"昭和39年、空の給料袋を盗んだ女" 第13話
名を返す
、の名基には最初の申請が届いた。申請者は定制へ通う歳の女性で、母が失踪し、父の借のため学を諦めかけていた。類の族欄には何度もき直した跡があり、面談に来た彼女は「親のことを説しないと、私の価値も分かりませんか」と尋ねた。
弘美は、族の事を詳しく話す必はないと答えた。必なのは、何を学びたいかと、今どんな支援があれば選択肢を持てるかだけだった。女はしばらく黙り、護師になりたいと言った。幼い弟が救急搬送された夜、名も事も聞くにを握ってくれた護師がいたからだという。
基の審査員のは、親の責任を確認せず援助すれば正利用されると反対した。弘美は確認そのものを拒んだのではない。ただ、子どもへ親の罪を証させる仕組みにしてはいけないと主張した。かつて彼女は、母が盗んだとされたをらないだけで、級友から共犯のように扱われた。制度が同じことを繰り返してはならなかった。
申請は認められた。女が帰ったあと、弘美は母へ話をかけた。静は松本の施設で週にだけ厨を伝い、残りのは関節の治療を受けていた。弘美が基の話をすると、静は「よかったね」と言い、それ以、自分の償いになったとは語らなかった。
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の面会は度から度へ増えていた。会うたびに過を話すわけではない。駅で蕎麦をべ、靴を買い、気の話だけで別れるもあった。弘美は最初、それではを取り戻せないと焦った。しかし失われたは、事件の説を何度繰り返しても戻らない。しいは、何も起きない午にも積みなるのだとった。
茂は内の介護施設へ移った。を売ったあと、弘美と暮らしたいとは言わなかった。に度、い葉を送ってきたが、返事を求める文はなかった。弘美は枚に枚ほど返した。許したからではなく、沈黙を罰として使えば、父がしたことと似た形になる気がしたからだ。
ある、茂から封が届いた。には組会計代の帳から切り取った頁があった。昭、事件の欄に《静、細を聞へ渡す。止めない》とかれ、翌の欄には《弘美を選ぶ》とだけ記されていた。
茂は最初から妻を売るつもりではなかった。脅された瞬、自分は娘を選んだとい込み、そののすべてを正当化した。だが選ばれたはずの弘美は、母を奪われ、名を脅しに使われた。誰かを選んだという美しい言葉ので、選ばれた本のだけが消えていた。
弘美は帳の頁を資料館へ寄贈しなかった。
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公な事件を示す証拠ではなく、父が自分のために残した告だからだ。捨てることもできたが、通のとは別の箱へしまった。同じ族の記録でも、混ぜればが変わるとった。
、資料館で第溶解炉事故の追悼会がかれた。会社主催ではなく、遺族と元員が自分たちで始めたものだった。の遺のに、与細の複製ではなく、それぞれがで使っていた茶碗、具、子どもへ送った葉が置かれた。帳簿の労働者ではなく、暮らしていたとして名を戻すためだった。
静は豚汁を作らなかった。そのは森フサが握り飯を用し、静は子を運ぶ側へ回った。誰かを救ったとしてにつのではなく、同じ記憶を持つとして働いた。弘美は、その姿をくから見ていた。
追悼会が終わると、静は展示ケースのへった。番目の封筒の横には、しい説が加えられていた。《これらの封筒は、発見に空だったのではない。最初から現を入れられていなかった》。静はいその文章を読み、弘美へ尋ねた。
「私の名も、ここに必?」
展示には告発者として藤原静の名が記されていた。かつて名を犯罪者として広められた彼女は、今度は英雄として固定されることを恐れていた。弘美は、消したければ消せると答えた。
ただし自分が決めるのではなく、静自が決めてほしいと言った。
静はしばらく考え、名を残すことを選んだ。その代わり説文へ文を加えた。《私は娘を守るために自したが、娘に真実を選ばせなかった》。それは会社の罪を軽くする言葉ではなく、自分の為を会社の罪に隠さないための言葉だった。
帰り、静がを止めた。弘美のコートの袖がほつれていた。昔なら黙って針と糸をしただろうが、今は「縫ってもいい?」と尋ねた。弘美は腕を引かず、「今はいい。来、お願い」と答えた。
母娘は駅まで並んで歩いた。途で静がし遅れ、弘美も歩幅を緩めた。を引くことも、先にくこともなかった。互いの速さを確かめながらんだ。
改札で弘美は初めて、静を「お母さん」と呼んだ。に押されてからこぼれたのではない。呼べばすべてを許したことになるわけでも、血のつながりが変わるわけでもないと理解したうえで、自分で選んだ呼び名だった。
静は泣かなかった。ただ「来、針を用して待っている」と答えた。
昭の料袋は空だった。だが、その空へ何をくかを決める権利まで、誰かに渡す必はない。
目の、弘美はようやく、自分の名で母を呼び、自分のでその返事を受け取った。
――完――
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