"知らない家族が守った家" 第2話
女はくをげた。
「はい。分かっています」
「分かっているのに、なぜまだんでいるんです」
忠雄は庭を指した。
「洗濯物まで干して、普通に暮らしているじゃないですか」
「あなた」
ろから澄子がさく止めた。
「まず事を聞きましょう」
「何の事だ」
忠雄は振り返った。
「俺たちは7待ったんだぞ」
浩も千恵も黙って父を見ていた。
忠雄には、その線さえ腹たしかった。
自分は違ったことを言っていない。ここは父から受け継いだ杉浦のであり、ようやく正式に返還されたのだ。
女はしばらく俯いたあと、静かに言った。
「週だけ、待っていただけませんか」
「週?」
「子どもがおります。今、める部を探しています」
「うちにも子どもがいる」
忠雄は即座に答えた。
「私たちも今からむつもりで戻ってきたんです」
女は何も言えなくなった。
――正と呼ばれた子は、母親の割烹着の裾を握っている。その姿を見ても、忠雄の気持ちは変わらなかった。
気の毒かどうかと、を返すかどうかは別の話だった。
「には荷物を全部運び込みます」
忠雄は言った。
「それまでにていってください」
そのの午、忠雄は初めて、女の名が美津だとった。
そして杉浦がいなかった7の、このにもまた別の7があったのだということを、嫌でも聞かされることになった。
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美津の夫・健は、戦にさな貿易会社へ勤めていた。
英語が流暢だったわけではない。それでも簡単な会話ならできたため、終戦、このへ入りしていた駐軍関係者の伝いをする仕事にありついたのだという。
当、美津たちはくの焼け残ったで暮らしていた。
族に部というような状態で、廊にはらないの鍋や桶が並び、子どもが泣けば壁越しに全部聞こえた。健はこのの掃除や荷物運び、簡単な修繕まで頼まれるようになり、そのうち管理を伝う条件でれのを使うことを許された。
「誰に許されたんです」
忠雄が尋ねると、美津は困ったように首を振った。
「きちんとした面はありません」
忠雄はで息を吐いた。
「だったら、勝にんでいるのと同じじゃないですか」
美津は反論しなかった。
駐軍関係者がほとんどを使わなくなったあと、は母の部も使うようになったという。健はそのまま建物の入れを続けていたが、のに病気で倒れ、そのままくなった。
美津は縫い物の内職での子を育てていた。
む所を探してはいる。しかし、戦の宅がまだ続く京で、幼い子どもを抱えた母子庭へ簡単に部を貸してくれる主はいなかった。
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「保証がいないと駄目だと言われます」
「それはうちには関係ありません」
忠雄は言った。
言いながら、自分の声がずいぶんたく聞こえることには気づいていた。
だが、ここでけをかければ、いつていくのか分からなくなる。
7、自分は待った。
これ以は待てない。
ところが、そのの夕方になって別の問題が起きた。
杉浦にも、その晩泊まる所がなかったのだ。
接収解除のから当然自宅へ戻れるものとい、旅館も宅も配していなかった。忠雄は「どこか宿を探す」と言ったが、夕方にはたいがまり、野からの旅で千恵は今にも眠ってしまいそうだった。
美津が慮がちに言った。
「今夜だけでも、お使いください」
忠雄はすぐには返事をしなかった。
自分のなのに「使ってください」と言われることが、ひどく屈辱にじられた。
それでも澄子の疲れた顔と、荷物のへ座り込んだ千恵を見ると、を張ることもできない。
結局、杉浦は階を使い、は階で眠ることになった。
同じ根のに、主と、主ではない族が暮らす。
その最初の夜、忠雄はほとんど眠れなかった。
畳へ横になると、階からさな音が聞こえた。を汲む音、障子を閉める音、美津が子どもへ「もう寝なさい」と言う声まで、まるでらないのへ泊まりに来たように響いた。
隣で澄子がさな声で言った。
「変ね」
「何が」
「ここ、私たちのなのに」
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