"3年間隠していた清掃員の母に、院長が頭を下げた" 第1話
そのは、俺の母です
「血圧が70台までがっています。ベルナールさん、聞こえますか」
護師の野瑞希が患者の肩に触れた。つい先ほどまで通訳と話していた男性が、汗に濡れた額を枕に沈めている。俺は呼びかけに対する反応を確かめながら、応援を請した。
夕方の5を過ぎた相模医科学附属病院で、特別病の空気が変していた。
患者は71歳のアレクサンドル・ベルナール。フランスで医療支援の財団を率いる物で、来に胸から背にかけての痛みを訴え、循環器内科に入院したばかりだった。
「急性冠症候群を疑ってめる。原田、エコーの所見は」
症例の取りまとめ役である黒瀬亮介に聞かれ、俺は画面を見直した。しかし、今見えている臓のきだけでは、この急激な血圧を説しきれない。
「お腹の古い術痕……。その奥で、血しているんじゃありませんか」
母の声だった。入の清掃カートの脇にち、病へ目を向けていた。診察のためにかれた患者のから、腹部をるい傷痕が見えていた。
「昔、きな血管の術を受けているかもしれません。急いで確認を」
「清掃の方はがってください。今は医師が対応しています」
黒瀬が言い切ると、母は通を空けた。それでも患者の顔から目をさず、袋をした指を静かに握っていた。
広告
俺は母を見た。68歳の原田澄。3から、この病院の清掃をしている。
同じ朝、来棟で母に声をかけられたとき、俺は聞こえないふりをした。隣に黒瀬がいたからだ。母はすぐに察し、持っていた布を折り直して壁際に寄った。34歳にもなった息子のそんな態度を、母は度も責めたことがなかった。
「原田、集してくれ」
黒瀬の声で線を戻した。患者は腹のあたりを押さえ、うまく言葉にならない息を漏らしている。通訳がを寄せると、背の痛みがくなったと伝えてくれた。
入院の聞き取りには、で腹部の術を受けたという記載があった。詳しい術式はで、資料はから取り寄せる予定になっていた。
戻ってきた採血結果をく。ヘモグロビンはの採血から約2g/dLがっていた。数値だけで血と決められないが、無していい変化ではなかった。
「腹部の血も調べたいです。血管科に連絡します」
「そのの話に引っ張られるな。医学の識があるわけでもない」
俺は話を取るを止めずに答えた。「臓の所見と血圧がいません。腹部術の既往もあります。別の原因を並して探すべきです」
瑞希がしい検査結果を印刷し、俺の横に置いた。母に向かっても、「こちらなら搬送の邪魔になりません」と、入の脇を示していた。
広告
黒瀬はさく息を吐き、俺の顔を見た。「りいなのか。さっきから、ずいぶん肩を持つな」
母が先にをこうとした。いつものようにのふりをして、俺を困らせないようにするつもりだと分かった。
今朝の廊が浮かんだ。折り直された布と、壁際に寄った肩。その姿を、また見なかったことにするのか。
「そのは、俺の母です」
入につ母の目を見て、俺は言葉を続けた。「さっきの話、もうし聞かせて。昔の術のことで、何か気づいたんだね」
母は度だけ頷いた。「今は、血管を診られる先を呼んで。私のい違いなら、それでいいから」
俺は血管科へ状態を伝え、腹部術歴と母の指摘も申し送った。瑞希はその点の症状と連絡内容を記録していた。
院の久正臣が駆けつけたのは、それからもなくだった。対応を続けるスタッフので報告を聞いていた院が、入の母へ目を向ける。
「原田君のお母様というのは……」
「原田澄です」
その名を聞くと、院はにしていた資料を閉じた。
「澄先が、ここに?」
広告
おすすめ作品
-
完結第20話
同じ部署の社員が月30万〜50万円もらう中、私の月給だけは18万円だった
44歳の水野は、同じ開発部の正社員が月30万〜50万円を受け取る中、4年間ずっと月給18万円の契約社員として働いてきた。肩書は「技術補助員」だが、最大顧客のシステム保守や障害対応、大型更新まで実務の中心を任されている。それでも契約満了の日、人事から差し出された更新書類には、また同じ18万円の数字が並んでいた。「代わりはいくらでもいる。ほかに行く当てがないなら署名したほうがいい」。水野はペンを取らず、待遇差の説明を求める書面だけを提出する。そして午後4時、会社が用意した18万円の契約書ではなく、鞄に隠していた“もう1通の書類”を机の上へ置く――。職場逆転2.6万字5 5282 -
完結第12話
靴磨きの少年と会長の時計
有楽町の高架下で靴を磨く18歳の佐藤蓮には、他人には聞こえない微かな機械音を聞き分ける力があった。ある日、常連客である東都ホールディングス会長・田中健三の腕時計から、機械式時計には存在しない電子音を聞き取る。留め具から現れたのは、米粒ほどの盗聴器だった。会長に請われて本社へ入った蓮は、次々と情報漏洩を防ぐが、やがて産業スパイに仕立て上げられる。300万円の入金、深夜の入館記録、捏造写真。会社だけでなく帰る場所まで奪われた少年は、古い靴箱に残した証拠を抱え、会長を追い落とそうとする陰謀に立ち向かう。職場逆転|人生逆転1.7万字5 644 -
完結第16話
26人が去った屋敷――会長の息子は、貧しい家政婦の腕で泣きやんだ
弟の治療を支えるため、住み込みの家政婦になった篠原さやか。勤務3日目、泣きじゃくる会長の息子を抱き上げ、母に教わった子守歌を歌う。泣き声が途切れ、使用人たちは手を止めた。そこは18か月で26人の育児担当者が去った屋敷だった。妻を亡くした会長・相馬匠は、息子を落ち着かせた彼女にさえ冷たい言葉を向ける。それでも日々の変化を書き留めるうち、親子との距離は縮まり始める。だが、待っていたのは使用人の嫉妬と、身分を理由にした侮辱、そして弟の病を利用した金銭疑惑だった。さやかは記録を手に、偽りの言葉に立ち向かう。会長が守りたいのは、息子をあやす家政婦か。それとも、さやかという一人の女性か。職場逆転2.2万字5 0 -
完結第14話
「お前は下がれ」白衣を脱いで5年、俺が社長令嬢を救った
東大医学部を首席で卒業した遠藤誠は、38歳の元心臓血管外科医。5年前の手術をきっかけに病院を辞め、今は過去を伏せて工場で働いている。ある日、視察に訪れた28歳の社長令嬢・沢美咲が倒れた。医師は過労と判断し、工場長は誠に下がれと命じる。しかし、発熱と低血圧、鈍くなる反応を見た誠は、制止を振り切って救急要請を続ける。その場にいた医師は、誠を追い詰めた元上司だった。搬送先で隠していた経歴が明かされる一方、美咲は5年前の患者の名前を口にする。さらに、廃棄されたはずの機器に返却記録が見つかり、誠は再び過去と向き合うことに。あの日、本当に判断を誤ったのは誰だったのか。奪われた名誉を取り戻す、元外科医の逆転劇。職場逆転2.0万字5 377 -
完結第11話
院長が頭を下げた看護師の妻
VIP患者が急変した救急処置室で、院長が深く頭を下げた。相手は、医師の俺ではなく看護師の妻・奈々だった。見合い結婚から3年。同僚が妻の外見を笑っても、俺はかばわずに通り過ぎた。だが、声が飛び交う現場で必要な情報を集め、救命の連携を支えたのは彼女だった。俺が知ろうとしなかった、看護師としての21年。「院長の知り合いだから」と片づけようとする同僚を前に、俺は初めて妻の仕事を自分の言葉で語る。その後、院長は奈々を旧姓で呼び、15年前の搬送記録を取り出した。なぜ、あの院長が妻に頭を下げたのか。答えにつながる患者の名前が、古い紙の上に残っていた。職場逆転1.5万字5 225 -
完結第10話
月8万円の町工場社長
俺は34歳の町工場社長。 肩書だけなら立派だが、役員報酬は月8万円。工場を守るために作った800万円の借金まで抱えていた。 そんな俺に、大手機械メーカー・白石精機の社長令嬢との見合い話が舞い込んだ。断られるつもりで貯金もないと正直に話したのに、琴子さんは微笑んだ。 「三浦さん。あなた、合格です」 ところが数日後、白石精機の幹部が工場へ現れた。琴子さんとの関係を断てば、年間数千万円の仕事を回すという。 工場には、治療を続ける妻を持つ職人も、子どもの学費を抱える社員もいる。断れば皆の生活に影響する条件だった。 さらに白石精機から、他社がすべて断った緊急部品の依頼が届く。材料は15本、必要数は12個。しかし6本を加工した時点で、合格品は一つもなかった。 残り9本では、どう計算しても足りない。 追い詰められた俺が開いたのは、亡き父の黒いノートだった。その中には22年前、まったく同じ部品を削った記録が残されていた――。職場逆転|人生逆転1.6万字5 793 -
完結第19話
1800円の御膳が1万8000円になった日――覆面社長が見つけたホテルの嘘
全国18店舗を経営するホテル会社の社長・高瀬直人は、相次ぐ不審な苦情を確かめるため、一般客を装って地方店を訪れた。注文した1800円の炊き込みご飯御膳に提示された会計は、10倍の1万8000円。さらに72歳の女性も、3000円の料理代として3万円を脅し取られてしまう。直人が録音と2枚の領収書を確保すると、削除された503件の苦情、36件の架空請求、そして支配人が差し出した500万円の封筒が浮かび上がる。服装で客を選び、ホテルを金を奪う罠へ変えたのは誰なのか。職場逆転2.5万字5 3527 -
完結第13話
「異物が入ってる!」老舗そば屋を潰した“32秒の嘘”
東京・深川で「柚香庵」を30年間守ってきた72歳の高瀬澄子。ある日、5人組の客から「そばに異物が入っている」と怒鳴られるが、正体は自家製の柚子薬味に残った種だった。ところが、男たちの目的は食事ではない。1億2000万円相当の土地を1800万円で奪うため、1分41秒の映像を32秒に切り、店主が異物混入を笑ってごまかしたように拡散したのだ。店の評価はわずか2時間で4.7から2.1へ。さらに保健所へ金属片の写真が届き、午前2時17分、閉店後の裏口に人影が現れる。30年分の信用を奪われかけた澄子は、孫とともに記録を残し始めた。職場逆転|金銭問題1.8万字5 620 -
完結第6話
会長、腕時計に盗聴器があります!
有楽町の高架下で靴を磨く18歳の佐藤蓮には、他人には聞こえない微かな機械音を聞き分ける力があった。ある日、常連客である東都ホールディングス会長・田中健三の腕時計から、機械式時計には存在しない電子音を聞き取る。留め具から現れたのは、米粒ほどの盗聴器だった。会長に請われて本社へ入った蓮は、次々と情報漏洩を防ぐが、やがて産業スパイに仕立て上げられる。300万円の入金、深夜の入館記録、捏造写真。会社だけでなく帰る場所まで奪われた少年は、古い靴箱に残した証拠を抱え、会長を追い落とそうとする陰謀に立ち向かう。職場逆転9.0千字5 218 -
完結第5話
「中卒は留守番してろ」と空港に置き去りにされた私
中卒ながら独学で資格を取り、旅行会社に中途入社した22歳の天野澪。現場経験を生かして難航していた企画を救っても、学歴を嘲る竹内部長に成果を奪われ続けていた。やがて澪は、予約困難な老舗旅館・天祥館の視察枠を獲得する。ところが出発前夜、竹内は部下を脅し、澪の航空券だけを密かに取り消した。羽田空港に1人残された澪へ届いたのは、「中卒は留守番してろ」というLINE。事情を知らず天祥館へ着いた同僚たちを待っていたのは、チェックインを認めない女将だった。なぜ女将は、不在の新人を待つのか。そして澪が保存した操作履歴と録音は、竹内の嘘をどこまで暴くのか。職場逆転8.1千字5 1948