"井戸に沈んだ制服" 第1話
199210旬、宮県のあいにあるは、稲刈りの季節を迎えていた。
集落を囲む田んぼは黄に染まり、いの斜面には赤や黄の葉が混じり始めている。数軒ほどの古いが肩を寄せるように並び、民のくは互いの顔だけでなく、族構成や毎の活までっていた。
きな事件など、めったに起こらないだった。
68歳の野越子も、そこでく暮らしてきただった。
数に夫をくし、成した子供たちはすでに都部へ移っている。越子はれにあるさな軒で、暮らしを続けていた。
元学教師だった彼女を覚えている民はかった。
「あの先にはよく叱られたよ」
そう笑う50代の男性もいれば、
「でも最には必ず褒めてくれた」
と懐かしそうに話す女性もいた。
越子自は、教師を辞めてから自分の昔話をすることはほとんどなかった。毎朝決まったに起き、庭のへをやり、簡単な朝を取り、聞に目を通す。
に度、町までてを受け取る。
畑で自分がべる程度の野菜を作り、所から漬物をもらえば、翌には煮物や果物を持って礼にく。
派な暮らしではなかった。
けれど、越子はその静かな活を気に入っているように見えた。
そんな彼女には、何も続けている習慣があった。
広告
週に度、のれにある寺へ参ることだった。
寺までは自宅から約600m。
をて細いをみ、さなを横切り、畑のを抜ければ、造のが見えてくる。ゆっくり歩いても15分ほどののりである。
越子は何回どころか、何百回もそのを歩いていた。
に迷うような所ではない。
そのも、午2をし過ぎた頃、越子はいつものように支度をした。
さな籠のには量の米、季節の果物、それに庭で咲いた菊が入っていた。
鏡ので髪をえ、い着を羽織る。
玄関で靴を履き、戸締まりを確かめてへた。
隣ではの女性が庭の菊にをやっていた。
「今はお寺?」
声をかけられ、越子はを止めた。
「ええ。いいお気だから」
「が落ちるとえるよ」
「暗くなるには戻ります」
越子はいつもの柔らかな笑みを浮かべた。
それからスカーフを直し、籠を腕にかけてゆっくり歩き始めた。
所の女性はその背をしだけ見送った。
っぽい着。
紺のスカート。
さな籠。
いつもと何も変わらない姿だった。
越子はの角を曲がった。
それが、野越子をきた姿で確認した最の瞬になった。
午4を過ぎても、所の誰も異変には気づかなかった。
5を回り、太陽がの向こうへ傾き始める。
空はいへ変わり、田んぼのがく伸びた。
広告
庭にた隣は、ふと越子のを見た。
窓が暗い。
「あれ?」
越子は寺参りをしても、いつも夕方になるには戻っていた。
職と話し込むことがあっても、これほど遅くなることはほとんどない。
それでも最初は、
「誰かのへ寄ったのかもしれない」
とった。
ところが6になっても、灯りはつかない。
完全にが落ちた。
の夜はい。
くの々に黄い灯がともる、越子のだけが暗のに沈んでいた。
隣は話をに取った。
越子と親しいへ順番に尋ねたが、誰のところにも来ていない。
最に寺へ話をかけた。
受話器の向こうで配の職が答えた。
「野さんですか?」
「はい。今、そちらへきませんでした?」
しがあった。
「いや……今は来ていませんよ」
隣の背にたいものがった。
「本当に?」
「ええ。今週はまだお顔を見ていません」
話を切ると、彼女はすぐ所のを回った。
「越子さんが戻ってないの」
「寺にもってないらしい」
その言葉だけで、数の民が集まった。
懐灯をに、越子のから寺までのを歩く。
畑の脇。
側溝。
むら。
さなの。
名を呼びながら、つつ確認した。
「野さん!」
「越子さん!」
返事はない。
籠もない。
靴もない。
倒れた跡も、争ったような痕跡もなかった。
寺の境内も調べた。
本堂の裏。
墓。
林の入。
何も見つからない。
午8を過ぎる頃には、誰もが同じことを考えていた。
これは、ただ帰りが遅れているだけではない。
午9頃、警察へ連絡が入った。
広告
おすすめ作品
-
完結第10話
Night072の夏
2019年7月、大阪。 16歳の高校生・瀬名ほのかは、学校を出たあと家に帰らなかった。普段なら遅くなる時は必ず連絡を入れる娘。だがその夜、何度電話をかけても、返ってくるのは留守番電話だけだった。 捜査が始まる中、親友の証言から、ほのかがSNSで知り合った謎の人物と会う約束をしていたことが分かる。 相手の名は「Night072」。 優しい言葉でほのかの悩みに寄り添い、「君を理解している」と語り続けたその人物は、本名も顔も分からないまま、巧妙に正体を隠していた。 やがて、大和川で発見された黒い袋が、事件を最悪の方向へ動かしていく。 医学知識を持つ人物。消された通信記録。空き家に残された痕跡。そして、画面の向こうで優しく語りかけていた「Night072」の本当の姿。 ほのかはなぜ狙われたのか。 そして、彼女が最後に信じた相手は、何者だったのか――。ミステリー|行方不明1.5萬字5 0 -
完結第13話
嘘を握った右手
2014年、群馬県の山間部で山わさび畑を営む田中健二が突然姿を消した。 宿舎には通帳も現金も残され、畑の給水設備は止まったまま。几帳面だった健二が、何も告げずに山を離れるはずがなかった。 数日後、農業廃棄物の下から見つかったのは、遮光幕に包まれた健二の姿。右手には、最後まで離さなかった数本の髪が握られていた。 地主の女社長、解雇された若い作業員、秘密の携帯電話、108回の通話記録。 山奥の乾燥倉庫で、あの夜いったい何が起きたのか。 嘘と欲望にまみれた不倫関係が、やがて誰にも消せない証拠を地上へ呼び戻していく――。ミステリー|行方不明1.9萬字5 1 -
完結第11話
五人目の白い靴
2003年夏、琵琶湖のほとりでキャンプをしていた伊藤一家4人が、忽然と姿を消した。 車もテントも荷物もそのまま。財布や鍵、子どもの持ち物まで残されていたのに、家族だけがどこにもいない。唯一、テントの中にあったのは、伊藤家のものではない片方だけの白い運動靴だった。 靴の内側には、消えかけた名前。さらに、長い年月を経て判明した血の痕跡。 捜査は難航し、事件は未解決のまま5年が過ぎる。だが、再鑑定によって白い靴が語り始めたのは、伊藤一家だけではない、もう一人の少女の存在だった。 なぜ、その靴は琵琶湖のテントにあったのか。 そして、5年前から誰にも届かなかった少女の名前とは――。ミステリー|行方不明1.7萬字5 4 -
完結第13話
25年目の自白状
1982年、群馬県安藤市。雑貨店を営む佐藤大吾の9歳の息子・健二が、雨で増水した川のそばで姿を消した。 現場には健二の運動靴が残され、下流では赤い帽子も見つかった。警察は川への転落事故と判断するが、大吾だけは納得できなかった。あの日、黒い車に乗せられた赤い帽子の少年を見たという証言があったからだ。 しかし捜査は進まず、妻の三重子も「私には選択肢がなかった」という謎の言葉を残してこの世を去る。 息子も妻も失った大吾は、それでも25年間、健二の部屋をそのまま残し、帰りを待ち続けた。 そして2007年、差出人不明の黄色い封筒が届く。 そこに書かれていたのは、たった一文。 「あなたの息子は、自分のものではない人生を生きました。」 25年前の川の事故、東京へ消えた黒い車、妻が抱えていた秘密。 すべてがつながった時、父は息子が奪われた本当の理由を知ることになる――。ミステリー|真相|行方不明1.9萬字5 193 -
完結第11話
湖底の白衣
1973年12月、東京で小さなクリニックを営む女医・田中恵美子が突然姿を消した。 患者から深く信頼され、無断で仕事を休むことなど一度もなかった彼女は、その日もいつも通り診察をしていた。ところが午後3時、恵美子は「急な往診に行ってきます」と看護師に告げ、水色のトヨタ・コロナに乗ってクリニックを出たまま戻らなかった。 しかし後に分かったのは、その往診依頼が存在しなかったという事実だった。 部屋に争った跡はなく、生活用品もそのまま。だが、失踪前の彼女には深夜の電話、大きな現金の引き出し、そして誰にも言えない異変があった。 事件か、失踪か、それとも別の理由があったのか。 答えのないまま21年が過ぎた1994年、神奈川県の芦ノ湖で潜水していたダイバーが、湖底に沈む古い車を発見する。 引き上げられた車は、21年前に田中恵美子が乗って消えたトヨタ・コロナだった。 だが車内に、彼女の姿はなかった。 湖底から現れた車、医学書の間に残された手紙、そして失踪直前に彼女が隠していた本当の苦しみ。 誰からも信頼された女医は、あの日なぜ東京を離れ、遠い湖へ向かったのか――。ミステリー|行方不明1.6萬字5 444