"昭和34年、上野駅で名前を奪われた少女" 第20話
私の名の料袋
製本の朝は、都織布のようなきな械音ではなく、を揃える乾いた音で始まった。澄子は折丁をね、端を揃え、糊の乾き具を指で確かめる仕事を教わった。初めのうちは何度もやり直しになったが、の員は「急いで曲げるより、遅くても真っ直ぐに」と言った。澄子はその言葉を聞くたび、京へ来てから自分がき集めたの束をいした。
末、主がずつ与袋を渡した。澄子の袋には《佐藤澄子》とかれ、働いた数、基本、控除、取り額が記されていた。澄子は机の端で袋をき、数字をつずつ確かめた。誰かに疑われたわけでも、名を問い直されたわけでもない。それでも自分の名と額を見た瞬、野駅の広でじた細さが、いのことではなく、今も胸のにあると分かった。
堂へ帰ると、ハルは帳で計算を伝ってくれた。澄子はの部を活費として渡し、残りから青森への仕送りを分けた。弟たちの靴代も、しずつ貯めておいたとわせればりそうだった。ハルは「送るに、あんたの靴の底も見な」と笑った。澄子は自分の靴の踵がすり減っていることに、言われて初めて気づいた。
翌の休みに澄子は商の靴へ入り、弟たちののきさを母ので確かめた。
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員は成期だからし余裕を見た方がいいと言い、澄子はを並べてしばらく迷った。汽に乗るは、初任がれば何でも買えるような気がしていた。今は賃や費を払う難しさもっている。それでも自分で選び、代を払った靴を包んでもらう、澄子は初めて京へ来た目にが届いたとった。
母へ送るには、最初のにけなかったことを、ようやく順にいた。《京へ着いたに、私の名はもう別の子のものになっていました。しばらくで働けませんでした。でも今は、自分で決めたところで、自分の名で働いています》。鈴のことは、同じように困っていた女と緒に話をしたといた。母がらない京のやの名を並べるより、何を選んだかを伝えたかった。
数、子から葉が届いた。ではしい寮母がを配るに封を確かめなくなり、料の内訳を聞けるようになったという。《私はもうしここで働く。には度、へ帰るつもり》。子の字は以よりしきく、最には《今度は緒に汽に乗ろうね》とあった。澄子は葉を何度も読み返し、机の引きしにしまった。
鈴からも、別ので働き始めたという便りが来た。には《川鈴》と署名されていた。借の扱いはまだ確認だが、なくとも今の料袋には自分の名がかれているという。
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澄子は返事に、堂のしい献と製本の仕事のことをいた。最に「会えたら、今度はお互いの名で呼ぼう」と添えた。許したという言葉はかなかったが、返事をきたいとう気持ちは本物だった。
の初め、青森から母の返が届いた。《無事でよかった。おの名は、まれたに父さんとで決めた名です。誰にも渡さなくていい》。そのには弟たちの字で、靴の礼と畑の収穫のことがき添えられていた。澄子は返事を読みながら、の駅でいつまでもを振っていた母の姿をいした。京へけばすぐに族を助けられると信じていた歳の自分に、今なら言いたいことがあった。
その夜、澄子は紹介状と学の証、最初の与袋をつの封筒に収めた。古い紹介状の端は何度もいたせいで柔らかくなり、野駅で写したバスの番号のにはさな染みが残っていた。どれも、誰かが作った違いを示すだけのではなかった。あのから自分が確かめ、尋ね、選び直してきた筋でもあった。
翌朝、堂の引き戸をけると、のたい空気が頬に触れた。澄子は製本へ向かうに、くの郵便局へ寄り、青森きの封筒を窓へ差しした。係員が宛名を読み、差を確かめてから、封筒に消印を押す。
澄子はそのさな音を聞き、もう度だけ自分の名を目で追った。《差 佐藤澄子》。それは誰に借りたものでもない、彼女がこれからも使い続ける名だった。
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