みかん小説
本棚

"娘の席を愛人に譲った夫の末路" 第1話

夜11、都からしれた閑静な宅にある層マンションので、さゆりは寝のフローリングに、正座するように座り込んでいた。

元には、翌朝から始まる3泊4の張兼族旅のために広げられた、型のスーツケースがをけている。部のは静まり返り、の微かな稼働音だけが定のリズムを刻んでいた。さゆりは夫・敬吾の質なウールスーツを丁寧に折り畳み、移に皺がつかないよう専用の織布カバーへと収めていく。ワイシャツの織り柄にわせ、初の商談用、の察用、そして最終の帰京用と、3本のシルクタイを完璧に組みわせて並べた。

結婚して10、これはさゆりが呼吸をするように当たりにこなしてきた、無数の「名もなき事」のひとつに過ぎない。しかし、彼女が夫に捧げてきたのは、単なるの世話にとどまらなかった。

スーツケースの内ポケットへ、さゆりは分いクリアファイルを慎に滑り込ませた。それは敬吾が担当する、札幌の規模商業施設発プロジェクトに関する最終契約の案だった。表向きは総商社の営業部で若き部として角を現した敬吾がまとめげ、役員会で絶賛された企画だ。

だが、その契約の随所に潜んでいた致命な法落とし穴を精査し、相企業との力関係を巧みに操る修正条項をき加えたのは、でもないさゆりだった。

広告

さゆりはかつて、渉法律事務所で企業法務と危管理審査を専とするトップコンサルタントとして名を馳せていた。敬吾と結婚し、娘の陽菜を産したのをに第線を退いたが、現も部の特別顧問として極秘裏に複数の企業と契約を結んでいる。敬吾が社内で壁にぶつかるたび、さゆりは夜を徹して彼の資料を読み込み、法リスクを洗いし、完璧な打策を授けてきた。敬吾が30代半ばにして異例のスピード世を果たせたのは、ひとえに彼の背に「絶対に失点を許さない盾」として控えていたさゆりの脳があったからだ。

しかし、敬吾はその事実を庭ので語ることは決してなかった。それどころか、を追うごとに、さゆりの献を自らの才能に対する当然の奉仕として受け取るようになっていた。

さゆりはさく息を吐きし、最の荷物である敬吾の予備ジャケットをに取った。

その瞬だった。

微かだが、確実に異質な気配がさゆりの腔をかすめた。ジャケットのラペルの奥、首筋が触れるあたりから、見らぬりがちっている。それは価なのような刺激な匂いではない。甘く、どこか為な、さゆりががでは決して選ばない製柔剤の残りだった。

敬吾の類はすべてさゆりが選んだ無料の洗剤で管理されている。

広告

クリーニングの溶剤の匂いでもない。誰か別のが、至距でこのジャケットに顔を埋め、自らの活の匂いを移したのだ。

さゆりの指先がピタリと静止した。

拍数がわずかにがったが、取り乱して取り乱すような真似はしなかった。たい氷が背骨を伝い落ちるような、研ぎ澄まされた静寂が胸を満たしていく。確認すべきことは、すでに決まっていた。

さゆりはちがり、斎のデスクのに無造作に置かれていた敬吾の業務用スマートフォンへと歩み寄った。翌の航空券の子データと、社内スケジュールの同期を確認するためだ。これもまた、張夜にさゆりが欠かさずってきた確認作業のひとつだった。

画面をタップし、パスコードの入力画面を呼びす。敬吾のパスコードは、娘の陽菜がまれた付の4桁——それは娘が誕したから度も変わっていなかった。

さゆりは迷いなくその数字を打ち込んだ。

プルッとい振とともに、赤い文字で警告が表示された。『パスコードが違います』。

さゆりは息をえ、もう度、文字ずつ慎に入力した。結果は同じだった。

パスコードは変更されていた。

寝の空気が、瞬で凍りついたようにじられた。な甘い柔剤のりと、娘の誕から変更されたセキュリティ。

広告

おすすめ作品

リンクを共有

以下のリンクをコピーして友達と共有してください: