"嘘を握った右手" 第1話
2014108午912分。
群馬県内の部、嶺へ入る細いには、からり続いたの跡がまだ残っていた。古いの乗用が、くえぐられた未舗装を慎に登るたび、タイヤの脇から黄いがねがった。
運転している田美紀は、助席に置いた携帯話へ何度も線を落としていた。
通話履歴の番には、同じ名が並んでいる。
田健。
兄だった。
103午814分。
104午732分。
105。
6。
7。
ないでも4回、いには7回、美紀は話をかけていた。しかし聞こえてくるのは「源が入っていないか、波の届かない所にあります」という械な案内だけだった。
最初の2ほど、美紀はそれほど刻には考えていなかった。
兄はわさびの栽培を始めると、のことが目に入らなくなるだった。の湿り具を確かめているうちにが暮れ、事も取らず夜まで畑に残ることがある。
「またにこもってるだけだよ」
母にもそう話していた。
だが3目になると、を打ち消せなくなった。
健は族へ毎連絡するようなではない。それでも、何も完全に音信通になることはなかった。
しかも毎第1週に崎で暮らす母へ送っている活費が、10に入っても振り込まれていなかった。
母が先に兄へ話した。
広告
そのには、すでに源が切れていた。
「ちょっと気分転換にでもかけたんでしょう」
話で母はそう言ったが、声は震えていた。
美紀はもう待てなかった。
朝に崎をて、3以かけて兄が暮らすへ向かった。
やがての向こうに鉄製のが現れた。
は施錠されていなかった。
片方の蝶番がれかけ、が吹くたびに錆びた鉄が擦れう甲い音がに響いた。
美紀はをりた。
「お兄ちゃん!」
返事はない。
ビニールと黒い遮幕で覆われたわさび畑が、腹に沿ってく続いている。
何百本もの支柱がのに並び、そのに張られた黒い幕がを受けて膨らんでは沈んでいた。
くから見ると、それは巨な何かがゆっくり呼吸しているようにも見えた。
「健!」
もう度呼んだ。
返ってくるのは自分の声だけだった。
のくにある設備へ向かう。
源ランプが消えていた。
ホースを持ちげてもはない。
美紀はい区画へ目を向けた。
わさびの葉先が黄く変わっている。茎の部は力なく倒れ、を含んだのへ横たわっていた。
美紀はを止めた。
ありえない。
健はわさびをのように扱う男だった。
葉が1枚ねじれただけでも原因を調べ、がければ真夜でも畑へって排を確認する。
広告
そんな兄が、何も設備を止めたままにするはずがなかった。
畑の央にさな造がある。
健が宿舎として使っていた建物だった。
玄関には黒いオートバイが止まっていた。
ハンドルにはヘルメットがかかっている。
タイヤには乾いたがこびりつき、サドルのには落ち葉が2枚なっていた。
美紀の胸の奥がく締めつけられた。
兄は町へりるも、ほとんど必ずこのバイクを使っていた。
ここから最寄りのバスまでは、歩けば1以かかる。
バイクがある。
財布も持たず、突然くへったとは考えにくい。
玄関のドアに鍵はかかっていなかった。
「お兄ちゃん?」
美紀が押しけると、湿ったとめたべ物、濡れた作業着の臭さが気に押し寄せた。
靴を脱ぐことも忘れてへ入った。
リビング兼キッチンは、なほどっていた。
荒らされた形跡はない。
卓にはべかけのカップラーメンが1つ残っていた。スープは完全に乾き、底に茶い染みだけがこびりついている。
箸が1本、へ落ちていた。
壁のカレンダーを見る。
930。
その付だけ赤い丸で囲まれていた。
にはボールペンでくかれている。
『19 佐藤社』
美紀は文字を見つめた。
佐藤えり子。
兄が借りているわさび畑の主だった。
「のことになると細かすぎる女なんだよ」
以、健がそう愚痴をこぼしたことがあった。
賃料や契約条件をめぐって、何度か論になったとも聞いていた。
広告
おすすめ作品
-
完結第10話
Night072の夏
2019年7月、大阪。 16歳の高校生・瀬名ほのかは、学校を出たあと家に帰らなかった。普段なら遅くなる時は必ず連絡を入れる娘。だがその夜、何度電話をかけても、返ってくるのは留守番電話だけだった。 捜査が始まる中、親友の証言から、ほのかがSNSで知り合った謎の人物と会う約束をしていたことが分かる。 相手の名は「Night072」。 優しい言葉でほのかの悩みに寄り添い、「君を理解している」と語り続けたその人物は、本名も顔も分からないまま、巧妙に正体を隠していた。 やがて、大和川で発見された黒い袋が、事件を最悪の方向へ動かしていく。 医学知識を持つ人物。消された通信記録。空き家に残された痕跡。そして、画面の向こうで優しく語りかけていた「Night072」の本当の姿。 ほのかはなぜ狙われたのか。 そして、彼女が最後に信じた相手は、何者だったのか――。ミステリー|行方不明1.5萬字5 0 -
完結第12話
井戸に沈んだ制服
1992年10月、宮城県の山あいの村で、68歳の天野越子が突然姿を消した。 越子はその日、いつものように籠に米と果物、庭の菊を入れ、村外れの寺へ向かった。自宅から寺まではわずか600m。何百回も歩いてきた道で、迷うはずなどなかった。 しかし、越子は寺には着いていなかった。 警察犬は自宅から約100m進んだ場所で、彼女の匂いを見失う。財布も通帳も家に残されたまま、争った跡も、倒れた痕跡もない。まるで、その短い道の途中で忽然と消えたかのようだった。 そして7ヶ月後。 村の古井戸から見つかったのは、40年近く前の女子学生服に包まれた、越子のものと思われる一部の骨だった。 なぜ、寺へ向かっただけの老女が消えたのか。 なぜ、古い制服に包まれていたのか。 捜査線上に浮かんだのは、越子の若い頃を知る一人の元教師だった。 彼の家の地下室で警察が見たものは、この村が長年信じてきた“平穏”を根底から壊すものだった――。ミステリー|行方不明1.7萬字5 0 -
完結第11話
五人目の白い靴
2003年夏、琵琶湖のほとりでキャンプをしていた伊藤一家4人が、忽然と姿を消した。 車もテントも荷物もそのまま。財布や鍵、子どもの持ち物まで残されていたのに、家族だけがどこにもいない。唯一、テントの中にあったのは、伊藤家のものではない片方だけの白い運動靴だった。 靴の内側には、消えかけた名前。さらに、長い年月を経て判明した血の痕跡。 捜査は難航し、事件は未解決のまま5年が過ぎる。だが、再鑑定によって白い靴が語り始めたのは、伊藤一家だけではない、もう一人の少女の存在だった。 なぜ、その靴は琵琶湖のテントにあったのか。 そして、5年前から誰にも届かなかった少女の名前とは――。ミステリー|行方不明1.7萬字5 4 -
完結第13話
25年目の自白状
1982年、群馬県安藤市。雑貨店を営む佐藤大吾の9歳の息子・健二が、雨で増水した川のそばで姿を消した。 現場には健二の運動靴が残され、下流では赤い帽子も見つかった。警察は川への転落事故と判断するが、大吾だけは納得できなかった。あの日、黒い車に乗せられた赤い帽子の少年を見たという証言があったからだ。 しかし捜査は進まず、妻の三重子も「私には選択肢がなかった」という謎の言葉を残してこの世を去る。 息子も妻も失った大吾は、それでも25年間、健二の部屋をそのまま残し、帰りを待ち続けた。 そして2007年、差出人不明の黄色い封筒が届く。 そこに書かれていたのは、たった一文。 「あなたの息子は、自分のものではない人生を生きました。」 25年前の川の事故、東京へ消えた黒い車、妻が抱えていた秘密。 すべてがつながった時、父は息子が奪われた本当の理由を知ることになる――。ミステリー|真相|行方不明1.9萬字5 193 -
完結第11話
湖底の白衣
1973年12月、東京で小さなクリニックを営む女医・田中恵美子が突然姿を消した。 患者から深く信頼され、無断で仕事を休むことなど一度もなかった彼女は、その日もいつも通り診察をしていた。ところが午後3時、恵美子は「急な往診に行ってきます」と看護師に告げ、水色のトヨタ・コロナに乗ってクリニックを出たまま戻らなかった。 しかし後に分かったのは、その往診依頼が存在しなかったという事実だった。 部屋に争った跡はなく、生活用品もそのまま。だが、失踪前の彼女には深夜の電話、大きな現金の引き出し、そして誰にも言えない異変があった。 事件か、失踪か、それとも別の理由があったのか。 答えのないまま21年が過ぎた1994年、神奈川県の芦ノ湖で潜水していたダイバーが、湖底に沈む古い車を発見する。 引き上げられた車は、21年前に田中恵美子が乗って消えたトヨタ・コロナだった。 だが車内に、彼女の姿はなかった。 湖底から現れた車、医学書の間に残された手紙、そして失踪直前に彼女が隠していた本当の苦しみ。 誰からも信頼された女医は、あの日なぜ東京を離れ、遠い湖へ向かったのか――。ミステリー|行方不明1.6萬字5 433