"昭和41年、集団就職の少年が一年ぶりに帰った故郷" 第1話
昭413、野をた列がへ向かうにつれて、窓のから京の建物がしずつ消えていった。のや宅の根がざかり、その代わりに枯れの田畑と、まだところどころにを残したが見え始める。正は窓際の席に肩を寄せ、膝のに置いた茶い鞄から何度目か分からないほど母のを取りした。
歳になったばかりの正が、形県部のさな農をれて京へたのは、ちょうどのことだった。学を卒業するとすぐ、同じ町から集団就職する女たちと緒に列へ乗り、京都田区にある属部品へ入った。あの、正が持っていたのは着替えを詰めた鞄としの現、それから母が握らせてくれた梅干しのおにぎりだけだった。
の今、同じ鞄のには族への産が入っている。母には紺の拭い、父には煙、歳の妹・子には赤い飾り、歳の弟・健には京の菓子を選んだ。価なものではなかったが、すべて自分がで働いて得たで買ったものだった。
の仕事帰り、正は商の棚のでいこと迷っていた。拭い枚を選ぶだけなのに、母がぶ柄はどれだろうと考えているうち、気づけばの主が横にっていた。
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「里帰りかい」
「はい」
「母ちゃんへの産?」
正はし照れて、「族みんなにです」と答えた。
主は正の学ではないな背広と、ところどころ油の染みたを見たあと、「自分で稼いだか」と尋ねた。正が頷くと、主はそれ以何も聞かず、つつの商品を丁寧な包みにしてくれた。
「それは、いいことだ」
その言が、どういうわけか正の胸に残った。
初めて料袋を受け取った、正はそのからに送る分を取り分けた。残ったを何かか貯め、自分のために買ったのが首の腕計だった。故郷をる朝には持っていなかった計の秒針が、今は規則正しく文字盤のを回っている。
自分はもう、あの頃の学ではない。
そうえばし誇らしかった。
ところが故郷がづくにつれ、その誇らしさとは反対のが胸の奥に広がっていた。あれほど帰りたかったであり、何度もに見た母の顔なのに、実際に会うがづくほど落ち着かなくなる。何を話せばいいのか、どんな顔をすればいいのか、自分でも分からなかった。
正はもう度、母から来たをいた。
《正へ。休みが取れたと聞いてしました。みんな元気にしています。もだいぶ解けました。帰ってくるは駅まで迎えにきます》
そこまでは、いつもの母の字だった。
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しかし最に、しを空けるようにだけきされていた。
《父さんのことは、帰ってから話します》
正はそのを、この週で何回も読み返していた。
父に何があったのか。
にはそれ以かれていない。正がすぐに返事をして尋ねても、帰省までにちがなかったため、もう返事は届かなかった。
窓ガラスに映る自分の顔が、以より細くなっていることに気づいた。歳で故郷をたにはまだ頬に丸みがあったが、でのでし骨張ってきた。毎朝半に起き、寮の堂で飯をかき込み、半にはへ入り、械油の匂いので夕方までち続ける活が、その顔を作ったのだろう。
内には正と同じように、久しぶりの故郷へ向かう若者が何もいた。きな袋を抱えた青もいれば、京で買ったらしい鮮やかなのを着た女もいる。誰もが浮きっているように見えるのに、正だけは何度も母のを折り直していた。
やがて列が速度を落とし始めた。
窓のに、見覚えのあるの形が現れる。
、何度ものにい浮かべた景だった。
その、正はふと気づいた。
、京へ向かう列のでは、故郷が見えなくなるまで窓に額をつけていた。
今は反対だった。
故郷がづいてくるのが、し怖かった。
そしてホームへ滑り込む直、正は母のの最のをもう度見た。
《父さんのことは、帰ってから話します》
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