"土俵下の12年" 第5話
岳司は孤独だった。
故郷のが、どうしようもなく恋しくなった。
けれど、ここで逃げたら全てが無駄になる。
両親を裏切ることになる。
岳司は自分に言い聞かせた。
もうしだ。
もうし耐えれば、何かが変わる。
そう信じて、痛みと孤独に耐え続けた。
昭47(1972)。
岳司は21歳になっていた。
入から6。
しかし番付は両にも届いていなかった。から入ってきた若い力士たちが次々と番付をげていく。岳司よりの力士が、岳司を追い抜いていった。
部の空気も、岳司にとって厳しいものになっていた。
親方の目はたくなった。
「林、おはもう21歳だ。いつまででくすぶっているつもりだ」
岳司は答えられなかった。
「申し訳ございません」
それしか言えなかった。
吉田の指導もますます厳しくなった。
あるの稽古、吉田が岳司を呼び止めた。
「林」
岳司は膝の痛みを隠しながら振り返った。
「はい」
吉田は俵の脇で腕を組み、岳司を見ろした。
「お、本気で相撲をやる気があるのか」
「あります」
「じゃあ、どうして結果がない」
岳司は黙った。
「才能がないのか。それとも努力がりないのか。どっちだ」
岳司は唇を噛んだ。
何を言っても言い訳になる。
吉田はさらに続けた。
「おみたいな奴がいると、部全体の士気ががる。やる気がないなら、さっさと辞めろ」
広告
その言葉は、岳司の胸にく刺さった。
辞める。
その言葉は、何度もをよぎったことがあった。
けれど、辞めるわけにはいかなかった。
ここで辞めたら、両親になんて言えばいいのか。
のたちにどう説すればいいのか。
岳司はをげた。
「すみません。もっと頑張ります」
吉田はを鳴らし、そのをった。
その夜、岳司は久しぶりに故郷へ話をかけた。
部の黒話のに座り、貨を握りしめるような気持ちで番号を回した。しばらく呼びし音が続き、やがて母の声が聞こえた。
「はい、林です」
「母さん、俺だよ」
話の向こうで、子の声がるくなった。
「岳司? 元気にしてるの?」
岳司は無理にるい声を作った。
「うん。元気だよ。稽古も頑張ってる」
「そう。よかった。お父さんも毎おのことを配してるのよ。く関取になって、楽にしてやってね」
岳司は喉の奥が詰まった。
「うん。頑張る」
それ以、何も言えなかった。
話を切った、岳司は廊に座り込んだ。
誰もいない暗い廊で、涙がこぼれた。
もう限界だった。
膝の痛み。
先輩からの圧力。
親方の失望。
両親の期待。
すべてが岳司を押しつぶしていた。
このまま続けても未来はない。
のどこかでは分かっていた。
それでも、辞める勇気もなかった。
昭47(1972)315。
そのは、いつもと変わらない稽古のだった。
広告
朝4、岳司はいつものように目を覚ました。膝の痛みはいつもよりく、の晩はほとんど眠れなかった。痛みと将来へので、のはかった。
掃除を終え、5から稽古が始まった。
まず股を踏む。
膝に体をかけた瞬、鋭い痛みがった。
岳司は瞬顔をしかめたが、すぐに表を戻した。
止まるわけにはいかない。
次はぶつかり稽古だった。
俵のに吉田がっていた。
「林、来い」
岳司は呼吸をし、吉田の胸にぶつかった。
吉田の巨体が岳司をね返す。
またぶつかる。
またね返される。
吉田が鳴った。
「なんだその当たりは。本気でやれ」
岳司は必だった。
しかし膝が鳴をげている。
力が入らなかった。
吉田は苛っていた。
「お、なめてるのか。もう1回来い」
岳司は痛みをこらえ、再びぶつかった。
その瞬、吉田の張りが岳司の顔面にんだ。
界が揺れた。
バランスを崩し、岳司はろへ倒れそうになった。
俵のにるわけにはいかない。
岳司はで踏ん張った。
その、膝から鈍い音がした。
ごきり。
岳司は俵に崩れ落ちた。
激痛が全を駆け巡り、声もなかった。
周囲の力士たちが駆け寄った。
吉田もさすがに顔を変えた。
「おい、丈夫か」
岳司は歯をいしばって答えた。
「丈夫です。すぐにちます」
しかし、てなかった。
膝が完全に壊れていた。
親方がづいてきた。
「林、無理するな。今は休め」
岳司は首を振った。
「丈夫です。続けます」
親方は厳しい顔で言った。
「いや、休め。
広告
おすすめ作品
-
完結第23話
白線の先の女たち
昭和三十九年、女子競輪が終わりを迎えようとしていた。三十四歳の佐伯久美子は、最後の地元決勝で優勝する。しかし彼女が真っ先に求めたのは、花束でも拍手でもなく、次の出走表だった。返ってきたのは、もう走る場所はないという答え。そんな久美子の前で、十九歳の新人・夏子は「私は来年も勝ちたい」と訴える。仕事、家族、怪我、そして失われた競走の舞台。走ることを諦められない女たちは、それぞれの暮らしを背負いながら、新しい一歩を探し始める。時代|歴史|昭和|ミステリー3.0万字5 146 -
完結第15話
姉の身代わりで嫁いだら、冷酷当主の本命でした
家族に冷遇され、姉の身代わりとして“冷酷な当主”のもとへ嫁がされた澄乃。しかし初対面で、偽りの花嫁だと見抜かれてしまう。 追い返される覚悟をした澄乃に、静は「お前で構わない」と告げる。さらに帳簿を読む彼女の才能と、恐れながらも嘘をつかなかった誠実さを認めていく。歴史|昭和|ミステリー|夫婦|第二の人生2.0万字5 586 -
完結第10話
13年前に消えた娘が、元隣人のSNSにいた
2009年、自宅から忽然と消えた四歳の娘・くるみ。母のえみは、娘の部屋を十三年間そのまま残し、帰りを待ち続けていた。 失踪から十三年後、元隣人のSNSに十七歳の少女が写る。成長した娘に似た顔、同じ三日月形のあざ、そして少女の名前も「くるみ」だった。ミステリー|夫婦|真実|真相|親子関係1.6万字5 226 -
完結第16話
雪の空港で消えた四人と第七格納庫
1989年のクリスマスイブ、北海道の空港から四人の客室乗務員が姿を消した。車には荷物と靴だけが残され、手掛かりのないまま35年が過ぎる。 2024年、解体中の旧格納庫で隠し部屋が発見され、事件は再び動き始めた。浮かび上がったのは、空港内部を熟知し、彼女たちを密かに監視していた元整備士だった。ミステリー|真実|真相1.9万字5 1147 -
完結第14話
七年後、屋上で見つかった妻の秘密
1993年、鹿児島。自治会の帳簿を整理していた主婦・ミキは、過去の火災復旧費に不自然な水増しを見つける。調査を始めた直後、彼女は遺書とバッグだけを残して姿を消した。 投身とされた事件から七年後、マンション屋上の封鎖された旧貯水槽から、ミキと一致する人骨が発見される。ミステリー|真相|行方不明2.1万字5 377 -
完結第13話
成人式に消えた母と十三着目の振袖
2014年の成人式当日、貸衣装店から母・奈津子が消えた。店の960万円もなくなり、共に姿を消したカメラマンとの逃避行が疑われる。娘の紗季に残されたのは、「今日は署名をしないで」という謎のメモだけだった。 10年後、閉店する店の倉庫から、記録にない「13着目の振袖」が見つかる。その裾には、若い女性たちの名義で作られた高額ローン契約書と、母が隠した証拠が縫い込まれていた。ミステリー|真実|行方不明2.3万字5 345 -
完結第18話
昭和38年、つなぐなと言われた救急電話
昭和38年、山間の電話交換所で働く澄子は、診療所から県立病院への緊急電話を受ける。重傷の17歳を救うための連絡だったが、主任は「その電話だけは絶対につなぐな」と命じた。 少年が亡くなった後、澄子の判断ミスとして処理されようとする。しかし記録を調べると、救急回線が止められていた時間にも、工事会社と本社、町役場の間では電話がつながっていた。時代|歴史|昭和|ミステリー2.3万字5 416 -
完結第10話
31年間、母が捨てなかったマットレスの秘密
31年間、両親が頑なに使い続けてきた古いマットレス。中央は大きく沈み、父の腰痛も悪化していたが、母はなぜか買い替えを拒み続けていた。 息子のデイヴィッドは、両親を旅行へ連れ出した隙に新しいものと交換しようとする。ところが搬出業者から、「お母様を寝室へ入れず、まず一人で確認してください」と切迫した電話が入る。 マットレスの下から現れたのは、古い手紙や小さな靴、写真、ぬいぐるみ。そこには両親が31年間、息子にさえ存在を明かさなかった幼い娘・グレースの記憶が封じられていた。 娘を失った悲しみから逃げるため、名前すら口にしなくなった父。そして誰にも見つからない場所で、毎年娘へ手紙を書き続けた母。古い寝台が取り払われた日、沈黙の下に閉じ込められていた家族の時間が、ようやく光の中へ戻り始める。ミステリー|真実|真相|親子関係1.5万字5 795