"楽譜鞄の13年" 第1話
1991514、午6をし過ぎた頃だった。
京芸術学音楽学部の練習には、いつもと変わらない音が流れていた。どこかの部からはピアノのスケールが聞こえ、別の部からはヴァイオリンの細い音が漏れていた。廊の蛍灯はく、壁には発表会やコンクールの告が何枚も貼られていた。
その、1の女子学が姿を消した。
名は松本さやか。22歳。
彼女は京芸術学音楽学部に籍するピアニストで、わずか1かにポーランドで催されるショパン国際ピアノコンクールの本代表に選ばれていた。教授たちは彼女を「10に1るかどうかの逸材」と評し、学たちもまた、その実力を疑う者はいなかった。
さやかは16歳で名コンクールを最で制し、19歳でチャイコフスキーコンクール第2位という輝かしい経歴を持っていた。演奏は繊細でありながらく、鍵盤に触れる指先には、の学たちがどれほど努力しても届かない何かがあった。
そのさやかが、練習をた、忽然と姿を消したのである。
最に目撃されたのは、午540分頃だった。同じ音楽学部の輩が、3階の廊ですれ違っていた。輩は、さやかがいつものように楽譜鞄を片に持ち、軽く頷いて階段をりていったと証言している。
建物のにる姿までは確認されていた。
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しかし、それ以の取りをる者はいなかった。
当初、学関係者のには、ではないかと考える者もいた。国際コンクールを目に控え、極度の圧をじていたのではないか。練習のき詰まりから、に姿を消したのではないか。
しかし、事実を確認するほど、その見方は崩れていった。
さやかの通帳からが引きされた形跡はなかった。自宅にあった類も、パスポートも、そのままだった。何より、彼女が最も切にしていた指輪が部に残されていた。
くなった祖母の遺品だった。
コンクールよりも、練習よりも、さやかが肌さず切にしていた指輪である。
それを置いていくはずがなかった。
これは計画されたではない。
そう判断した警察は、すぐに捜査を始した。
学周辺の宿や旅館が確認され、駅やバスターミナルの窓職員には、さやかの写真が配られた。当は防犯カメラもなく、ICカードもない代だった。々の記憶だけが頼りだった。
数が経っても、何の展もなかった。
母の松本恵は、学のでビラを配り続けた。目を赤く腫らし、通りかかるの腕をつかむようにして尋ねた。
「この子を見ませんでしたか。お願いです。見かけたら連絡してください」
父の松本孝志は、警察署と自宅を何度も往復した。
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学教師だった彼は、職でも落ち着きを失い、帰宅するとただ話のに座っていた。
1かが過ぎた。
さやかがする予定だった国際コンクールは、別の演奏者に交代された。学側は彼女の学籍を維持し、ロッカーもそのまま封印した。
しかし捜査は、しずつ迷宮入りの様相を見せ始めていた。
代を求する話も、脅迫状も届かなかった。犯罪組織との関係も疑われたが、さやかは平凡な庭の学であり、特別な財産や背景があるわけでもなかった。
ただ1つ、気なものだけが残されていた。
さやかが最に使っていた練習。その狭い部のピアノのに、1枚の楽譜がかれていた。
ショパンのノクターン作品9-2。
さやかがコンクール本選で演奏する予定だった曲だった。
その楽譜の隅に、鉛で殴りきされた文字があった。
「もう弾けない」
たった6文字。
それが、13、誰のからも消えない謎となった。
1991515、午9。
京芸術学音楽学部の事務に、1本の話がかかってきた。受話器を取った職員は、話の向こうから聞こえる切迫した声に、すぐ表を変えた。
「娘が昨夜、帰ってこなかったんです」
話の主は、松本さやかの母、恵だった。
「練習が終われば、いつも8にはに着くのに、昨から連絡が取れないんです」
職員は最初、学が晩帰らないこともあるだろうと考えた。
コンクールの学は、に練習に没し、のに泊まることもある。
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