"真っ暗な部屋の退学届" 第5話
美緒はどれを選ぶだろう。
番濃いガトーショコラか。
見た目がかわいいムースか。
そんなことを考えながら玄関をけた。
「ただいま」
返事がなかった。
いつもなら、部にいても「おかえり」と声くらい返してくる。
靴はある。
美緒は帰宅している。
リビングの気をつけた。
誰もいない。
台所も暗い。
「美緒?」
嫌な覚が胸に広がった。
廊を見る。
美緒の部のドアが閉まっている。
からわずかなも漏れていない。
普段ならこのは、ほぼ必ず机のライトが点いている。
づいた。
音が聞こえた。
最初はエアコンかとった。
違う。
さな嗚咽だった。
俺はを止めた。
泣いている。
美緒が。
ずっと。
押し殺すように泣いていた。
「美緒」
返事はない。
「入るぞ」
度ノックして、ドアをけた。
真っ暗だった。
廊のかりが細く部へ入り、そののに美緒の背が見えた。
に座っている。
机ではない。
ベッドの横。
そして美緒の周りには。
。
教科。
ノート。
通帳。
さな段ボール。
旅用のキャリーバッグ。
すべてがへ並べられていた。
最初、何をしているのか分からなかった。
引っ越しの準備のように見えた。
「……美緒?」
美緒が振り返った。
顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
そのには。
枚のが握られていた。
俺がづくと、美緒は慌てて隠そうとした。
だが。
のにかれた文字だけは見えた。
広告
〈退学届〉
俺は声を失った。
「何だよ、それ」
「違うの」
「何が違うんだ」
「まだしてない」
「そういう問題じゃないだろ」
つい声がくなった。
美緒の肩がびくりといた。
俺はすぐに悔した。
「ごめん。ってない。……いや、びっくりしてるだけだ」
膝をつく。
にはにもがあった。
学の願。
奨学の案内。
そして。
求報誌。
「学……かないつもりなのか?」
美緒は俯いた。
「お、かかるから」
「それは俺が――」
「違う」
また遮られた。
「おだけじゃない」
涙が落ちた。
「私がここにいると、孝太郎おじさんずっと私のこと気にしなきゃいけないでしょ」
「当たりだろ。族なんだから」
「そういうのが嫌なの」
胸に刺さった。
美緒は両をく握った。
「嫌っていうのは、孝太郎おじさんが嫌なんじゃない。私のせいで誰かの活が変わるのが嫌なの」
声が震えていた。
「お母さんもそうだった」
俺は黙った。
「私がいたから、お母さんずっと働いてた。体調悪くても休まなかった。私の学費とか活費とか、全部私のためだった」
「それは違う」
「違わない!」
美緒の声が部に響いた。
初めてだった。
俺ので。
こんなにをわにしたのは。
「私がもっとく働けたら、お母さんあんなに無理しなくてよかったかもしれない。私が学きたいなんて言わなかったら、もっと休めたかもしれない!」
「美緒」
「だから今度は孝太郎おじさんまで巻き込みたくないの!」
広告
そこで言葉が切れた。
美緒は元を押さえた。
嗚咽が漏れた。
「私……ここに来てから、すごく楽だった」
涙を拭いながら言う。
「ご飯緒にべて、くだらない話して。帰ったら誰かいるのが嬉しかった。だから怖くなった」
「何が」
「慣れるのが」
俺は何も言えなかった。
「また誰かいなくなったら嫌だから。だったら最初から、できられるようにならなきゃって」
俺はそこでようやく分かった。
美緒が事をしていた理由。
毎朝く起きていた理由。
泣かなかった理由。
勉を無理に続けていた理由。
しっかりしていたのではない。
この子は。
「誰にも迷惑をかけず、できられる」になろうとしていただけだった。
17歳なのに。
母親をくしてまだ数ヶなのに。
「……泣いていいんだぞ」
わず言った。
美緒の顔が歪んだ。
「頑張らなくてもいい」
「でも」
「いいんだよ」
俺はゆっくりを伸ばし、美緒のへ置いた。
「お、頑張りすぎだ」
その瞬。
美緒の体から力が抜けた。
俺の胸へ倒れ込むように寄りかかり、声をげて泣き始めた。
子供みたいに。
何度も「お母さん」と言いながら。
俺はその背を撫でた。
ずっとに。
こうしてやるべきだった。
しっかりしているから丈夫だとった。
笑っているから乗り越えたとった。
全部。
俺が勝にしていただけだった。
しばらくして。
美緒の泣き声がしさくなった頃。
に落ちていた枚の封筒が目に入った。
広告
おすすめ作品
-
完結第15話
15年無給で働いた若女将を追い出した老舗旅館の末路
老舗温泉旅館「鶴の湯」に嫁いで15年。若女将の美里は一度も給料を受け取らず、料理から接客まで休む間もなく働いてきた。ところがある日、義母と夫はSNSで人気を集める若い女性を新しい若女将に迎え、美里を「時代遅れ」と追い出してしまう。長年守ってきた味も、常連客との約束も、彼らには何の価値もなかった。しかし、美里が去った翌朝から、旅館では思わぬ問題が次々と起こり始める。15年間、あの宿を本当に支えていたのは誰だったのか。職場逆転|人生逆転|嫁姑|第二の人生2.2万字5 208 -
完結第15話
正月、娘を家政婦扱いした義実家――私が下した決断
43歳のゆり子は、13歳の娘・美咲を連れて再婚した。しかし、結婚前は優しかった夫の賢二は、家事を押しつけ、娘の食事まで平気で奪うようになる。 迎えた初めての正月。夫の実家へ帰省した母娘を待っていたのは、休む間もない家事と姑からの冷たい仕打ちだった。さらに元旦、親戚の子どもたちがお年玉をもらう中、美咲だけが「他人だから」と仲間外れにされてしまう。人生逆転|嫁姑|夫婦|第二の人生|絶縁|親子関係1.9万字5 520 -
完結第15話
誕生日に姪を選んだ夫、3年後の再会で絶句
読書好きで控えめな陽菜子は、誠実だと信じていた夫・高尾と穏やかに暮らしていた。ところが三十歳の誕生日、夫は姪の百花を連れて現れ、妊娠を告げたうえで離婚届を突きつける。「子供ができないお前が悪い」と責められ、家まで追い出された陽菜子は、誰も自分を知らない町で新しい生活を始める。やがて高校時代の同級生との再会をきっかけに、少しずつ前を向けるようになっていく。そして数年後、偶然出会った元夫と姪の前で、思いがけない出来事が起こる。因果応報|人生逆転|夫婦|親子関係|修羅場|不倫2.1万字5 1441 -
完結第13話
産後の私に義母の世話を押しつけた夫の絶縁宣言
二人目を出産したばかりのレナは、母に二週間だけ家事と長男の送迎を頼んでいた。ところが夫の悠人は、相談もなくその約束を断り、代わりに自分の母親を呼んでしまう。手伝いに来たはずの義母は食事も洗濯もレナ任せ。夫に訴えても「家族なんだから」と取り合ってもらえない。とうとう子ども二人を連れて実家へ帰ったレナに、悠人は「母さんとは縁を切る」と宣言する。しかし、その言葉を聞いたレナが夫に求めたのは、思いがけないことだった。嫁姑|第二の人生|絶縁|親子関係1.3万字5 452 -
完結第15話
生活費を奪って消えた母、20年後の再会で私が頼んだもの
小学四年生の秋、美咲の母は家の生活費と預金を持ち去り、突然姿を消した。残された父は工場で懸命に働きながら娘を育て、給料日には食堂へ連れていってくれた。「好きなものを食べなさい」と笑う父が、自分のために頼むのはいつも水だけだった。苦しい日々を二人で乗り越え、大人になった美咲の前に、長年音信不通だった母が現れる。何事もなかったように振る舞う母を、美咲は高級レストランへ誘った。そこで彼女が選んだものには、父と過ごした忘れられない日々への思いが込められていた。夫婦|絶縁|親子関係|金銭問題1.9万字5 532 -
完結第15話
認知症の父を「逮捕しろ」と叫ぶ姑――孫の一言で形勢逆転
夫を突然亡くした佳苗は、幼い二人の子どもを育てながら、認知症になった父の介護も引き受けることになった。心身ともに限界を迎えるなか、支えになってくれたのは小学六年生の息子・亮太だった。家族で父の実家へ引っ越し、ようやく穏やかな暮らしを取り戻したかに思えたが、何かにつけて佳苗を責める姑が、またもや騒ぎを起こす。ある日、仕事中の佳苗に亮太から緊急の電話が入った。急いで帰宅すると、家の前にはパトカーが。家の中でいったい何が起きたのか。姑の言い分に対し、亮太が語り始めたのは……。祖父母と孫|嫁姑|絶縁|親子関係|介護|認知症1.6万字5 340 -
完結第15話
「一緒に暮らそう」親切な男性に質問すると、顔色が変わった
夫を亡くして四年、六十八歳の静子は、一人暮らしを気ままに楽しんでいた。そんなある日、親友の千鶴から、買い物袋を持ってくれる親切な男性・佐藤の話を聞く。七十四歳の佐藤は千鶴に同居を申し込み、千鶴も久しぶりの出会いに心を弾ませていた。ところが、静子にも佐藤が近づいてくる。しかも、千鶴に話したのとよく似た言葉で同居を持ちかけてきたのだ。静子が何気なく尋ねた一つの質問から、男性の思わぬ本音が見え始める。人生逆転|孤独|第二の人生|修羅場1.4万字5 727 -
完結第15話
母が泊まらない理由
念願の一戸建てを購入した直は、離れて暮らす母・かず子のために、二階で一番日当たりのいい部屋を客間にした。ところが、初めて遊びに来た母は、夕食を終えるなり「そろそろ帰るわね」と言い出す。布団まで用意したのに、なぜ泊まってくれないのか。納得できない直は、何度誘っても断る母の態度に苛立ちを募らせる。一方、妻の咲には、毎日使いたくても使えない部屋があった。良かれと思ってした親孝行。その陰で、直が見落としていたものとは。嫁姑|夫婦|親子関係1.5万字5 606