"洞窟に残った少年の声" 第1話
198757、京都・清寺の境内には、のが静かに吹いていた。
段のそばでは、テレビドラマ『』の撮が朝から続いていた。古い寺の、淡い緑、折聞こえる観客のざわめき。そのすべてが、作品のに流れる代の空気を作っていた。
けれど、現の空気は穏やかではなかった。
撮はすでに6目に入り、スタッフたちは疲れ切っていた。材を運ぶ者、台本を確認する者、照の角度を直す者。誰もが声をくしながら、次のカットの準備に追われていた。
そのにいたのが、11歳の子役、田実だった。
実はまだ幼いだったが、すでに何本ものドラマに演し、そのきな瞳と繊細な演技で注目されていた。カメラが回ると、彼はまるで別のようにしみやを表に浮かべた。の俳優でさえ、に息をのむほどだった。
しかし、そのの実はらかに様子が違っていた。
顔は青く、さな指先がかすかに震えていた。休憩もの子どもたちと話すことはなく、境内の奥やの方を何度も振り返っていた。
「実、今回はもっと切実に。母親を本当に失ったような気持ちで頼む」
鈴健監督の声が、段のそばに響いた。
実はさく頷き、袖で涙を拭った。すぐそばでは、ドラマの主演女優であり、実を引き取って育てていた佐藤恵が、配そうに彼を見つめていた。
広告
「アクション」
カメラが回り始めた。
実は崩れた垣ので膝をつき、すすり泣いた。肩が刻みに震え、頬を伝う涙は演技とはえないほど本物に見えた。周囲のスタッフは息を殺し、そのさな背を見守った。
「カット。完璧だ」
鈴監督が満げに声をげた。
けれど、実はすぐにちがらなかった。膝をついたまま、くのの方をじっと見ていた。
「実君、撮は終わったよ」
スクリプターがづき、そっと肩に触れた。
その、実はようやく顔をげた。彼の目には、先ほどの演技とは違う、本物の恐怖が宿っていた。
しばらくして、スタッフたちが材を片付け始めると、実は突然ちがった。そして誰に声をかけることもなく、清寺の裏、の麓へ向かってりした。
最初、誰もく気にしなかった。
「セリフの練習にったんだろう」
助監督がそう言い、数が軽く頷いた。翌の撮では、実がのでに迷う面が予定されていた。子役が雰囲気をつかみにったのだろう。そうわれた。
だが、15分経っても実は戻らなかった。
佐藤恵が落ち着かない様子でちがった。
「実、しすぎませんか」
その言葉が空気を変えた直だった。
の方から、鋭い鳴が響いた。
それは子どものふざけた声ではなかった。恐怖と絶望が混ざり、喉を引き裂くような叫びだった。
広告
現にいた者たちは瞬、凍りついた。
誰かが無理に笑おうとして言った。
「実君、演技の練習にが入りすぎたんじゃないか」
しかし、その笑いはすぐに消えた。
鳴はあまりにも々しかった。
鈴監督が最初にいた。
「全員で実を探せ。今すぐだ」
スタッフたちは斉にの方へりした。佐藤恵も顔面蒼のままを追った。
「実!」
「実君!」
声を張りげながら森を探した。をかき分け、岩をのぞき、斜面を登った。けれど返事はなかった。
が傾き始め、警察が呼ばれた。捜索隊が投入され、のをくまなく調べた。
しかし、田実は見つからなかった。
まるで、そのさな体がのに吸い込まれてしまったかのように、痕跡ひとつ残っていなかった。
その夜、ドラマ制作会社の会議には苦しい空気が漂っていた。
窓のでは夜のが静かにっていたが、会議のでは誰もまともに顔をげようとしなかった。テーブルのには、撮スケジュール、警察への連絡記録、そして実の顔写真が置かれていた。
制作総括プロデューサーがい声で言った。
「マスコミには絶対に漏らしてはいけません。まだ何も確かなことはない」
佐藤恵は子からちがった。
目は赤く充血し、声は震えていた。
「何を言っているんですか。うちの実が方になったんですよ。
もっとくのにらせて、探してもらうべきです」
「佐藤さん、落ち着いてください」
広告
おすすめ作品
-
完結第11話
11年目のコロッケ
14歳の秋、黒田み咲の母・裕子は「夕飯のおかずを買ってくるね」と言って家を出たまま、二度と戻らなかった。 父は、母が家の金を盗み、近所の男と駆け落ちしたのだと親族に告げた。置き手紙も見つかり、周囲の大人たちは皆それを信じた。残されたみ咲は、“泥棒の娘”として11年間、父と継母、そして親族たちから辱められ続けることになる。 しかしある法要の日、裏山の古い井戸から、母が消えた日に買ったコロッケのレシートと、泥にまみれたカーディガンが見つかる。 母は本当に男と逃げたのか。 なぜ、継母の失くしたはずのイヤリングが井戸の底にあったのか。 そして、11年間沈黙していた“目撃者”が現れた時、黒田家が守り続けてきた嘘は音を立てて崩れ始める。 母に捨てられた娘だと思い込まされてきたみ咲が、封印された真実へたどり着くまでの、愛と復讐の物語。ミステリー|行方不明1.6萬字5 447 -
完結第15話
灯油札の密告
2005年11月、長野県の山あいにある静かな村で、工藤家の住宅が深夜に炎に包まれた。 家の中には、父と母、そして7歳の息子。近所の人々が助け出そうと駆けつけるが、玄関には外側から鎖と南京錠が掛けられ、勝手口も角材で封じられていた。 これは事故ではない。 誰かが一家を逃げられないように閉じ込め、火を放ったのだ。 村人たちは涙ながらに犯人探しを願い、特に隣人の男は誰よりも深く悲しんでいるように見えた。だが刑事・星野は、焼け跡に残された不自然な痕跡と、その男の身体にあった小さな傷に違和感を覚える。 そして事件から数日後、町の貴金属店に持ち込まれた大量の一万円札が、捜査を大きく動かす。 その紙幣には、かすかな灯油の匂いが残っていた。 炎で消されたはずの夜に、いったい何があったのか。 そして、最後まで燃え残った“匂い”は、誰の罪を指し示していたのか――。ミステリー|遺體発見2.3萬字5 236 -
完結第10話
雪下の赤いマフラー
1998年11月12日、雪の降る旭川で、赤いマフラーを巻いた3人の女子高校生が忽然と姿を消した。 双子の美咲と南、そして親友の彩。3人は放課後の演劇部の練習を終え、いつものように学校を出たはずだった。だが、その日を境に、家族のもとへ帰ることはなかった。 捜索は続いたが、足跡も持ち物も見つからない。吹雪がすべてを消してしまったかのように、事件は未解決のまま17年の歳月が流れていく。 そして2015年。元郵便配達員の古い鞄から、17年間届けられなかった1通の手紙が見つかる。 そこには、こう書かれていた。 「私は、美咲、南、そして彩に何が起きたのか知っています」 手紙をきっかけに再び動き出す捜査。座布団の中に隠された日記、古いカセットテープ、稚内へつながる謎の手紙、そして雪深い小屋の床下に眠っていた赤いマフラー。 3人はなぜ消えたのか。 教師・田中浩は何を隠していたのか。 17年間閉ざされていた雪の中の真実が、今、静かに姿を現す。ミステリー|行方不明1.5萬字5 954 -
完結第12話
ETCに残らない白バイ
2003年春、千葉県の高速道路を巡回していた女性白バイ隊員・水島舞が、サービスエリアで忽然と姿を消した。 監視カメラには、彼女が白バイを降りて建物へ入る姿が残されていた。だが、その18分後、白バイに乗って走り去ったのは舞ではなく、ヘルメットで顔を隠した見知らぬ男だった。 舞本人も、白バイも見つからない。料金所の記録にも、ETCログにも、その後のはっきりした足取りは残っていなかった。 結婚を控えていた婚約者、娘の帰りを待ち続ける両親、そして答えを出せないまま止まった捜査。 10年後、古い監視映像を最新技術で解析した時、画面の隅に映っていた“あるもの”が、事件を再び動かし始める。 白いバイクは、どこへ消えたのか。 そして水島舞が最後に見た人物とは――。ミステリー|行方不明1.7萬字5 5485 -
完結第11話
雪峠の五発
2006年11月15日、長野県北部。 その年最初の雪が降り始めた高木峠へ、1人の巡査が向かった。展望台に不審な車があるという匿名通報を受け、霧谷慎也は「確認だけ」のつもりでパトカーを走らせる。 だが午後6時15分、現場到着を知らせる無線を最後に、慎也からの連絡は途絶えた。 雪の展望台に残されていたのは、鍵のかかったパトカーと、車内に置かれた制帽と手袋。慎也本人だけが、吹雪の峠から忽然と姿を消していた。 事故なのか、事件なのか。誰かに連れ去られたのか。それとも、自ら山へ入ったのか。 妻と幼い娘は、答えのないまま13年を過ごすことになる。 そして2019年春。雪解けの斜面から、慎也が持っていた古い懐中電灯が見つかった。 13年間沈黙していた峠が、初めて返した小さな手がかり。 その光の先に隠されていたのは、匿名通報の本当の意味と、雪の下に封じられていた一夜の真実だった。ミステリー|行方不明1.7萬字5 1361