"十四歳で板前奉公へ――少年が料理人になるまで" 第5話
を残しすぎた。
腹側もし崩した。
寅吉の顔を見る。
鳴られるとった。
だが寅吉は、無駄になりそうなをつずつ拾った。
「この魚な」
い声だった。
「今朝までにいた」
正は黙った。
「獲った漁師がいて、運んだがいて、を払ってう客がいる」
無駄になったを皿へ集める。
「包丁が使えるだけじゃ板じゃない」
正は自分の元を見た。
これまでは、
く切りたい。
褒められたい。
く先輩に追いつきたい。
そればかり考えていた。
魚の向こう側に誰かがいる。
そのことを初めて識した。
それから、材料を見る目が変わった。
根本でも、使える部分をなるべく残す。
魚の骨から取れるものもある。
余った野菜で賄いを作る。
正がそれを始めると、女将が笑った。
「親方に似てきたね」
「嫌です」
正が即答すると、寅吉が奥から鳴った。
「聞こえてるぞ!」
皆が笑った。
松乃で初めて、正も声をして笑った。
それから数か。
寅吉はさな鍋をつ、正のへ置いた。
「今夜の鉢、おがを決めろ」
「全部ですか」
「嫌なら竜次に戻す」
「やります」
を見た。
い。
し調料をす。
今度はい。
汁で戻す。
何度も迷った。
やがて皿へ盛られ、座敷へ運ばれた。
正は簾のから戻ってくる皿を待った。
残っていたら失敗だ。
なかなか戻ってこない。
胸が苦しくなる。
広告
やがて座敷から、配の客の声が聞こえた。
「今のこれ、うまいな」
正の体が固まった。
客は誰が作ったのからない。
ただ何気なく言っただけだった。
それでも、
正には涯忘れられない言になった。
夜。
片づけを終えると、寅吉が言った。
「も、おがやれ」
褒めたのは、それだけだった。
正は包丁を洗いながら、初めてった。
自分はもう、
が貧しかったから料理にいるだけではない。
もっとくなりたい。
も作りたい。
誰かに、
「うまい」
と言わせたい。
その気持ちは、
父にも、
の借にも、
誰にも命令されたものではなかった。
歳になった。
正はぶりに里帰りを許された。
汽をりた瞬、湿ったとの匂いがした。
見慣れた。
川。
端の蔵。
歳のにはきく見えた駅舎が、驚くほどさい。
の戸をける。
母がてきた。
瞬、誰か分からないような顔をした。
「正?」
「ただいま」
母は目を細めた。
「きくなったね」
弟や妹が集まってくる。
背が伸びている。
末の千代も、咳をほとんどしなくなっていた。
父は夕方まで畑にいた。
戻ってきた源蔵は、正を見ると、
「し板らしくなったか」
とだけ言った。
「まだっ端だよ」
「そうか」
会話はそれで終わった。
その晩。
正は族のために煮物を作った。
慣れないの包丁は刃が鈍かった。
広告
鍋もとは違う。
それでも汁を取り、をえた。
母がべる。
しばらく黙る。
正は緊張した。
「うまい」
母が言った。
「こんなもの作れるようになったんだね」
弟たちも箸を伸ばした。
あっというに鍋が空になる。
正は板で客に褒められたより、胸がくなった。
父は最まで何も言わなかった。
だが翌朝。
鍋の底まできれいにべられていた。
のを歩いていると、昔の同級と会った。
学を着ていた。
「正!」
友は町の学へ通っているという。
授業。
簿記。
数学。
来の試験。
話を聞きながら、正は眩しくじた。
もしがもうし裕福だったら。
もしあの、父が違う選択をしていたら。
自分もこのを着ていたかもしれない。
「お、料理どう?」
友が聞いた。
正はし考えた。
「忙しい」
「辞めたい?」
昔なら、
「帰りたい」
と答えたかもしれない。
正は首を振った。
「今は、そうでもない」
自分で言って驚いた。
その夜。
父とで縁側に座った。
源蔵が煙管へをつける。
「学の友達に会った」
正が言った。
「ああ」
「まだ通ってた」
父は黙った。
「俺も、本当はきたかった」
初めて真正面から言った。
源蔵は煙を吐いた。
「ってる」
「だったら何で」
「かせられなかった」
「それは分かってる」
正は父を見る。
「でも、勝に決められたことは、まだ腹がってる」
い沈黙。
源蔵は煙管を置いた。
「そうだろうな」
正は驚いた。
父が認めるとはわなかった。
「父さん」
「正」
源蔵は庭を見たまま言った。
「おを学にやれなかったこと、忘れたはない」
広告
おすすめ作品
-
完結第18話
喫茶ひばりの百円玉
昭和54年。商店街で二十年続く「喫茶ひばり」に、店主の律子は流行のテーブル型ゲーム機を四台置いた。百円玉が次々と入り、売上は急増。ところが、毎日のように通っていた常連客が、一人また一人と姿を消していく。子どもの遊びすぎに怒る保護者、ゲームを目の敵にする商店街会長、すっかりゲームに夢中の夫。店を守るための決断が、思わぬ騒ぎを引き起こしてしまう。しかも、ゲームを厳しく批判する会長には、誰にも知られたくない秘密があって……。昭和のゲームブームに揺れる、小さな喫茶店の人情喜劇。時代|歴史|昭和2.7万字5 77 -
完結第14話
昭和35年、高校を諦め祇園へ渡った15歳の少女
昭和35年、京都・丹後の貧しい農家に生まれた15歳の文代は、家族の暮らしを助けるため、高校進学を諦めて祇園の置屋へ奉公に出る。美しい舞妓への憧れを胸に飛び込んだ世界で待っていたのは、早朝からの雑用、厳しい言葉遣いの指導、足に血がにじむほどの芸の稽古だった。先輩芸妓に助けられながら修行を重ね、やがて「市春」という名を授かった文代。しかし、初めてのお座敷で目にしたのは、華やかな着物の裏に隠された大人の世界だった。故郷の家族を思いながら、少女は厳しい花街で自分の道を切り開こうとする。時代|歴史|昭和|夫婦1.9万字5 133 -
完結第12話
写真のない履歴書
昭和26年、家計を支えるため銀座の店で働いていた私は、新聞で「エアガール募集」の広告を見つけた。ところが応募の締め切り当日、履歴書に貼る写真がまだできていなかった。思い切って事務所へ駆け込んだ私を待っていたのは、想像もしなかった新しい世界だった。飛行機に乗った経験もない15人の女性たちが、手本となる先輩もいないなか、歩き方や接客を一から学び始める。戦後間もない日本で、家族のために選んだ仕事が、一人の女性の人生を大きく変えていく。職場逆転|時代|歴史|昭和1.2万字5 134 -
完結第10話
受話器の向こうの春
昭和19年、神戸。幼いころに母と弟妹を亡くし、親戚の家を転々としてきた15歳のハルは、自分の力で生きるため、電話交換手を目指す。厳しい試験と訓練を乗り越え、ようやく手にした仕事。失敗ばかりの日々も、優しい先輩や仲間たちに支えられ、ハルは初めて自分の居場所を見つけていく。受話器の向こうには、家族を思う声、助けを求める声、遠い街で働く仲間の声があった。しかし戦況が悪化するにつれ、つながらない回線が増え始める。戦火が迫る神戸で、少女が守ろうとしたものとは――。時代|歴史|昭和1.5万字5 174