"昭和41年、集団就職の少年が一年ぶりに帰った故郷" 第5話
は照れ臭そうに笑った。
隆夫の部には、正が見慣れない教科が積まれていた。英語の教科、数学の参考、化学の資料集。正は何となく冊に取り、ページをめくった。
らない記号が並んでいる。
「こんなの分かるのか」
「半分くらいな」
隆夫は笑った。
正も笑ったが、胸の奥にさな痛みがあった。
もし自分がへんでいたら。
この、毎の旋盤や部品と向きう代わりに、こういう本をいていたのだろうか。
制を着て自転で学へ向かう自分の姿を像してみた。
議なことに、はっきりとは浮かばなかった。
「京、どうだ」
隆夫が尋ねた。
「がい」
「それだけかよ」
「もい。もでかい」
「料いくらだ?」
正はし笑って、「お、そこ聞くのか」と返した。
隆夫は机に肘をつき、正の首を見た。
「その計、自分で買ったんだろ」
「まあな」
「すげえな」
その言葉に、正は昨までなら素直に嬉しくなっていたはずだった。
だが今は違った。
「健がさ」
正は腕計の文字盤を親指でこすった。
「来、就職するって言ってる」
「弟が?」
「くって言ってたのに」
隆夫はし考えた。
「おじさんののせいか」
「ってたのか」
「町じゃみんなってるよ」
正は顔をげた。
自分だけがらなかった。
京の寮で母から届くを読み、「みんな元気」
広告
といてある言葉をそのまま信じていた。その、故郷では父が怪をし、所のたちはそのことをり、弟はを変えようとしていた。
「おんとこの健、いいだろ」
隆夫が言った。
「先もかせたいって言ってたぞ」
「でもが……」
「うちだって余裕なんかないよ」
隆夫は笑わなかった。
「俺、聞配ってるんだ」
「聞?」
「朝だけ。父ちゃんが全部せないから」
初めて聞いた話だった。
へめば、何もせず勉だけしていられるわけではない。
正は当たりのことに今さら気づいた。
「それでもきたかったのか」
「きたかった」
隆夫は即答した。
「でも、おが羨ましいもあるぞ」
「俺が?」
「自分で料もらって、京で暮らしてるだろ。俺なんかまだから飯わせてもらってる」
のにし沈黙が落ちた。
どちらが正しいわけでもない。
どちらが派ということでもない。
ただ歳の、分かれたをずつ歩いてきただけだった。
をたあと、は昔の通学をし歩いた。
端の蔵も、駄菓子も、田んぼの脇の川も変わっていない。
「なんか、おになったな」
別れで隆夫が言った。
正は苦笑した。
「おもだろ」
けれど、その言葉が本当なのか自分では分からなかった。
になるというのは、料をもらうことなのか。
へ仕送りすることなのか。
広告
それとも、自分で選ばなければならないことが増えることなのか。
へ戻る途、正は学のを通った。
庭から徒たちの声が聞こえる。
そのに、までの自分がいるような気がした。
そして同に、来そこをていく弟の姿も浮かんだ。
目の朝、まだ空が暗いうちに、物置の戸がく音で正は目を覚ました。
窓からを見ると、父が杖をつきながら農具をしている。医者に無理をするなと言われているはずなのに、源蔵は鍬を本肩へ担ごうとしていた。
正は急いで着替え、へた。
「何してるんだよ」
「畑だ」
「俺がやる」
「おは休みに帰ってきたんだろ」
「だからって父ちゃんがやることないだろ」
正が鍬を取りげると、父はし満そうな顔をした。
結局、で畑へ向かった。
朝のはまだ固く、ところどころいが残っている。正は昔何度も伝った畑の真んにち、鍬を振りろした。
「浅い」
父が言った。
「もっと入れろ」
「分かってるよ」
「分かってねえから言ってる」
京へくと何も変わらない。
正はし腹をてながら、もう度鍬を振った。
ところが以より楽だった。
、属の材料箱や部品を運び続けた腕に力がついている。かったはずの鍬が、今はになじんだ。
しばらくすると、父が何も言わなくなった。
正が振り返ると、源蔵は畑の端にち、息子のきを見ていた。
「何だよ」
「別に」
父は目をそらした。
休憩になると、源蔵は筒から茶を注ぎ、正へ渡した。
広告
おすすめ作品
-
完結第18話
喫茶ひばりの百円玉
昭和54年。商店街で二十年続く「喫茶ひばり」に、店主の律子は流行のテーブル型ゲーム機を四台置いた。百円玉が次々と入り、売上は急増。ところが、毎日のように通っていた常連客が、一人また一人と姿を消していく。子どもの遊びすぎに怒る保護者、ゲームを目の敵にする商店街会長、すっかりゲームに夢中の夫。店を守るための決断が、思わぬ騒ぎを引き起こしてしまう。しかも、ゲームを厳しく批判する会長には、誰にも知られたくない秘密があって……。昭和のゲームブームに揺れる、小さな喫茶店の人情喜劇。時代|歴史|昭和2.7万字5 71 -
完結第14話
昭和35年、高校を諦め祇園へ渡った15歳の少女
昭和35年、京都・丹後の貧しい農家に生まれた15歳の文代は、家族の暮らしを助けるため、高校進学を諦めて祇園の置屋へ奉公に出る。美しい舞妓への憧れを胸に飛び込んだ世界で待っていたのは、早朝からの雑用、厳しい言葉遣いの指導、足に血がにじむほどの芸の稽古だった。先輩芸妓に助けられながら修行を重ね、やがて「市春」という名を授かった文代。しかし、初めてのお座敷で目にしたのは、華やかな着物の裏に隠された大人の世界だった。故郷の家族を思いながら、少女は厳しい花街で自分の道を切り開こうとする。時代|歴史|昭和|夫婦1.9万字5 128 -
完結第12話
写真のない履歴書
昭和26年、家計を支えるため銀座の店で働いていた私は、新聞で「エアガール募集」の広告を見つけた。ところが応募の締め切り当日、履歴書に貼る写真がまだできていなかった。思い切って事務所へ駆け込んだ私を待っていたのは、想像もしなかった新しい世界だった。飛行機に乗った経験もない15人の女性たちが、手本となる先輩もいないなか、歩き方や接客を一から学び始める。戦後間もない日本で、家族のために選んだ仕事が、一人の女性の人生を大きく変えていく。職場逆転|時代|歴史|昭和1.2万字5 124 -
完結第10話
受話器の向こうの春
昭和19年、神戸。幼いころに母と弟妹を亡くし、親戚の家を転々としてきた15歳のハルは、自分の力で生きるため、電話交換手を目指す。厳しい試験と訓練を乗り越え、ようやく手にした仕事。失敗ばかりの日々も、優しい先輩や仲間たちに支えられ、ハルは初めて自分の居場所を見つけていく。受話器の向こうには、家族を思う声、助けを求める声、遠い街で働く仲間の声があった。しかし戦況が悪化するにつれ、つながらない回線が増え始める。戦火が迫る神戸で、少女が守ろうとしたものとは――。時代|歴史|昭和1.5万字5 171