みかん小説
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"夕飯のカレーを笑った友人が、私のレシピを欲しがった" 第11話

自分の皿を選ぶ

真理子と距を置いてから、私は友関係の連絡先を見直した。すべてを切ったわけではない。誕のメッセージも、季節の挨拶も、必なら返した。ただ、に度のランチには参加しなくなった。誘いが来ても、「今は予定がわない」と伝えた。真理子からのメッセージにすぐ返事をしないことにも、しずつ慣れていった。

その、私は域の図館でわれるさな料理交流会に参加した。由が誘ってくれた会で、参加者が好きな庭料理を品ずつ持ち寄る。私は、母から教わった甘のカレーをさな容器に入れて持っていった。誰かに褒められるためではなく、自分が好きなをべてもらいたかった。

会には10ほど集まっていた。野菜の煮物や炊き込みご飯、作りのパン。参加者のが私のカレーをにして、「りんごが入っているんですか。優しいですね」と言った。私は「息子がさいころから作っているんです」と答えた。

「族がんでくれるなら、それが番ですね」そのは笑った。

私は、その言葉を聞いて、胸の奥が温かくなった。誰かのではカレーをべない。別のでは、週に度べる。正解はつではない。卓に並ぶ料理は、族が決めればいい。私のの夕飯を、誰かに認めてもらう必などなかった。

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交流会の帰り、由と喫茶に寄った。由は、真理子が公民館の講師を続けていると話した。冊子の訂正については、参加者に説をしたらしい。彼女がその、別のレシピを自分で作ったかどうかはらない。真理子は私に連絡してこなかった。

「もうしがたったら、また話せるかもね」由は言った。

「そうかもしれない。でも、みたいに何でも引き受ける関係には戻らないとう」

「それでいいよ。友達だからって、し続けなくていい」

私はうなずいた。友を終わらせることだけが、境界線を引く方法ではない。相を嫌いにならなくても、くに置かない選択はできる。過の楽しかったを否定しなくても、今の自分を守ることはできる。

交流会でりった女性から、メッセージが届いた。「あのカレー、でも作ってみたら子どもがびました。りんごを入れるのが鮮でした」とかれていた。私は詳しい分量を返信しながら、レシピを誰かに渡すこと自体は嫌ではなかったのだと気づいた。私が苦しかったのは、作ったを消され、断るとが狭いと言われることだった。自分の夫を分けうことと、自分の仕事をなかったことにされることは、同じではない。

がづいたころ、真理子からいが届いた。封筒には、文化祭の写真が枚入っていた。

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カレーの鍋を囲む徒たちと、調理でエプロンをつけた私が写っている。私はカメラを見ておらず、隣の徒に鍋の蓋を渡しているところだった。写真の裏には、真理子の字でこうかれていた。

《あの、あなたが作ったものを自分のもののように扱ってしまってごめんなさい。許してほしいとはけません。これからは、自分の言葉とに気をつけます》

私は何度か読み返した。をもらったからといって、すぐに会いたいとはわなかった。それでも、彼女がようやく謝る相を違えずにいたことは、受け取っておきたいとった。

返事には、「を読みました。謝罪は受け取りました。今はまだ距を置きたいです」とだけいた。き終えると、封筒に入れて郵便受けへ持っていった。気持ちを説しすぎず、相の嫌を取る言葉も添えなかった。私にとって、それはさな変化だった。

末、航は受験勉で忙しくなり、修司は仕事の部署が変わった。のも慌ただしくなったが、夕飯はいつものように続いていく。修司が鍋のふたをけると、カレーのりが広がった。

「今はし辛めにしたよ」私は言った。

「いいね。航は辛い方が好きだろ」修司は鍋をのぞき込んだ。

航は机から顔をげ、「今はカレーか」と笑った。「の朝もべられる?」

「残っていたらね」

私は卓に皿を並べた。誰かに説するための献ではない。族がべたいものを、族でべるだけだった。

数、私は台所の引きしを理していた。古いレシピ帳には、母の字でかれた煮物や噌汁の分量が並び、そのに私がきしたカレーの作り方が挟まっている。最初は航が幼稚園のころ、辛いものが苦だったので、甘にする夫を何度もき直していた。ページの端には、母が「りんごは半分で分」と赤鉛で添えている。

私はそのを写真に撮り、族の共アルバムに入れた。真理子に見せるためではない。私たちの卓が誰かに認められなくても、ここに積みねてきたは確かにある。鍋の底についた焦げを落としながら、私はそのことを静かに確かめていた。

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