みかん小説
本棚

"母に追い出された私が、介護を手放すまで" 第17話

私はソファの背もたれにく寄りかかり、の夜空を見つめた。

「……謝りたい、ね」

私はスマートフォンのキーを叩いた。 『分かりました。の午、伺います』

、午分。 駅の老舗喫茶「ルノアール」の奥のボックス席。 カランコロンとドアベルが鳴り、私が内へを踏み入れると、番奥のテーブルに、見慣れたさな背があった。

子の横にてかけられた、歩用の点杖。 背さく丸まり、着ているウールのコートは肩のあたりが褪せていた。 私が向かいの席に腰をろすと、母はビクッと肩を震わせ、ゆっくりと顔をげた。

「……由美子」

その顔を見た瞬、私は息を呑んだ。 頬は削げ落ち、目元にはい皺が刻まれ、かつて私を見していた傲は、完全に消え失せていた。そこにいたのは、ただの、老いてさくなったれな老婆だった。

「待たせてごめんなさい。寒かったでしょう」

私が声をかけると、母の目から、粒の涙がポロポロとテーブルナプキンのへ零れ落ちた。

「ううん……来てくれて、ありがとう……。本当に、来てくれてありがとうね、由美子……」

ウェイトレスが注文を取りに来て、私はダージリンティーを、母は温かいホットミルクを頼んだ。 運ばれてきたいマグカップを、母は震える両で包み込むように持ち、湯気を見つめながら、ポツリポツリと語り始めた。

広告

「……秀はね、先ったわ」

「え……?」

「会社を辞めさせられたそうよ。……残った借の返済から逃げるように、夜にボストンバッグつで、どこかへ消えてしまったの。……今はね、田さんの配で、駅の側にある特別養護老ホームの緊急枠に、入所の続きをめてもらっているところなのよ」

母の声は、ひどく掠れていた。 「もね……来、競売にかけられることになったわ。借の担保に入っていたんですって。……お父さんと建てたあのも、私の代で終わりよ」

因果の結末は、完璧なまでに酷だった。 男にすべてを捧げ、娘を追いした母がに入れたのは、息子の夜逃げと、の喪失、そして老ホームでの孤独な余だった。

「由美子……」 母はマグカップを置き、テーブルのに置かれた私のに、震える指をねてきた。 そのは、かつて私を温かく育ててくれた記憶と同じように、ひどくさく、そして氷のようにたかった。

「あの蔵庫の……あなたがていくに剥がしていった、あの予定表……。あれがなくなってから、私は毎獄をきていたわ」

母の目から、とめどなく涙が溢れす。

「朝、何に起きればいいのかも分からない。薬の袋をけてくれるもいない。おむつが汚れても、秀は舌打ちして壁を蹴るだけ……。ご飯はコンビニの固いおにぎりを投げつけられて、喉に詰まりそうになって……。

広告

私ね、毎晩、暗い部で泣きながら、井の目を見ていたのよ」

母は私のを、壊れ物を扱うように両で包み込んだ。

「私はね、あなたが毎そこにいて、当たりにやってくれていたことが、どれほどの奇跡だったのか、失って初めてったのよ。……あなたは、私の命を繋いでくれていたのね。それを私は……『がなくてたい義務だ』なんて……なんて恐ろしいことを言ってしまったんだろうって……」

母はテーブルに額を擦りつけるようにして、声を殺して泣き崩れた。 「ごめんなさい……由美子、本当にごめんなさい……。親として、あなたに顔向けできることなんて、何つしてこなかった……」

からの懺悔。 失ったもののさを、自らの肉体と尊厳の破滅によって悟った母の、魂の叫びだった。

私は、母のたいを、もう片方ので静かに包み返した。 りは、もうなかった。 復讐の歓もなかった。 ただ、をすすりながら尽くしてきた私のが、ようやく報われ、正当に精算されたのだという、く静かな堵だけが胸を満たしていた。

「……謝ってくれて、ありがとう、お母さん。その言葉が聞けただけで、私は救われたわ」

母が縋るような目で顔をげた。 だが、私は穏やかに微笑みながら、優しく、けれど絶対に揺らぐことのない力で、母のした。

「でもね、お母さん。

私はもう、あのにも、あなたの介護にも戻らないわ」

母の肩が、さく震えた。 「……そう、よね。分かっているわ。あなたには、あなたのがあるものね」

「特養に入ったら、度くらいは、こうしてお茶をみに来ましょう。……私、お母さんの介護をする娘には戻れないけれど、たまに顔を見に来る『の娘』には、戻れるとうから」

母は涙を拭い、何度も、何度もさく頷いた。 「ありがとう……由美子。ありがとう……」

、喫茶て、私は母の乗る介護タクシーを見送った。 窓の向こうで、母がさくを振っている。 その姿がの夕に消えていくのを、私はポケットに両を入れながら、静かに見届けた。

スマートフォンを取りし、カレンダーアプリをく。 そこには、かつての「母の内科受診」「デイサービス準備」といった、誰かのための義務の予定はつもかれていなかった。

曜:仕事終わりに直子とイタリアン】 【曜:気になっていた映画をレイトショーで観る】 【曜:しいアパートのベランダに、ハーブの鉢植えを置く】

画面を埋め尽くしているのは、私自の、私のためだけの、り輝く未来の予定だけだった。

の澄み切ったが、私の頬をよく撫でて通り過ぎていく。 私はスマートフォンをコートのポケットにしまい、クリスマスのイルミネーションで美しく輝くの雑踏のへ、確かな取りで、だけを見つめて歩きした。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: