"名門野球部で、僕らは声を失った" 第11話
元でも『GLを逃げした奴』ってろ指さされたしな。でも、兄貴が言ったんだ。『が作った板なんかどうでもいい。おがもう度野球を好きになれるかどうかが全てだ』ってな」
坂井はのでキャッチボールを続ける子どもたちを指差した。 「あの子たちを見てるとさ、いすんだよ。俺たちも、最初はただボールを投げるのが楽しくて、バットに当たったのの触が好きで、暗くなるまで公園で壁当てをしてたよな」
野寺は自らのののひらを見つめた。 固形鹸のアルカリで爛れ、タワシの毛先で擦り切れ、いタコができていたのひら。 あの寮で過ごした々は、その純粋なを燃料にして、たちをすり潰すための狂気の装置だった。
「実、ちょっと伝ってくれよ」 坂井がグラウンドを指差した。 「次の回、バッティングピッチャーがりないんだ。お、肩はまだくだろ?」 「え……いや、俺はもう何も投げてへんし……」 「いいから来いって!」
引にを引かれ、野寺は数ぶりにグラウンドのを踏んだ。 渡された革のグローブは、入れのき届いた柔らかな触だった。マウンドにち、ホームベースを見据える。バッターボックスには、ヘルメットをし傾けた学5ほどのが、真剣な目でバットを構えていた。
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(投げる……? 俺が?) ボールの縫い目に指をかける。 あの溜池の濁った面が、瞬だけ脳裏をよぎり、胸がキュッと収縮した。 だが、の「お願いしまーす!」という無邪気な声が、そのを吹きばした。
野寺はきく振りかぶり、腕をしならせた。 指先かられた球が、夕暮れの空気を切り裂いて直線にミットへと吸い込まれていく。 パスン、と乾いたよい捕球音が川敷に響いた。
「ナイスボール!」 のるい声。 「すげえ! お兄ちゃん、球めっちゃ速い!」 びねてぶ子どもたちの笑顔を見た瞬、野寺の体の奥底に張り巡らされていたたい鉄のワイヤーが、音をてて千切れんだ。
(ああ……そうやった) 恐怖で震えながら握るバットでも、をすする対価としてのボールでもない。 ただ、目のの相に向かって全力で投げ、それを打ち返し、だらけになって笑いう。 それが、自分がした「野球」という遊びの、原初の姿だったはずだ。
マウンドので、野寺の頬を涙が伝った。 だが、その唇には、15歳で青寮に入って以来、度たりとも浮かべることができなかった、からの自然な笑顔が浮かんでいた。
「もう球くぞ! しっかり踏み込んで打て!」 野寺の声が、茜に染まる川敷の空へとらかに響き渡った。
平成の代が幕をけ、やがて代は令へと移り変わった。
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昭という代が遺した苛烈な「根性論」や「体罰」は、代の変遷とともにしずつ社会から糾弾され、スポーツの現からも姿を消しつつあった。
都内の商社で堅管理職として働く野寺実は、休の朝、鏡のでネクタイを締めていた。 を過ぎ、こめかみにはいものが混じっている。 「お父さん、今野球の審判でしょ? くしないと遅れるよ」 リビングから妻のるい声がんできた。 「ああ、今くよ」
野寺は現、男が所属していた野球チームの部コーチ兼審判員をボランティアで務めていた。 玄関でスニーカーを履きながら、ふと駄箱のの写真を眺める。 そこには、学代に坂井たちと再会し、だらけになって野球に興じていた頃の、屈託のない笑顔の自分が写っていた。
会社の同僚や取引先からは、今でもよくこう言われる。 「野寺さんはどんな理尽なトラブルにもじないし、挨拶や礼儀作法が徹底している。さすが元球児ですね」 そんな、野寺はいつも穏やかに微笑み、「いえ、そんなことはありませんよ」とだけ返すことにしていた。
あの過酷な寮活で学んだ忍耐力や礼儀が、社会にてからの厳しい荒波を乗り越えるで役にったことは、紛れもない事実だった。あの理尽な暴力の嵐をき延びたという経験が、彼に並れた精神な耐久力を与えたことも否定はできない。
だが——。
(だからといって、あの狂気を美化する気は毛ない)
野寺はグラウンドへ向かうので、澄み切った青空を見げた。 分を奪われ、便所のをすするしかなかったあの々。 理尽な暴力に怯え、仲同士で監しったあの夜。 そして、池の底に沈んで度と戻らなかった、名も顔も忘れられないあのの命。 それらは決して「美談」や「必な試練」などという言葉で片付けられていいものではない。き残った者が勝に作りげた、暴力の自己正当化に過ぎないのだ。
グラウンドに到着すると、ユニフォームを着た子どもたちが元気よく駆け寄ってきた。 「野寺コーチ、おはようございます!」 「おはよう! 今も暑いからな、喉が渇くにしっかりをめよ。ベンチに麦茶用してあるからな」 「はーい!」
笑顔でベンチへっていく子どもたちの背を見つめながら、野寺は胸ポケットから審判用のインジケーターを取りした。 もう、誰も笑顔を禁止されることはない。 理尽な命令に脅かされ、暗ので泣くもここにはいない。
プレイボールのコールが響き渡る。 初の爽やかなが、青々と茂るグラウンドの芝を揺らして通り抜けていった。 野寺実は、自らので取り戻した「本当の野球」のので、今、しい世代の笑顔を静かに見守り続けている。
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