"残高4800円の老後" 第5話
あなたは1階で寝ているでしょう」
哲夫は黙った。
「修繕に180万円かかるって」
「180万円?」
「今すぐじゃなくてもいいと言われたわ。でもあなた、今すぐじゃなくても、じゃあいつ? 来? 再来? その、私は毎晩井を見ながら寝るの? 洗面器に溜まったを毎朝捨てるの?」
哲夫は返す言葉がなかった。
退職から3。
毎の活費補填が平均15万円。
36ヶで約540万円。
息子への援助300万円。
検、修繕、、そのの費で約100万円。
退職2200万円から、気づけば約940万円が消えていた。
残りは約1260万円。
それでも哲夫は、まだ本気で自分たちが危ないとはっていなかった。
1260万円もある。
そう考えてしまった。
だが、その考え方こそが、最も危険だった。
退職から5目。
退職の残は600万円を切っていた。
その夜、哲夫は夕にテレビで野球継を見ていた。9回裏、試は接戦だった。彼はソファにく座り、画面に線を向けていた。
せつ子が器を洗い終え、リビングへ来た。
には通帳があった。
「あなた、話があるんだけど」
「にしてくれ。9回なんだよ」
せつ子はテレビのにった。
「600万円を切ってる」
哲夫の線が、ようやく画面かられた。
「何が」
「退職の残。見て」
せつ子は通帳をき、テーブルに置いた。
「あなた、最に通帳を見たのはいつ?」
「見てるよ」
「見てないでしょう。この3ヶで80万円減ってる」
哲夫は表をくした。
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「修繕のと、あなたのゴルフの会費と、町内会の旅積と、の備代。それから活費の補填」
「せつ子、分かってるよ。俺だって分かってる」
「分かってるなら、なんで1度も緒に座って通帳を見てくれないの?」
せつ子の声が、いつもよりくなった。
「いつも私だけよ。ATMにくのも、計簿をつけるのも、りない分を計算するのも、全部私だけ」
哲夫はちがりかけた。
「じゃあ、どうしろって言うんだ。こので何ができる? 働けって言うのか? 誰かにをげろって言うのか?」
「そんなこと言ってない。緒に考えたいって言ってるの。ずっと」
部のが静まり返った。
テレビの音だけが、くで響いている。
哲夫は通帳を見なかった。
「先に寝る」
彼はそう言って寝へ向かった。
ドアは乱暴に閉められたわけではない。
むしろ、静かに、丁寧に閉められた。
その丁寧さが、せつ子には「もうこの話はしない」という表示に見えた。
リビングに1残されたせつ子は、消されたテレビの黒い画面を見た。そこには自分の顔がぼんやり映っていた。
疲れた顔だった。
通帳はテーブルのに置いたまま。
哲夫は持っていかなかった。
翌朝、キッチンでせつ子はコーヒーではなく、お茶を入れた。
湯みを2つす。
1つは哲夫の。
もう1つは自分の。
せつ子はお茶をみ、湯みを置いた。
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その音が、いつもよりしきく響いた。
「なんだ」
哲夫が顔をげた。
「退職してから5。私、ずっと考えてたの。なんでうちはこうなったのかって」
哲夫は黙っていた。
せつ子は静かに続けた。
「あなたはね、派な鉢ばかり揃えていたのよ」
「鉢?」
「セダン、ゴルフ、OB会の幹事、お元、お歳暮、息子への300万円、所への見栄。全部、から見たら派な鉢」
せつ子はテーブルのにを置いた。
「でもね、鉢だけ揃えても、をやらなければ枯れるのよ。あなたは1度も私と座って通帳をかなかった。1度も『来どうする?』って聞かなかった。1度も『緒に考えよう』って言わなかった」
哲夫は言葉を失った。
「それがやりだったのに」
せつ子はちがった。
「私、しばらくここをれるわ」
「え?」
「娘のところにく。荷物は昨のうちにまとめてある」
「昨のうちに……」
「昨夜、あなたがドアを閉めたに」
せつ子は玄関へ向かった。
「あなたが『緒に考えよう』って本気で言えるようになったら、そのに連絡して」
スニーカーを履き、背を向けた。
振り返らなかった。
振り返れば泣いてしまうからだった。
玄関のドアが閉まる。
鍵が回る音がした。
リビングには哲夫が1残された。
テーブルのには湯みが2つ。
せつ子の湯みには、まだお茶が残っていた。
退職から5と3目の朝、せつ子はをた。
せつ子がていってから、3ヶが経った。
退職はほとんど底をつき、活は13万円だけになっていた。
自宅のキッチンには、3分の洗い物が溜まっていた。
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