植えつける。進学も、仕事も、お金も、すべて親の都合で奪われてきた咲は、ついに資産家の息子・御堂剛との結婚まで勝手に決められてしまう。 相手は地味で冴えない男性。愛情などない、ただの取引結婚――咲はそう割り切るしかなかった。 しかし結婚初夜、2人きりになった途端、剛は静かに口を開く。 「実は俺、7年前からあなたのことを知っていました」 差し出されたのは、両親の借金に関する書類。そして、咲自身も忘れかけていた冬の夜の記憶だった。 利用するつもりだった結婚相手は、本当に咲を縛る人間なのか。 それとも、初めて彼女を自由にしてくれる人なのか。 これは、誰にも見てもらえなかった2人が、遠回りの果てに互いを選び直す物語。夫婦|親子関係1.4萬字5 2589 -
完結第11話
追放母の25億売却
お盆のため、長崎から東京の息子夫婦のペントハウスを訪れた田中春江。 亡き夫に手を合わせ、息子の好物を詰めた重箱を抱え、半日かけて上京した彼女を待っていたのは、温かな家族の食卓ではなかった。 嫁・里奈は春江の手料理を目の前で捨て、安いホテルの予約票を差し出す。さらに息子夫婦は、自分たちが旅行へ行く間、愛犬の世話だけを春江に押しつけようとしていた。 長年、息子のために働き続け、すべてを与えてきた母。だがその日、春江はようやく気づく。 自分は家族として呼ばれたのではない。ただ都合よく使われるために呼ばれただけだった。 その夜、春江は20年以上連絡を取っていなかった“ある人物”に電話をかける。 翌日、息子夫婦が暮らしていた天空の城は、静かに動き始めた――。人生逆転|親不孝|親子関係1.6萬字5 3627