"忘れられなかった一つの名前" 第2話
それなのに父は、その価値のない属片を宝物のように扱っていた。
昭3211、健の学級では「に残る戦争の品」を調べる課題がされた。級友のが健へ、何を持ってくるのかと尋ねた。
「うちには古い軍のボタンがある」
「ボタン個だけ? 勲章も軍刀もないのか」
「父さんが、絶対に捨てないんだ」
友は笑った。
「おの父ちゃん、まだ戦争へきたいんじゃないのか。ボタンを見て懐かしがってるんだろ」
その言葉が健には恥ずかしかった。父が代遅れのだと言われたようにじた。
帰宅すると、隆はから持ち帰った作業靴の底を修理していた。健はランドセルを置くと、押し入れを指さした。
「父さん、あのボタンを学へ持っていってもいい?」
「だめだ」
隆は顔もげずに答えた。
「調べる授業なんだ。皆、戦争の物を持ってくる」
「ほかのものにしなさい」
「うちには、あれしかないじゃないか」
「それでもだめだ」
健ので、学で笑われた悔しさが気にあふれた。
「そんなに事なら、理由くらい話せばいいだろ。錆びたボタンなんか捨てればいいのに。父さんだけ、いつまでも昔のことばかり考えてる」
隆はゆっくり顔をげた。鳴るとったが、その表に浮かんでいたのはりではなかった。く傷ついたような、疲れた目だった。
広告
「おには、まだ分からないだろうな」
「分からないようにしてるのは父さんだろ」
健は襖をく閉め、自分の部へ入った。隆は追いかけず、い、畳のに座っていた。
その夜、静は夫へ、そろそろ子供たちに説した方がよいのではないかと話した。
「あなたが何も言わないから、健は勝に考えてしまうのよ。戦争を懐かしんでいるとわれても仕方がないでしょう」
「懐かしいことなんて、つもない」
「なら、そう言えばいいじゃない」
隆は答えなかった。しばらくして押し入れから箱を取りし、ボタンをのひらへ載せた。
静がそばへ座ると、隆は裏返したボタンを親指で撫でた。錆のには、鋭い属で引っかいたような細い傷があった。
「そののものなのね」
静の問いに、隆はさく頷いた。
妻には、本という戦友がいたことだけを話していた。しかし、何が起きたのか、なぜボタンだけが残ったのかは伝えていなかった。
「話したら、あいつがもう度ぬ気がするんだ」
隆は呟いた。
「言葉にしてしまえば、聞いたはかわいそうだったと言って終わる。だが、あいつのは、そんな言で終わるものじゃない」
静には夫の恐れが理解できなかった。話さずに抱えることが戦友を守ることなのか、それとも自分を守ることなのか、隆自にも分からなくなっているようだった。
広告
隆が本弘と会ったのは、昭19のだった。2は補充兵として同じ部隊へ配属され、方のさな島へ送られた。
隆は30歳で、京に両親と婚約者の静を残していた。本は27歳、の炭鉱町で育ったと話したが、空襲と病気で族を失い、帰る所はもうないと言っていた。
本はるい男ではなかった。それでも、誰かが落ち込んでいるには、乾いた冗談を言って笑わせた。配された事がい粥だけのには、「今は器の底までよく見える。洗うが省けるな」と言った。
隆は最初、その軽を真面目だとった。しかし、本が笑わなければ、周囲の兵士たちは恐怖と空腹に押しつぶされていた。
戦況が悪化すると、料や医薬品はほとんど届かなくなった。兵士たちは野やの根を煮てべ、を布でこしてんだ。傷病者が増えても、治療に使える薬はなかった。
隆はをした、本に助けられた。部隊が移する、歩けなくなった隆を本は背負い、何もをんだ。
「置いていけ。2とも遅れたら助からない」
「静さんにられるだろ。預かった男を途で捨ててきたなんて言えない」
隆は婚約者について何度も本へ話していた。京でさな縫製を伝い、戦争が終わったら夫婦で堂をきたいと考えている女性だった。
本はその話を聞くたび、静へ送るの文章を考えた。
広告
おすすめ作品
-
完結第10話
ラジオの涙
昭和26年、東京郊外の小さな家で、父は毎晩8時になると必ず古いラジオの前に座っていた。 家族が眠る時間になっても動かず、静かに放送へ耳を傾ける父の目には、いつも涙が浮かんでいた。 息子は、戦争で失った誰かを思い出しているのだと思っていた。 しかし、父が亡くなった後、押し入れの奥から見つかった一枚の古い紙が、家族の知らなかった過去を明らかにする。 終戦の日、小さなラジオを囲んだ兵士たち。 そこで父が感じた、決して忘れることのできない「ある瞬間」とは――。 一人の父が何十年も胸にしまい続けた、涙の本当の理由が今明かされる。昭和1.4萬字5 49 -
完結第10話
名前のない弁当箱
昭和28年、東京下町の小さな町工場に、毎月決まった日に名前のない弁当箱が届き始めた。 中には手作りの弁当だけ。差出人の名前も、手紙もない。 戦後の苦しい時代、社員たちを支え続けた社長・山本源一郎は、その弁当の送り主を知っているようだった。 しかし、何十年もの間、彼は決してその名前を明かそうとはしなかった。 なぜ誰かは、名乗ることなく弁当を届け続けたのか。 そして、その小さな弁当箱に込められていた、戦後から続く約束とは――。昭和1.5萬字5 70 -
完結第10話
忘れられなかった一つの名前
昭和32年、父・佐藤隆一は、古びた軍服のボタンを何十年も大切にしまっていた。 家族が「もう捨ててもいいのでは」と言っても、父は決して手放そうとしなかった。 しかし、父の死後、そのボタンの裏に刻まれた見知らぬ男の名前が、息子・健一の知らなかった過去を呼び起こす。 なぜ父は、一つの古いボタンを守り続けたのか。 そこには戦争の記憶ではなく、時代を越えて守られた、一人の青年との約束が隠されていた――。昭和1.5萬字5 327 -
完結第10話
焼け跡の花束
昭和22年、焼け跡が残る東京の街角で、毎朝誰にも知られず置かれる小さな花束があった。 野に咲く数本の花を、まだ幼い少年が古いレンガ壁の前にそっと置いていたのだ。 戦争で両親を失った少年を救ったのは、すべてを失いながらも一切れのパンを分けてくれた一人の女性だった。 それから何十年もの間、少年が守り続けた約束。 なぜ彼は、誰もいない焼け跡へ毎朝花を届け続けたのか。 戦後の混乱の中で生まれた、小さな優しさと忘れられない「ありがとう」の物語――。昭和1.5萬字5 1191 -
完結第11話
手書きの時刻表
昭和45年、山あいの小さな駅で、1人の駅員が30年以上大切に続けていた習慣があった。 田村修一が毎月作る手書きの時刻表には、列車の時間だけではなく、利用者一人ひとりの暮らしや小さな約束が記されていた。 若い駅員には古い習慣に見えたそのノート。しかし、雪の日に病院へ向かう老人を救った時、彼は初めて気づく。 それは単なる時刻表ではなく、町の人々の人生をつなぐ大切な記録だった。 やがて田村の定年の日、古いノートの中から見つかった一つの名前が、若い駅員の心を揺さぶる――。昭和1.6萬字5 634 -
完結第11話
最後の上映会
昭和49年、40年以上続いた小さな映画館「銀星座」が閉館した。 最後の上映を終え、静かに幕を閉じたはずの映画館に、翌週から毎週1本の古いフィルムが届き始める。 添えられていた紙には、ただ一言。 「今週も上映してください」 不思議に思いながら映写機を回した館主・山下清治が見たのは、映画ではなかった。 そこに映っていたのは、かつてこの町で暮らした人々の笑顔、失われた風景、そして誰も忘れていた大切な時間だった。 送り主はいったい誰なのか。 なぜ閉館した映画館へ、毎週フィルムを届けるのか。 一本の古い映像が、昭和の町に残された記憶を静かに呼び起こしていく――。昭和1.6萬字5 149 -
完結第10話
母が着続けた一枚の着物
昭和45年,母は20年以上もの間、同じ古い着物を着続けていた。 娘の美紀は、そんな母の姿をずっと「貧しいから我慢しているだけ」だと思っていた。正月も、結婚式の日も、新しい着物を選ばず、何度も直した一枚を大切にしていた母。 しかし、母が亡くなった後、古い着物の内側から見つかった小さな刺繍が、美紀の知らなかった過去を呼び起こす。 なぜ母は、その着物を何十年も手放さなかったのか。 そこには、戦後の苦しい時代を生きた女性たちの、忘れられない約束が隠されていた――。昭和1.5萬字5 1687 -
完結第10話
白いハンカチの約束
昭和47年、東京郊外の団地。 3号棟の4階に住む老夫婦は、毎朝7時になると、ベランダに真っ白なハンカチを一枚だけ出していた。 洗濯物を干さない日も、雨が降りそうな日も、そのハンカチだけは必ず揺れている。近所の子どもたちは不思議がり、「誰かへの合図ではないか」と噂した。 けれど、その白い布を毎朝じっと見つめていたのは、向かいの棟で一人暮らしをする老女だった。 ある冬の朝、いつもの時間になっても白いハンカチが出なかった。 ただそれだけの異変に、老女は胸騒ぎを覚え、急いで部屋を飛び出す。 電話もない時代、近すぎず、遠すぎず、互いの暮らしをそっと見守っていた人たち。 一枚の白いハンカチに込められていた、昭和の団地の小さな約束の物語。昭和1.4萬字5 896 -
完結第10話
赤いバイクと最後の新聞
昭和50年、岐阜県の山あいに、全校児童がわずか3人だけの小さな分校があった。 給食もなく、冬は石油ストーブを囲んで授業を受けるような古い木造校舎。そんな子どもたちが毎朝楽しみにしていたのは、山の外の世界を伝えてくれる一部の新聞だった。 ところが、その分校は翌年3月で閉校することが決まる。教材も雑誌も次々と止まり、子ども新聞の購読も打ち切られた。 それでも、59歳の郵便配達員・田所信一は、雪の山道を越えて毎朝新聞を届け続けた。 誰も頼んでいない。もう学校も終わる。たった3人の子どものために、なぜそこまでするのか。 分校最後の日、子どもたちは初めて知ることになる。 田所が守ろうとしていたのは、新聞そのものではなかった――。昭和1.5萬字5 286 -
完結第11話
余ったパンの嘘
昭和43年、東京近郊の古い木造小学校。 5年生の担任・村上昭一には、子どもたちが気になって仕方ない習慣があった。給食の時間になると、牛乳とおかずは食べるのに、コッペパンだけは毎日ほとんど口にしない。そしてそれを紙に包み、古びた革鞄の中へそっとしまうのだ。 「先生、今日も持って帰るの?」 子どもたちが尋ねても、村上はただ「腹いっぱいなんだよ」と笑うだけだった。 けれど、毎日続くその行動には、誰にも言えない理由があった。 ある放課後、どうしても気になった3人の男子は、先生の後をつけることにする。黒い自転車で工場町を抜け、川沿いの砂利道を進んだ先にあったのは、河川敷に建つ小さな家だった。 そこで子どもたちは、先生がなぜ「余った」と言い続けていたのかを知る。 1本のコッペパンに込められていたのは、ただの親切ではなかった。相手の誇りまで守ろうとした、静かな優しさだった。昭和1.6萬字5 1147