"余ったパンの嘘" 第9話
とは言わなかった。
「俺、今ちょっと腹いっぱい」
ただそう言った。
もう1も、
「僕も半分余った」
と続いた。
は全部分かっていたはずだった。
それでも理由を聞かなかった。
「昨ついてきたのか」と問いたださなかった。
「健のためにありがとう」とも言わなかった。
ただし目を伏せ、
「そうか」
と答えた。
それで分だった。
それから数週、教では々パンが残った。
本当にべきれない子がいるだけ、1つ。
あるいは半分。
誰も無理をして残すことはなかった。
誰も健の名をさなかった。
誰も彼ののことを面半分に話さなかった。
3が川敷で見たことも、広い噂にはならなかった。
がそうしなかったから、子どもたちも同じようにした。
先が相の事を言いふらさなかったのなら、自分たちも言わない方がいい。
先が「かわいそう」という言葉を使わなかったのなら、自分たちも使わない方がいい。
それを誰かに教えられたわけではない。
自然にそううようになった。
昭43。
のコッペパン1本を、今よりずっと切にじる庭がなくなかった代だった。
1本のパンは、ただのべ物ではなかった。
腹を満たすもの。
へ持ち帰れば、誰かと分けられるもの。
そしてには、誰かの気持ちを守りながら渡さなければならないものでもあった。
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昭は、教でそのことを説しなかった。
黒板へ、
「を助けましょう」
といたわけでもない。
「困っているには親切にしなさい」
と特別な授業をしたわけでもなかった。
まして、
「相の誇りを傷つけてはいけない」
という言葉を子どもたちへ教えたこともない。
毎、自分のパンをべなかっただけだった。
へ包んだ。
古びた革鞄へ入れた。
放課、自転で町を抜けた。
砂利をった。
川敷ののにった。
「健、いるか」
戸がくのを待った。
パンを差しした。
「今も余ったから持ってきた」
同じ言葉を繰り返した。
健が受け取れば、それ以は何も言わず帰った。
それを続けた。
その姿を偶然見てしまった3の子どもたちは、最初はただ先の秘密をりたかっただけだった。
なぜパンをべないのか。
どこへ持って帰るのか。
先のが貧しいのか。
面半分の好奇だった。
しかし尾の最に見たものは、彼らが像していたどの答えとも違った。
パンのき先をっただけではない。
なぜ先が「余った」と言うのかまで、考えることになった。
その違いはきかった。
親切にするだけなら、子どもにも分かる。
困っているへ何かを渡す。
助けてあげる。
それで良いことをしたとえる。
だががしていたのは、もうし難しいことだった。
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助けながら、助けていることをできるだけじさせない。
差ししながら、相にをげさせない。
自分の善を見せるのではなく、受け取る側が嫌ないをしない方法を考える。
5の3には、そのをうまく言葉にすることはできなかった。
けれど体では覚えた。
だから翌ので、
「健のために残した」
とは言わなかった。
先と同じように、
「腹いっぱい」
と言った。
それはが子どもたちへ直接教えたものではなかった。
子どもたちが先の背を見て、自分で覚えたものだった。
学では、毎のように黒板が消された。
朝にかれた文字も、午には黒板消しで消えていく。
算数の式。
漢字。
宿題。
の予定。
どんなに丁寧にかれていても、次の授業になれば消された。
けれど黒板に度もかれなかったものが、子どもたちのには残った。
誰かを助ける、自分が良いに見えることより切なものがある。
相がどうじるかを考えること。
必以に事を聞かないこと。
で善を見せつけないこと。
そして、
助ける相の誇りまで奪わないこと。
先は、それを説しなかった。
説する代わりに、毎1本のコッペパンを革鞄へ入れた。
昭43のをにした、さな造舎。
炭ストーブの煙が漂う5の教で、子どもたちは算数や国語とは違う授業を受けていた。
教科には載っていなかった。
試験にもなかった。
正しい答えをけば丸をもらえるものでもなかった。
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