みかん小説
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"捨てられた夏の肖像" 第2話

ところが結果を見たは、青ざめた顔でを机に置いた。

「こんなの信用できるかよ」

を疑った。

も同じだった。彼女は鑑定をった医療関が私と結託しているのではないかと言い始め、しまいには「担当医とあなたができているんじゃないの」とまでにした。父が鳴り返し、母が泣きながら抗議しても、歩も引かなかった。

そのだった。

が鞄から枚のした。

すでに彼の署名が記入された婚届だった。

「俺はおみたいな女とは暮らせない。を連れてていけ」

その言葉を聞いた、ようやく私は理解した。

このたちは。

真実をりたかったのではない。

最初から。

私を追いしたかったのだ。

私とが結婚するまでののりは、決してドラマチックなものではなかった。代、私たちは同じクラスだったが、当は爽やかな見で女子から気があり、私はどちらかといえば目たない徒だった。気軽に話せる友ではあったものの、恋関係になるなど像したこともなかった。

卒業、私は学のため元をれた。活環境が変わったことをきっかけに運を始め、活も見直した結果、20歳の成式で帰省する頃には代よりかなり痩せていた。そのの同窓会で再会したが、私を見て驚いたように目を丸くしたことを今でも覚えている。

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「広美だよな? 瞬、誰かとった」

その、私たちは代のから活の話まで、を忘れて話し続けた。同窓会が終わる頃、から「もうし話さないか」と誘われ、くの居酒で移した。それがきっかけで連絡を取りうようになり、やがてが始まった。

学卒業、私は元企業へ就職し、25歳でと結婚した。翌まれたは本当に嬉しそうに泣き、「広美、ありがとう。もっと幸せになろうな」と私のを握ってくれた。あのの言葉まで全部嘘だったとはいたくなかった。

との同居も、最初の数像していたほど悪くなかった。をよくがり、私が疲れているには料理を伝ってくれることもあったため、私は周囲に「義母との同居も悪いことばかりじゃない」と話していたほどだった。だからこそ、の妊娠の態度が急変した理由が分からなかった。

、私はすぐ婚届に署名したわけではない。父は「こんな馬鹿げた理由で婚を認める必はない」とり、母も「まで置いていくことになるのよ」と私を説得した。それでも病へ毎のように現れては罵倒を繰り返すと澄に、産の私は徐々に精神に追い詰められていった。

最も辛かったのは、女のだった。

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まだ2歳だったは澄に預けられたまま病院へ来ることができず、私が話で声を聞きたいと言っても、「混乱させるから会わせない」と拒絶された。私はを抱きながら、もうの娘がで何をしているのかさえ分からない々を過ごした。

退院、私はを連れて旦実へ戻った。その点ではも取り戻すつもりで、両親と緒に弁護士へ相談し、親権について争う準備をめていた。しかし側は「まれてからずっとこので暮らしており、祖母との関係もい」と主張し、婚そのものも期化させる姿勢を見せた。

もない私は体調を崩し、も夜泣きが激しかった。さらには、私が親権を争うなら「浮気の疑いを周囲に全部話す」と脅し、DNA鑑定の結果さえ「偽造された能性がある」と言い張った。根拠のない話でも、所や職へ広がれば、私と娘が傷つけられることは分かっていた。

結局、婚調ではを私が、が監護する形になった。今えばもっとく争うべきだったのかもしれないが、当の私はを守りながら毎きるだけで精杯だった。から「はこっちでちゃんと育てる。今は会わせない」と言われたも、悔しさで声をすことさえできなかった。

ところが婚成から約2ヶ、父が突然私を呼んだ。

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