"空っぽの珈琲サーバー" 第5話
ようやく引っ越しが終わった夜、私は段ボールに囲まれたリビングでく息を吐いた。
「しいで、また頑張らないとね」
けれど、活が始まると同に、達の性格はしずつ荒れていった。
義母もわがままなところはあったが、失してからの達は、それ以かもしれないとうほどになった。
あるの夕飯のことだった。
私はパート帰りで疲れていたが、何とか肉じゃがを作った。し煮崩れてしまったが、は悪くないはずだった。
達は箸でべた瞬、顔をしかめた。
「なんだこれは。まずい」
次の瞬、にしたものを吐きした。
私は凍りついた。
「あなた……」
「俺は目が見えなくて便な常活を送っている。楽しみといえば事ぐらいなのに、こんなまずい料理をわせるなよ」
その言葉に、喉の奥が詰まった。
私は朝から働き、帰宅してすぐ台所にった。洗濯物も片付け、義母の薬も確認し、ようやく作った夕飯だった。
それを、達は当然のように踏みにじった。
「ごめんなさい」
私は反射に謝っていた。
達が失しているから。
自由な活で苛っているから。
そう自分に言い聞かせて、りをみ込んだ。
また別の、私は達にしいを買って帰った。肌触りがよく、着脱しやすいものを選んだつもりだった。
「あなたに似うとって」
広告
そう言って渡すと、達はを掴み、し触っただけでを鳴らした。
「肌触りが悪いな。どうせ物だろう」
そして、そのままゴミ箱に投げ捨てた。
さすがに私は声をげた。
「何をするのよ。あなたに似うとって買ってきたのに」
達は顔も向けずに言った。
「目が見えないからって、何でも着るとうなよ」
目は見えていないはずだった。
それなのに達は、議とやおしゃれにこだわるところがあった。質やブランドに文句をつけ、髪型やなりにも妙に気を配りたがった。
私はそのたびに違を覚えたが、く考えないようにしていた。
父の苛ちに振り回される私を見て、信吾は配そうにしていた。
ある、信吾はリビングの隅に置かれていた古いピアノを見ながら言った。
「このには、のが置いていったピアノがあるよね」
「そうね。処分するにもおがかかるから、そのままにしてあるけど」
「父さん、昔ピアノを習ってたんだって、おばあちゃんが言ってたよ」
達はソファで顔をげた。
「ああ、そうだ。自じゃないが、コンテストで入賞したこともあるんだぞ」
信吾はしを乗りした。
「じゃあ、弾いてみてよ」
「今さら弾けるかな」
そう言いながらも、達はまんざらでもなさそうだった。
信吾に案内され、達はピアノのに座った。
広告
杖を子の横にてかけ、鍵盤のにを置く。
私は台所からその様子を見ていた。
最初の音が鳴った瞬、部の空気が変わった。
達の指は、鍵盤の位置を覚えていた。目が見えていないはずなのに、迷いなく音を探り、やがて流れるような旋律を奏で始めた。
久しぶりに弾いたとはえないほど、達の演奏は美しかった。
義母も黙って聞いていた。信吾は目を丸くしていた。
演奏が終わると、私は自然と拍していた。
「まあ、すごいじゃない」
信吾は興奮したように言った。
「これはいけるかもしれないよ。父さん、YouTubeを始めたらどう?」
「YouTube?」
「まさかこんなに弾けるとはってなかったよ。しかも目が見えないのにこんなに弾けるなんて、きっとみんなびっくりするよ」
達はし黙った。
それから、嬉しそうに元を緩めた。
「そうか。それなら、ちょっと練習してやってみるかな」
信吾はすぐにいた。
スマートフォンで演奏する父の姿を撮し、画の編集方法をネットで調べ、字幕やタイトルをつけて投稿した。
「よし、画ができたぞ」
信吾が見せてくれた画を見て、私は驚いた。
達の演奏にわせて、見やすい字幕が入り、音も調されている。画の構成も自然だった。
「信吾、あなた、いつのにこんなことができるようになったの?」
「学でもYouTube流ってるし。
調べれば何とかなるよ」
信吾は楽しそうだった。
それから信吾は、達の演奏画を定期に投稿するようになった。
最初は再数もなかった。
広告
おすすめ作品
-
完結第13話
夫が毎日3回トイレを磨く理由
結婚五年。紗季は、温厚で家事にも協力的な夫・玲央と、四歳の娘・莉乃と平穏に暮らしていた。ただ一つ奇妙だったのは、夫が毎日三回もトイレを掃除し、誰にも触らせなかったこと。 ある日、法医学者の親友・美代子が、トイレの排水設備から人間の歯と古い血痕の痕跡を発見する。調査を進めると、この家では六年前、玲央と同棲していた婚約者が突然姿を消していた。夫婦|真実|真相1.5万字5 163 -
完結第23話
母の小さな食卓
三年ぶりに実家へ帰った直人は、母の誕生日の食卓に、ご飯と味噌汁、漬物しかないことに驚く。冷蔵庫もほぼ空なのに、玄関には弟へ渡す高価なりんごが三箱も積まれていた。 さらに母の通帳には、弟へ毎月八万円を送った記録が残されていた。弟ばかりを優先する母への古い不満がよみがえるが、その金は、直人が失業した三年前から、息子・悠人の学費として渡されていたものだった。裡の顔|親子関係|修羅場2.8万字5 354 -
完結第16話
離婚3か月後、元義母に300万円を要求された私
離婚から三か月後、美緒のもとへ元義母から電話が入る。事故で入院した元夫・達也のため、今すぐ三百万円を持ってこいというのだ。美緒は鼻で笑い、「新しいお嫁さんに頼んでください」と断る。 ところが、社長令嬢だと信じられていた新妻・優奈は、達也の金を持って姿を消していた。さらに達也は見栄を守るため借金を重ね、実母には内容を偽った書類へ実印まで押させていた。 しかも「命に関わる治療費」という三百万円には、滞納した返済やカード代まで含まれていた。美緒を再び財布として利用するための嘘だったのだ。嫁姑|夫婦|金銭問題1.5万字5 300 -
完結第20話
置き去り後27分
給与口座の通帳と暗証番号を義母へ渡すよう迫られた美和。拒絶すると、夫は彼女を真冬の国道へ置き去りにし、「怖い思いをすれば折れる」と走り去った。 美和は泣いて追いすがらず、900メートル先のファミレスで夜を明かす。翌朝、夫から届いていたのは41件の着信と、「すぐに戻った」という釈明だった。 だが店を出ようとした美和を、見知らぬトラック運転手が呼び止める。彼のドライブレコーダーには、夫が戻ったのは27分後だったこと、さらに義母との電話で置き去りの目的を語る肉声まで残されていた。 口座を守るための夫婦喧嘩だと思っていた夫。しかし映像が暴いたのは、妻を恐怖で屈服させようとした計画的な支配だった。美和は金だけでなく、自分の人生を決める権利を取り戻すため、24年間の結婚に静かに決着をつける。夫婦|第二の人生|ATM扱い|金銭問題2.2万字5 504 -
完結第20話
祖父の土地を勝手に道路にされたので、自販機を置いた
建設コンサルタントとして働く雪は、祖父の私有地が無断で舗装され、完成間近のタワーマンションの進入路として使われていることを知る。 開発を主導していたのは、学生時代から雪に異常な執着を見せていた川端武郎。彼は土地を「事実上の道路」として申請し、所有者の承諾がないまま建築確認を通していた。怒り|祖父母と孫|裡の顔|修羅場2.1万字5 186 -
完結第14話
赤ちゃんの声が聞こえる姪が、夫の嘘を見抜いた日
生後一か月の息子を見た六歳の姪・美久は、「赤ちゃん、お父さんにひどいことをしないでって言ってる」と告げる。その言葉に、夫・徹だけが激しく動揺した。 育児をせず、暴言を重ねる夫に違和感を抱き始めた亜鳥。やがて美久が書斎で見つけた封筒から、亜鳥を被保険者、徹を受取人とする高額な生命保険の書類が発見される。 さらに調べると、徹には隠していた借金と別の女性がいた。夫婦|真実|真相|親子関係1.4万字5 617 -
完結第12話
私にだけハズレ料理を出す義母の誤算
月に一度の義実家での食事会。真希にだけ、焦げたご飯、肉のない煮物、殻付きのエビ、骨だらけの刺身が出される。しかし夫・隆は「偶然だ」「被害妄想だ」と、母親を庇い続けた。 妊娠を知った真希は、わが子を守るため、記録を残しながら静かに脱出の準備を始める。そんな中、義母は「誰がハズレを引くかしら」と、中身の違うメンチカツを食卓へ並べた。 真希が選んだ一つを切ると、中から現れたのは肉ではなく、形を整えたかまぼこ。長年「偶然」で隠されてきた嫌がらせが、夫と義父の前で初めて暴かれる。怒り|嫁姑|夫婦|修羅場1.3万字5 915 -
完結第20話
家族投票の三日後
お盆の親族会で、地味な事務員として働く美緒は、姉から「家族の投票で決めた。今すぐ出ていけ」と追放を宣告される。両親も親戚も、姉の婚約者も笑って賛成した。 しかし彼らは知らなかった。倒産寸前だった老舗旅館を救い、土地と建物を買い取った真の所有者が、美緒であることを。彼女が姿を隠して注ぎ続けた資金がなければ、旅館は一か月も維持できなかった。 美緒が援助を止めると、家族の浪費と巨額の不正支出が露見する。さらに姉の婚約者も、旅館の資産を利用して自社の損失を埋めようとしていた。そして三日後、華やかな結納の最中、執行官と弁護士が現れる。怒り|嫁姑|金銭問題|修羅場1.9万字5 578 -
完結第12話
夕飯のカレーを笑った友人が、私のレシピを欲しがった
「夕飯にカレーなんてありえない。家族がかわいそう」 友人・真理子の何気ない一言に傷ついた由美子。ところが後日、その真理子から文化祭で出すカレーのレシピ作りを頼まれる。 試作、材料計算、衛生管理まで担った由美子だったが、完成した料理はいつしか「真理子の家庭の味」として紹介され、自分の名前だけが消されていた。さらにそのレシピは、公民館の料理講座でも真理子の実績として使われようとする。 由美子は初めて「大丈夫」と笑って引き下がることをやめ、自分が担った仕事を記録とともに伝える。これは一皿のカレーをめぐる争いではない。親切と友情の陰で軽く扱われてきた女性が、自分の努力と暮らしに境界線を引き直す物語。怒り|裡の顔|修羅場2.3万字5 268