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"排水路の腕時計" 第7話

科学捜査では、佐藤健のDNAのみが検され、第3者の痕跡は確認されなかった。のDNAは遺留品からなかった。

検察は、にあったため痕跡が消えた能性を主張した。

弁護側は、だからこそ殺害の証にはならないと反論した。

は、最まで曖昧な供述を続けた。

「運んだだけだ」

「誰に頼まれたのかは言えない」

「殺していない」

恵子は傍聴席で、その言葉を聞きながら拳を握った。

言えないのではない。

言わないのだ。

そうった。

20149、判決がされた。

については無罪。

体遺棄については罪。

には懲役7が言い渡された。

法廷内にい空気が流れた。

恵子は判決文を聞きながら、胸の奥が空洞になるような覚を覚えた。

夫は確かにこの事件に巻き込まれた。

所持品は見つかった。

は関与した。

それなのに、健がどうなったのか、誰が何をしたのか、全てはらかにならなかった。

検察と弁護側の双方が控訴した。

裁では懲役8に変更された。最裁は告を棄却し、懲役8が確定した。

裁判のも、族は真実を求め続けた。

201410族は青サービスエリアで会見をいた。

恵子は60歳を過ぎていた。髪にはいものが混じり、顔にはの疲れが刻まれていた。それでも、マイクのつ姿はまっすぐだった。

「16、夫を待ち続けました。

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もう戻らないと分かっても、真実はりたいです」

娘は横で涙をこらえ、息子は母の背を支えるようにっていた。

会見のニュースは全国に流れた。

署名活には5万が協力した。

「共犯者をらかにしてほしい」

「失踪事件の捜査を見直してほしい」

「遺体を見つけて族に返してほしい」

くの声が集まった。

しかし判決は変わらず、は最まで共犯の名を語らなかった。

2015、遺体なき葬儀がわれた。

さな斎には、50ほどの親族や友、職の元同僚が集まった。祭壇には健の写真が飾られた。1998族旅に撮られた写真だった。

佐藤健

1956まれ。

19981017失踪。

2015認定。

恵子は祭壇のわせた。

「あなた、遅くなってごめんなさい」

声にはさなかった。

けれど、でそう呟いた。

娘も息子も、それぞれのいを胸にわせた。

父は、もう帰らなかった。

2016、事件は形式終結した。

罪確定で捜査は終

だが、真実は未解のままだった。

元刑事の田はに回した。

「あの事件は、真実の半分しか解けなかった」

記録は警察のアーカイブに保され、科学捜査研究所は遺留品を保管し続けた。犯罪学者は論文で、初捜査の遅れや証拠保全の甘さを指摘した。

警察庁はマニュアルを改定し、会社も監体制を化した。

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サービスエリアの片隅には、さな銘板が設置された。

しかし、過は変わらなかった。

は戻らなかった。

2019、事件を扱ったドキュメンタリー番組が放送された。

聴率はかった。再現映像、当のニュース、族の証言、専の分析。番組は「サービスエリアのトイレで消えた父」として事件を紹介した。

に世の関は戻った。

SNSでは、当を覚えているたちがき込んだ。

「この事件、子どもの頃にニュースで見て怖かった」

「サービスエリアのトイレが怖くなった記憶がある」

「結局、真相は分からないままなのか」

だが、その関くは続かなかった。

しい事件、しいニュースが流れ、やがて々の記憶からまたれていった。

は2021に仮釈放された、消息が分からなくなった。どこへったのか、誰と暮らしているのか、警察にも族にもらされなかった。

恵子はそのらせを聞いた、しばらく黙っていた。

「まだ話していないことがあるはずなのに」

娘が悔しそうに言った。

息子もい声で呟いた。

「父さんが最にどうなったのかだけでも、りたかった」

恵子は2の顔を見た。

かつて15歳だった娘は、今では母親になっていた。11歳だった息子も庭を持ち、仕事をしていた。けれど、父に関する話になると、2の表はあのの子どものままに戻った。

失踪事件は、残された者のを歪ませる。

くなったと分かればしめる。

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