"開けなかった手紙" 第1話
昭49の、瀬戸内に浮かぶ波島には、もう12世帯しか暮らしていなかった。
戦、この島には300いがんでいたという。の斜面には垣で築いた段々畑が広がり、麦やみかんを育てるがかった。男たちは沖へて鯛や蛸を獲り、女たちは畑とをき来しながら暮らしていた。
港のそばには雑貨が2軒あり、醤油も鹸も乾池も島ので買えた。学の運会になると、子どものいないまで箱を持って庭へ集まり、昼休みには老も若者も同じで弁当を広げたものだった。
しかし度経済成が始まると、その暮らしはしずつ崩れていった。
学を卒業した若者たちは、阪や神戸のへ集団就職で渡っていった。最初は「何か働いたら島へ戻る」と話していた者も、町で結婚し、子どもがまれ、気づけば波島に帰るのは盆と正だけになっていた。
子どもの数は目に見えて減った。
昭46、学が閉した。最の卒業を送りした造舎は、黒板も机も運びされないまま、港を見ろす斜面に残された。
翌には診療所も閉じた。
医者に診てもらうには、本までで渡らなければならない。腰のった老にとって、それは買い物以にきな負担だった。
そして昭49の、また2族が島をれることになった。
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「うちも息子のところへくよ。もう畑だけ守っても仕方ない」
港でそう言ったのは、70歳を過ぎた松田夫婦だった。
2とも波島でまれ、半世紀く同じで暮らしていた。それでも妻の膝が悪くなり、に度の通院さえ苦労するようになると、神戸にいる男の申しを断れなくなった。
へ積まれた柳李を見ながら、松田の妻は何度も坂のを振り返った。
「、空けたままでええんかな」
「誰もまんなんて、もう珍しくもない」
夫はそう答えたが、その声には力がなかった。
が港をれたあと、波島に残るは10軒になった。
夕方になると、以なら斜面に並んでいた灯りのに、黒い空きが目つようになった。のい夜には、誰もんでいないの戸が勝に鳴った。
それでも毎朝920分になると、本からさな渡しがやって来た。
そのから、必ずりる男がいた。
郵便配達員の正吉、53歳。
の褪せた子をかぶり、黒い郵便鞄を肩からげている。が桟に着くと、自転をろし、港から続く坂を軒ずつ回った。
聞、の通、役からの類、都会へた子どもたちからの。には菓子や類の入った包もあった。
島民が減っても、正吉の仕事の仕方だけは変わらなかった。
「さん、今は何かあるか?」
坂の途で老が声をかける。
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「聞と、神戸から葉が1枚」
「孫か?」
「そこまではらんよ。郵便はまで読まん」
そう言って渡すと、老は嬉しそうに葉を裏返した。
正吉はまた自転を押し、次のへ向かった。
波島には平らながない。若い頃なら自転に乗ったままれた坂も、53歳になった今では途から押すことが増えていた。
それでも毎来た。
渡しを操っていた26歳の員・良平は、以からそのことを議にっていた。
ある朝、島へ着くし、良平は操舵からて正吉の鞄を見た。どう見ても、今はして入っていない。
「さん」
「ん?」
「今、何通あるんです?」
「数えるほどだ」
良平は苦笑した。
「それでも毎来るんですね」
正吉は顔をげた。
「来るよ」
「いや、そうじゃなくて。もう10軒でしょう。毎、全員に郵便があるわけでもないのに」
正吉はしばらく港を見ていた。
やがて鞄のを閉じ、自転のハンドルを握った。
「まだ1軒あるからな」
「1軒?」
「毎週、必ずが来るがある」
が桟に触れ、さく揺れた。
正吉はそれ以説せず、自転とともに島へりた。
閉した学のを通り、誰もまなくなった々の脇を抜け、い坂をさらにっていく。
その先。
島で番い所に、古い瓦根のが1軒あった。
そこに暮らしているのが、崎源次郎だった。
崎源次郎は74歳だった。
妻を7にくし、それからずっと1で暮らしている。3の子どもは全員、島をれていた。
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